ケルベロス



 白い煙が空間を包んでいる。
 冷房は付いているんだろうが、目前の火を見ていると暑くて仕方がない。

 スマホを弄っている五条さんは放っておいていい、と夏油さんに言われ、私はホルモンをひっくり返した。
タレに随分漬けられただろう大腸をじっと見つめる。大腸は火の熱さから逃げるように形を変えていく。人間の内臓はどうなんだろう、と考えていると焼肉奉行である夏油さんがテキパキと動いた。
五条さんの目の前にあるホカホカの山盛りご飯の上にどんどん乗っていくホルモン。

 五条さんはスマホに目を落としながらも器用にホルモンとご飯を口に放り込んだ。私もそれに倣う。プリプリとした食感が口の中で踊った。染み込んだタレが噛む度溢れ出して、白いご飯が異様に進んだ。



 刺青を入れて数日が経過していた。
 移動する車内から見える景色は変わりつつあり、夏休みを終えた小学生の集団がランドセルを大きく跳ねさせながら走り回っている。

 9月を迎えたのだ。
 しかし刺青を見ることは五条さんと夏油さんから禁止されていた為、私は毎日目を閉じながら風呂に入っていた。勿論、着替えもである。

 それから五条さんと夏油さんとまた行動を共にする生活が続いていた。新たな警棒はまだ綺麗な形を保っているが、何度か血を被っている。

 先程は五条さんの趣味にご相伴し、フッ化水素酸というものを私は初めて知った。
なんでも、神経系の劇薬らしい。
少しでも触れると皮膚と筋肉をすぐに貫通し、骨まで溶かすという劇薬だ。それを五条さんは笑顔で飲ませていた。
あそこまで人が叫び苦しみ、死んでいくのを見るのは初めてだった。ただ、悲鳴や懇願より肉体や血に興味のある私は、終わった後の身体をバラす手伝いをした。
人間が人間たらしめるものとは何か。汗をかきながら考える。答えが出る前に処理は終わってしまった。
 3人して見事に血に染まり、言った言葉は存外同じで。
 お腹空いた、だったのだ。



 昔からよく来るという焼肉屋は特にホルモンが美味しいということで今に至る。

 残暑厳しく、焼肉の火鉢を目の前に私の青い制服は肌にまとわりついて鬱陶しい。しかし食欲の勝る私たちは暑い中夢中でホルモンを焼き、口の中に放り込んでいた。
味噌ホルモンの皿が5枚重なり、夏油さんが追加の手を挙げた。

 暫くして落ち着いたのか、五条さんはスマホから視線をホルモンに移した。
 スマホを放り投げようとする様子に、夏油さんがこらこら、と止める。最近よく見る光景だが、2人が楽しそうなので私はご飯の最後の1口を大きな口で胃に流し込んだ。

「2人とも、明日は少し遠出だよ」
「遂にかい?」
「そ、遂に」

 遂に、とはなんだ。

 私が分からずとも話は進む。
そんなことにはもう慣れたもので、五条さんの分のホルモンを焼き続けた。
途中聞こえてきたのは、親父、着物、袴。

 私が懇切丁寧に焼いたホルモンを、噛んでいるのか噛んでいないのか分からないスピードで食べ上げた五条さん。
 夏油さんは席を外して電話をしに行った。汗ばんだシャツからはうっすらと刺青が透けて見える気がして、自分の胸元に手をあてた。

「明日、かなた気合い入れてね」
「命危ない系ですか?」
「んー、それはかなた次第。ま、かなたなら大丈夫でしょー」

 酷く曖昧な答え。
 でも私はなんだか面白くて笑えば、五条さんも笑った。

 五条さんがデザートのいちごアイス生クリームトッピングを食べ終えた頃に待たせたね、と帰ってきた夏油さんを迎え、パパッとお会計を済ませて店を出る。

 店内とは違った暑さと風の涼しさを感じた。
 暦の上では秋であるこの頃。
 ずっと待機していた車に3人で乗り込んだ。まだまだクーラーは大活躍だ。

 近頃は五条さんと夏油さんが私の肩に重い頭を乗せてくるのも慣れた。

「かなた」
「はい」
「君って着物の着付け出来るかい」
「着物、着たことがありませんね」
「じゃあ明日は早めに起きないといけないね。着付けと化粧をしないといけないから」

 意外にも着物を着るのは私らしい。何時に起きればいいのか聞いて、
 私はスマホのアラームをセットし、その場は解散となった。



 部屋を暗くして入眠する用意をする。
私は五条さんと夏油さんの部屋の間の部屋を渡されていた。高めに設定していた冷房の温度を下げて目を閉じる。すっかりこの生活にも慣れた。バッグから枕横に移動した警棒を抱き締めた。

 瞼の裏に写ったのは飛び散る血と、まろびでる内臓たち。
 深呼吸をして、私は意識を手放した。




 次の日は慌ただしかった。

 私はアラーム通りに起きたが、部屋の外が騒がしい。起きてクローゼットに幾つも入れられた青い制服に着替えようとしたところに夏油さんがノックなしに入ってくる。

「おはよう、ちゃんと起きているね」
「おはようございます、外の騒がしさは何ですか?」
「今日はそういう日だと思ってくれていいよ」

 曖昧な返事は2人のお得意らしいが、刺青を入れるか入れないかくらいの時から頻度が増えていた。

 夏油さんは私を寝巻きのまま部屋から強く腕を引いて連れ出す。途中すれ違った皆からおはようございます!と元気に言われる。夏油さんと2人でおはようと適当に返す。

 五条さん不在の黒塗りの車に乗せられ、夏油さんとどこかに移動した。
 今朝は少し風が涼しい。
 車は見た事のない細い道を進み、路地裏に着いたかと思えば、看板も何も無いビルの前で止まった。夏油さんと2人で降り、迷わず進む夏油さんに続いた。
鈴の付いた扉を開けると、そこにいたのは綺麗だが少し変わった髪型をした女性とまだ幼い少年だった。

「夏油くんいらっしゃい」
「おはようございます、冥冥さん」

 予定より少し早いね、と女性は笑う。
 硝子さんほど親しくはないようだが、古い仲であるように感じた。
 特に話し込むでもない2人はさっさと私を奥に連れていく。せっせと動く少年が奥の扉を開くと別世界が待っていた。

 きらきらと豪華な着物が所狭しと並べられている。夏油さんが後ろで満足げな声を上げた。

「月島かなたくん、私は冥冥、でこっちが弟の憂憂さ。仕事は金になること全て。君の噂は聞いていたよ」
「噂って何ですか?」
「すぐに分かるよ、そうだろ夏油くん」
「そうですね」

 私以外の皆がくすくすと笑う。
 私に伝える気は無さそうなのでとりあえず夏油さんのピカピカに磨かれた革靴を踏みつけてから着物に目をやった。どれも美しい。

 しかし、一瞬で目に付いたのは深い深い、しかし鮮やかな赤色の着物だった。

「それが気になりますか」

 少年が私の視線に目敏く気づき、その赤色を取り出してきてくれた。
 飛び散った直後の血とも、少し乾いた後の血とも見えるその赤色はやはり美しくて。つい手を伸ばすと、夏油さんの手が伸びてきた。

「かなたは赤を選ぶと思ったよ」

 読まれていた。
 それは夏油さんだけではなかったらしい。
 五条さんも私に赤い着物を、と言ったそうだ。

「いいのかい、夏油くん。こういう時は白黒だと相場は決まっていると思うがね」
「相場なんて悟が気にしませんよ」
「それはそうだね」

 ふふ、と冥冥さんが色気を含んだ笑い声をもらした。そうして速攻で決まった着物に私は袖を通す事となった。
その前に、と髪型や化粧を施される。少し伸びた髪を低いところで綺麗にまとめられた。真っ赤に引かれた紅と着物の相性はいい。
 いつもの1.5倍くらい大きく見える目に違和感が凄かった。流石美人の化粧は上手い。
 気付けばいなくなっていた夏油さん。次に視線を交わしたのは私が別人のように変わってからだった。

 私を見て何の笑いかは分からないが、大きく口角を上げて笑った夏油さんは冥冥さんに黒いアタッシュケースを渡して建物を出た。
 背後から、またよろしく、という声が追い掛けてきた。


 私がめかしこんでいる間に夏油さんは黒い袴に着替えていた。
 見慣れない姿に、つい目で追ってしまう。
 車に乗り込んですぐ、夏油さんは五条さんと電話をし始めた。その電話はとても短く、端的。行く先など知らない私はスマホで最近入れたアプリを開いたところだった。

 夏油さんの手が私の顔とアプリの間に入ってくる。回したガチャの結果が分からないまま、電源を落とすように言われその通りにした。

「少し君には説明し無さすぎだったな、と思うから説明するよ。いいかい」

 はい、といつも通り答えると夏油さんはスマホを弄りながら私に話し始めた。

「ヤクザは組織として成り立ってる。私たちが言っている“親父”は会長のことだよ。ヤクザは擬似家族だからね。兄弟の盃、なんて聞いた事あるかな」

 少し考えて、私は頷いた。

「悟は子どもの中でも割と気に入られている方でね。一応あれでも組長さ。私はその兄弟としている。所謂右腕ってやつかな。組長と言っても1人じゃない。勿論格上格下はあるけどね。今から私たちが会いに行くのはその組長たちが集まっている場。そこには若、親父の子どももいる」

 ペラペラと簡単に言っているが、私は凄いところにこれから行ってしまうことは馬鹿でも分かった。ヤクザの組織図なんて私は知らなかったのだ。

「あの、何で私がそこに行くんですか?」
「行けば分かるさ。君は緊張しなくていい。君はあの場にいる人間たち全てを殺すくらいのつもりでいればいい」

 相変わらず無茶苦茶を言うが、それだけで私の肩の力が抜けるのが分かった。
 所詮人だ。そうか、殺せばいいのか。

 途中で車は止まり、やはり袴姿の五条さんが乗り込んできた。よく見ると、五条さんと夏油さんの袴の色は微妙に違う。

「お、かなた、やっぱり赤似合うね」

 さっすが僕ー!というこの人が会長お気に入りの組長なのか。
 ヤクザってよく分からないな、と思いながら礼を言った。
 こんなことになるのなら、少しはヤクザ映画でも見ておけば良かったんだろうか。

「かなたには軽く話しておいたよ」
「オッケー、後はなんとかなるでしょ」
「私たち3人ならどうにでもなるさ」

 あ、でも、と五条さんが言う。

「若、ちょーっと短気で僕よく怒られてるからかなたは気を付けてね」

 一気に気分が沈むのを感じたが、だからといって車は進むのをやめない。
 私はなんとか持ってきた警棒を撫でながら気持ちを落ち着かせようと努める。

 血がゴボゴボと音を立て始めた。



 車が辿り着いたのはまたもや、大きな御屋敷だった。しかし居を構えている家より遥かに大きい。
私たちを降ろした車はどこかへ行ってしまう。その代わりに門のところにスーツの男性が何人も立っていた。

 男性たちが門を開くと、玄関に続くまでの石畳の両端にこれまた多くの男性が立ち並んでいた。五条さんと夏油さんが私の肩に腕を回して体重を掛けてくる。
 ずしり、と掛かる重力に逆らうように私たちは笑いながら足を揃えて踏み出した。

 綺麗に並べられた男性たちの最敬礼の波を縫って進む。葬儀とも思える白黒の男性たちの中で私は浮いているようにも思えたが、所詮人だ。殺せばいい相手に今更緊張はしなかった。

 3人で通っても狭くない広い廊下を進む。
 すると、大広間のような場所の目の前で五条さんは足を止め、私と夏油さんも引っ張られるように足を止めた。

「かなた」
「はい」
「僕たちは君を信じてる」 
 
 2人が私の肩から腕を避ける。人の気配はするのに一切の音がしない部屋の前。2人を見上げると引き締まった顔をしていた。

 控えていた男性たちが障子を開くと、そこは圧巻だった。
広い空間なのに息が切れそうなくらい息苦しい。

 真正面の小上がりに1人の少年、いや、年頃は私より少し下くらいだろうか。
ツンツンとした黒髪に鋭い目を持っている。
 壁には様々な人達の名前が掲げられていた。その中には五条さんの名前もある。
 そして小上がりの下に左右に分かれ、五条さんと全く同じ服装の袴姿の男性たちが中央を向くように並んで正座をしている。
 視線集まる中央には白い絨毯のようなものが敷かれており、空いた空間に夏油さんと同じような袴姿の男性たちが座っていた。恐らく、これが組長たちなのだろう。

 五条さんと夏油さんが白い絨毯を踏んで、少年に向かって歩き出した。出遅れた私の背中を2人が押した。
 注がれる鋭い視線たち。
 3人横並びで立つ。
 私が真ん中に立っていていいものか分からない。私は空気感に圧倒されていた。

 重い、重油のような空気感に走るピリピリとした視線の交差。

 少年が一言座れ、というと自然と私たち3人は正座で絨毯の上に腰を落ち着かせた。
 この少年が親父?しかしその割にとても若い気もする。

「かなた、噂は聞いてる」
「はい」

 冥冥さんといい、この少年といい、一体私はどんな噂が流れているのか。
 しかしその疑問はすぐに分かることになった。

「悟、傑に次ぐ狂犬らしいな」

 隣に座る五条さんと夏油さんが笑った。
 五条さんが若、と一言告げる。
 そうか、この少年が若なのか。

「噂ではありませんよ。立派な狂犬です」
「あんたらが躾けたのか」
「才能でしょう」

 会話についていけない私を無視して、話は進む。いつの間に私が狂犬ということになっていたのだ。頭の隙間を埋めるように現れては消える赤。

 一体どの赤からそんな話になったのだろう。

 ふと、思い出したように若が私に声を掛けた。

「ところで、何で赤い着物を選んだんだよ」
「それは、血の色と似ていて……美しかったので」

 五条さんが噴き出す。
 夏油さんは口角をゆるりと上げていた。

「なるほどな」

 若から特に責められなかったことに少し安堵したところで、背後の障子越しに声が掛かった。白黒の着物に身を包んだ妙齢の女性が透明な飲み物が入ったグラスを3つ持ってきた。そして私たち3人の前に並べられた。

 すると途端、五条さんと夏油さんが上半身を乱し、胸元を曝け出した。訳も分からないまま、私もそれに倣うのが最適解だと思い、着物を乱す。冥冥さんに巻かれたサラシから何かが出ていた。

 そして私はその時初めて、自分に彫られた刺青を見ることとなる。


「始めろ」

 五条さんと夏油さんがグラスを持って私を見た。私も急いでグラスを手に取る。

 五条さんの胸元に巣食う刺青も、
 夏油さんの胸元に巣食う刺青も、
 私の胸元に巣食う刺青も全て同じもの。

ゴボゴボと音がする。

 五条さんが言う。

「俺はお前たちで」

 夏油さんが続ける。

「私は君たちで」

 最後は私の番。

「……私は貴方たちです」



 一気に呷った酒は熱く、燃える火のように身体を流れて行った。
 グラスを持った手を高く掲げ、そのまま床に叩きつける。
 3つ分のグラスは見事に砕け散った。

「親父の代わりに、あんたらが五分の盃を交わしたのを認める」

 3人で深く、若に頭を下げた。

「だけど、あれだな。
 狂犬3匹が同じ組にいるのはバランス悪くねぇか」

 酒が身体を熱く燃やしているせいか、赤く濃く浮き出る刺青が吼えた。

「若、僕たちは3匹じゃないんですよ」
「私たちは」


 そう、私たちは。
 搾取する側。
 笑う側。
 肩を組んで笑う狂犬。


「3匹で1匹だから」


 胸元でケルベロス《わたしたち》が吼えた。













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