忘れ形見



大切なものというものはなぜだか昔から脆いものだった。
出来る限り手を大きく開いて閉じ込めてみても、砕けてはこぼれ落ちていくものが多かった。
人の命も、そうだった。
亡くなった同級生たちの冷たい腕が私の背中を這う感覚が常にあった。
何故、何故。
彼等は亡くならなければならなかったのか。
私の大切なものだったからだろうか。
勿論、そんな筈ではないことは理解していた。そこまで私はもう若くないからだ。

朝、今日も自分が息をしていることを確認してからベッドを抜け出した。
いつものように身支度を整えて携帯を手に取る。補助監督から来ているメールを寝る前にしたように再度目を通す。任務の確認をしていると手の中で携帯が震えた。

「おっはー!今日の朝一の任務の前に高専の医務室寄ってって」

五条悟からの連絡はそれだけだった。
はて、医務室に用事なんかあっただろうかと思いながら、分かった、と返信した。
月は2月、まだ冷えるな、と思いながらコートに手を通して部屋を出る。
高専の門を潜ると前方から数少ない生徒たちの声が聞こえる。
高専は決して賑やかな場所ではない。
人手不足に加えて、セキュリティがあるとは言え常に死が付き纏う場所でもある。とは言え、一回りは年下の子供たちの声を聞くのは嫌なことでは無かった。どちらかと言えば好ましい。
ふと自分たちの青春時代が脳内を駆け巡る。それを無かったようにしながら校舎に足を踏み入れた。

学生時代には通い慣れた医務室に着き、ノックを3回。中からの気配は3つ。
どうぞ、という声で扉を開けるとそこには五条悟、家入硝子、伊地知潔高の3人がいた。最初の2人はまだしも3人目の後輩が高専にいるのは珍しい。
おはよう、と声を掛けて近寄れば三者三葉の挨拶が返ってきた。1つ先輩である硝子先輩は近くの椅子を寄せてぽんぽんと叩いた。

「座んな」
「えー硝子僕には全然椅子勧めてくんないじゃん」
「知らん」

伊地知はそんな2人を宥めながら立っている。何だろう、そう思いながら椅子に腰掛けた。話を切り出したのは意外にも1つ後輩の伊地知だった。

「お呼びだてしてすみません。お渡ししたい物がありまして……」
「あ、バレンタインのチョコじゃないよー」
「いや、悟先輩、その補足要らない」

親切心だよーなんて言う先輩を一瞥して後輩を見る。居心地が悪そうな彼は少し俯きながら私に大きな箱を渡してきた。
重さは、それ程じゃない。
呪力の気配がする。

呪具?

「これが、最期の意思、だったようですので」

伊地知が控えめに箱の開封を促す。
硝子先輩は何も言わない。
悟先輩は何を考えているのかよく分からなかった。
じゃあ、と一声掛けて箱を開けると入っていたのは鉈だった。見覚えのあるそれは、同級生のものだった。

七海健人────先日、散った同級生だった。
手が震えた。しかし頭は冷静だった。それが、私は嫌だった。
伊地知曰く、七海の部屋に遺書があり、自分が亡くなった場合鉈を私に譲渡して欲しいという内容だったらしい。

私は呪具は使わない。
術式の特徴として使う必要が無いからだ。
それは同級生である七海も知っていたはず。しかしあの七海が、そんな無駄なことをするだろうか。少し考えあぐねいていると大きな手が私の頭の上に乗ってきた。

「忘れ形見ってやつ。あいつ高専時代からお前のこと好きだったからさ」
「……は?」

本当に、は?である。今この男は何て言ったんだ。先輩は続けて言う。

「忘れないであげなよ、せめて」

じゃあ僕行くね、と悟先輩は出ていってしまった。伊地知は未だに居心地悪そうにしている。
伊地知も死にかけた。
それを七海がギリギリ助けたというのは聞いていた。
伊地知は伊地知なりに様々な後悔をしながら、せめて自分に出来ることをしようと思ったのだろう。せめて自分に出来ることをしよう、というのはこの呪術の世界に身を投じた者たち共通の認識のように思う。

「伊地知、ありがとう」
「いえ、私は……本当に、何も出来なくて……本当に、申し訳ありませんでした」

深く、深く頭を下げる後輩。
伊地知は何も悪くないよ、そう言おうとしたのに声が出ない。
ごめん。
それは、私も言いたい言葉だった。
ずっと、ずっと言いたい言葉だった。
私だけ生き残ってしまってごめん。
守れなくてごめん。
大切なものだったのに、ごめん。
ごめん。
胸元まで何かがせりあがってくる。
呼吸が出来ない。

察した硝子先輩が伊地知を帰した。
手元の鉈は受け取った時よりずっと重たくなっていた。視界が揺らぐ。じわじわと。周りを見渡す。気付けば硝子先輩も居なくなっていた。
時計の音だけが妙に耳につく。震える手で箱から鉈を取り出した。七海の動きを思い出しながら軽く振る。
ヒュン、という音は学生時代によく聞いた音だった。



学生時代、私たちは仲のいい方だったと思う。同級生は灰原と七海と私しかいない。
灰原の明るさに引き寄せられるように七海と私も仲良くなった。よく1つ上の先輩たちにからかわれる七海を見ていた。
先輩。傑先輩も、その中にいた。私たち3人は何だかんだ文句を言いつつも、先輩たちを尊敬していた。特級。それは誰でもなれる訳では無い。灰原の死を切っ掛けに道を違えることにはなったが、それでも私は、私たちの仲はいいものだと信じていた。

私は七海を止めれば良かったのだろうか。
呪術師に戻ってきた七海を見たとき私は嬉しかった。でも同時に不安でもあった。
呪術師に悔いのない死はない。
夜蛾先生がよく言うことだった。
悔い。
七海は最期に何を悔いたのだろうか。
悟先輩の言葉が蘇る。

『高専時代からお前のこと好きだったからさ』

嘘を言う感じではなかった。だとしたら本当の事なんだろう。
それは七海の遺書にあったのだろうか。
それとも悟先輩はずっと知っていたのだろうか。
私だけが、知らなかったのだろうか。
せめて、と呪術師である私は目の前のことに取り組んできたつもりだった。
救えない命もある。でも同時に救える命もあった。
では、七海は?七海の死は?七海の悔いは?
七海の、気持ちは?

気付けば私は声を上げていた。言葉にならない声だった。幾つもの雫が床に滴っていく。それが水溜まりのようになっていくことも無視して私は叫び続けた。
ごめんなさい。ごめんなさい。
そんな言葉だけでは足りなかった。

七海、私は貴方が大切でした。
でも1つだけあの頃のように文句を言わせてください。
忘れ形見なんか無くても私が貴方を忘れるはずがない。
今思えば、きっと、恋でした。





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