聖夜を砕く、


 すべて終わらせてしまいたいと切に願う。
 しかし、私の首からさげられた彼ら≠ェ私を重く、この場所に留まらせていた。
 
 北風が繰り返し窓を叩く音を聞きながら、私は目の前の小さな壺を見つめていた。
 宿儺と五条悟の決戦から一年が経とうとしているクリスマス。悟がいようと、いなかろうと無慈悲にやってくる冬は毎年変わらずである。呪術高専は今日も北風に曝され、あちこち隙間風で冷え込んでいた。
 眼前のテーブルの上には白く、所々装飾が施された壺が鎮座している。装飾は百合だろうか。この壺は初め、五条家で保存されると言われ、猛抗議した学生たちの声に押されて一年越しに私の元に届いていた。
 悴んだ指先で壺に触れると、何の意外性もないつるりとした無機質な感触が滑っていく。月並みだが、随分小さくなってしまったものだ。これからもっと小さくなる五条悟の姿を脳内で描く。輪郭をなぞり、その先に甘やかな微笑みを見る。その姿に私は頭を振った。
 
 もうすっかり思い出が美化され始めていた。違う。違う、五条悟という人間は面倒臭くて、我儘で、不遜な態度で周囲を巻き込む問題児だったはずだ。だというのに、いざそれを喪うと眼前に映り出すのは笑った顔と頼もしい大きな背中。大好きな同級生の姿だ。サングラスをしたクソガキの五条悟であり、アイマスクをした不審者の五条悟であり、学生には優しく、指導が熱心だった五条悟であり、また、親友を信じて疑わない愚直な五条悟の姿でもあった。仲間を信用も信頼もしていた五条悟の青い瞳がちらつく。
 こうやって記憶が美化されて塗り替えられていくことを私は痛いほど知っている。だから夏油傑との思い出は眩しく、美しいものばかりだし、その美しさゆえに切り裂かれるような鋭い痛みを胸に抱え続けている。思い出という刃物に幾度となく切り裂かれた私は既に満身創痍だというのに、この男まで逝ってしまった。欠落した最強を冠する椅子は脆く崩れ去る。
 それが目の前の小さな壺の中に押し込まれていた。きっと窮屈だろう。いつも窮屈そうに長い足を折り曲げて座る男だったのだから、きっとそう。
 私は壺の蓋を開けて中を覗き込むと、灰色がかった白色の遺骨が僅かに桃色に色付いている様子が見てとれた。可愛い顔をした男の骨はどうやら骨まで可愛い色をしているらしい。骨になってまで死化粧とは恐れ入った。
「……ただの白骨じゃ、その顔の良さも活かされないもんね」
 その時、ちゃらりとペンダントの先が壺に触れて音を立てた。傑と悟の久しぶりの再会である。
「……傑、悟も骨になっちゃったよ」
 ペンダントに触れる私の手は震えていた。一年経ってもまだ、遺骨を砕いた感触が残っているからだろうか。
 本音を言えばここから今すぐ逃げ出して、私も彼岸に身を投げてしまいたい。
 呪術師と非術師の未来は子どもたちが築いていくだろう。もう私は必要ない。次世代を担うのは宝物を失いすぎた私たちの代ではないのだ。しかし、そう思えば思うほど、首からさげられた遺骨ペンダントがやたらに重く感じられ、私は見動きが取れなくなっていた。だから仕方なく、目の前の骨と向き合っている。
 骨壷って色んなデザインがあるんだなぁ、だとか、五条家の家紋とか入れたりするんだなぁ、とか、骨ってなんで桃色になるんだろうとか本題からズレたことばかり考えてささやかな現実逃避は寒々しい。
 
 じっと壺を見つめては、するりと手の甲で表面を撫でることをただ繰り返しているうちに、やがて日が傾いてきて、部屋が薄暗くなっていくのに気付いて顔を上げた。窓から僅かな斜陽が差し込んでおり、骨壷の白さがより際立つ。ぞっとするほど浮き出た白だった。その粟立つ感覚に促され、骨を一つ摘みあげる。これはどこの骨だろう。もう大きさとしては私の小指程度しかない。私はそれを床に敷いた新聞紙の上に乗せ、トンカチを手に取った。ガタガタとトンカチの先が揺れている。振りかざすと、またペンダントがちゃらりと胸元で鳴った。
 振り下ろす僅か一秒ほどの中で、脳裏には学生時代の出来事が過ぎっていた。
 
 私がまだ三級だった時、悟は私を雑魚だと呼んだ。私も若くて反骨心に満ち満ちていたこともあって、そんな悟を拒絶したのだが、悟は傑になにやら言われてから執拗に私の元に顔を出すようになった。
『雑魚だからこの俺五条悟がお前を見てやるよ』だなんだと言って、私の自主トレーニングに繰り返し口を出すようになったのである。最初は傑に文句を言い、なんとか悟を傑に連れて帰ってもらおうと必死だったが、悟の言うことが的を得ているのとに気が付くのに時間はさほど掛からなかった。そうして私は悟の指導を受けるようになって、その折に『お前は俺が死なせねぇから』と悟は言ったのだった。
 一語一句そう言ったのか、今はあまり自信はない。勝手に美化されるフィルターのせいでこんなにも眩しく感じるのかもしれないが、とにかく悟はそんなようなことを言った。傑はそんな悟に驚いていたし、私もひっくり返るところだったことを覚えている。
「私を死なせないというのなら、先に悟が死んじゃったらダメなんじゃない?」
 返事は無い。
 
 パキッ
 
 振り下ろされたトンカチの下で悟のカタチがより小さく砕かれた。
 振り下ろす、砕ける。
 振り下ろす、砕ける。
 傑のせいで要らぬ知識を得た私は遺骨ペンダントに大きい骨が入らないことを知っている。よくよく砕いて、ピンセットと小さな漏斗で遺骨ペンダントに骨を注ぐのだ。そうやって死を保存する。寂寞も哀傷もそうやって蓋をして閉じ込め、首からさげる。だからなのかな。思い出ばかりが眩しくてきらきらと瞼の裏に残り続けるの。
 ねぇ、馬鹿共二人。
 こんなに小さくなって、二人一緒に首からさげられるのってどんな気分?
 クリスマスに悟の骨を砕く私の気持ちはどう思う?
 
 ねぇ。
 ねぇったら。
 
 顎から伝った雫がステンレスのペンダントを濡らす。今日は聖夜。あなたたちの命日。




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