呪いを解かないで


 蛍光灯が点滅する。
 明滅する光に合わせ、無いはずの痛覚がずきりずきりと痛んだ。その度、脳裏には見覚えのない黒髪が揺れる。前髪のひと房、その髪の下の笑顔が白く縁取られた。
 しかし、私はその人を知らない。
 
 もう外は冬の空気に包まれ、場所によっては雪も降り積もっているらしい。先日テレビのニュースでは雪をかぶった富士山の様子がいかに素晴らしい景色なのかをコメンテーターが朗々と語っていた。
 雪ってそんなにいい物かな。
 テレビを見ながらそう思う。スキー場で楽しげに過ごしている人たちはこの時期を待っていたと意気揚々に話すけれど、私は冬が好きじゃない。寒いし、肌は乾燥するし、何より孤独が浮き出て息苦しい。クリスマスの辺りは一際その感覚が酷くなるのだ。頭痛がする。見知らぬ男の人の影ばかりがちらついて、気持ちの置き所が分からない。その度に気が付けばタバコのソフトパックを手に取り、ニコチンを肺に溜め込んだ。口から吐き出される二酸化炭素と白煙のごちゃ混ぜは心情に似ている。ふと、身体がぶるりと身震いをしたものだから、結露しかけの窓を閉めた。その時、誤って自分の人差し指を思い切り挟んでしまった。その衝撃で思わず肩が震えたが、痛みはない。私に痛みはないからだ。
 幼少期から怪我をしても痛くはないから泣くことがなかった。交通事故に遭って、片足をタイヤに潰された時も特に痛みはなくて、その事を告げると親は幽霊でも見たような顔をしたものだ。とにかく、私にはどうやら痛覚がないらしい。しかし、だと言うのなら毎年冬に感じるこの痛み≠ヘ何なのだろう。私はそれを勝手に頭痛だと思い込んでいるけれど、実は頭痛ではなく、幻痛というものなのだろうか。いや、それも訳が分からない。詰まるところ、私にとって冬は鬼門で、嫌な時期なのだ。
 
 今日も冬の痛みに耐えながら通勤する。私は勤め先で事務員をやっている。なんてことはない暇な事務員で、電話番をしたり、物の取り寄せ、それからお茶を入れるくらいが仕事だ。他にすることは、ぶつけたら「痛い」と口にすること。人の「痛い」話には共感すること。それは親から口酸っぱく言われていることである。私はそれを守って日々仕事をしていた。そのこともあって私は平凡な日常を送れている。はずだ。
 黙々と事務所に必要な備品の確認をして、不足しているものの発注をかけていると同僚の飯田が「ねえねえ」と気だるげに声を掛けてきた。
「なんですか?」
「聞いてくださいよぉ……恋って痛いですよね……」
「そうですね」と言いかけて動きが止まる。小指をぶつけた、だとか頭をぶつけたという話ではないらしい。「恋」って痛いのだろうか。人を好きになったことがない私には分からない。一拍悩んでから、「そうなんですか?」と返した。
「そうですよ! 浮気とか、隠し事とか、喧嘩とか! 心が痛いこと多いじゃないですか! でも人を好きになっちゃうことってありますよねー」
「心が痛い」
「そういう思いしたことありません?」
「ないですねぇ」と私は答えたが、なんだか胸に引っ掛かりを感じた。些細な違和感。初恋すら未だの私にそんな思いは関係ないはずだというのに、何故だか「ない」と答えるのに抵抗感がある。冬はこういった不可思議な感覚に襲われることが多い。
 
 チカチカッ
 
「あ、蛍光灯切れそうですね」
「本当ですね。交換してきます」
 すぐに背を向けて立ち上がると、背後から「よろしくお願いします〜」と間延びした声が掛けられた。私は別に構わないが、飯田さんの人にやらせる姿勢が好きでは無いと他の人たちがこそこそと言い合っているところに遭遇したことがある。分からないでもないが、別に文句を抱くほどではない。
 私は倉庫に向かい、雑多な資料などが詰め込まれている中に替えの蛍光灯を探す。確か前に交換したのも私で、その時には倉庫の棚から見つけたはずだ。少し埃臭い中を探して回ると、もう今はなくなった古い社員旅行のしおりなんかも出てきて、いつからこの倉庫が整理されていないのか辟易する。その時、ずきりと頭が痛み、激しい痛みに視界が明滅した。白む視界。思わず蹲る。他の痛みは感じない分、この痛みだけは鋭角だ。一瞬吐き気までが押し寄せて動けない。ぐっと胸を押さえて静かにしていると、倉庫の扉が開く気配がした。人の足音がする。その足音に合わせてずきんずきんと痛みは増し、とうとう床に尻もちをついて蹲った。血の気が引いていくのが分かる。
「大丈夫ですか?」
 その心配するような声が遠い。私は無我夢中で手を伸ばし、何かを掴んだ。しかし、意識はそこで黒く途絶えた。
 
 目が覚めた時には、応接室のソファーで横になっていた。焦げ茶色の革張りのソファー。まだぼんやりする頭で暫く天井を見つめていると、横からひょっこり顔を出した人物がいる。見知らぬ男性だ。またずきりと頭が痛む。
「大丈夫ですか?」
「あぁ……えっと、すみません。大丈夫です」
 見知らぬ男性にはどこか見覚えがあるような気がする。黒髪の前髪がひと房出ている、お団子頭の人。ハッとした。脳裏に焼け付き、頭痛の度に頭に思い浮かぶまさにその人だった。
「じゃあ、私はこれで。お大事に」
「待ってください、待って」
「何か?」
「え、っと……あの」
 私のこと覚えていませんか? と言うべきか一瞬悩む。そもそも、私だって目の前の人のことは覚えていないのだ。ただ、頭に残り続けていたUNKNOWN。この機会を逃してしまったら、私はまた原因不明の頭痛に毎年苦しめられるのかもしれない。糸口ならば何でも掴みたい気分だった。
「あなたの、名前は」
「ナンパかい? 社内ではやめておいた方がいいよ」
「そうじゃなくて! あの、私あなたのこと知ってる気がするんです」
「……私は営業だからね。知っていても不思議じゃ」
「そうじゃないんです! 会社に入る前から、ずっとずっと、頭の中にあなたの姿があったんです! 変なこと言ってるって自覚はあります。でも!」
 私が懸命に言葉を紡ぐのを、目の前の男性はただ静かに聞いていた。懐かしむような微笑みをうっすらと浮かべている。その眼差しに後押しをされて今までのことを全て話した。痛覚がないこと。なのに毎年冬になると頭が痛むこと。その度にあなたのことが頭に浮かぶこと。一気呵成に語る私の横に男性は腰を下ろした。見れば見るほど、どこか覚えのある横顔だ。この下にあるあどけない笑顔のことを思う。笑って欲しいと思った。そうして、私の記憶の中の姿と合致してほしい。そうすれば、何か思い出せるかもしれない予感。しかし男性は記憶の中ほどあどけない顔をしておらず、私が語り終わると苦笑を滲ませた。
「私は、君を呪っていたんだね」
「ノロイ?」
「そうだよ。痛みのない人生を送って欲しいと思っていたから。痛覚がなくなるとは思っていなかったけどね」
 男性は身体を丸めて、膝の上で頬杖をついた。その目は真っ直ぐ前を見ている。
「私は夏油傑。今回の名前は高林駿って名前なんだけどね、傑でいいよ」
「傑、さん」
「うん。それで、前世で君と心中した男だよ」
 心中という言葉が脳にじんわりと染みる。
「クリスマスに、二人でね。ああ、今回もまた冬だね」
「なん、意味わからな」
「うん。私たちはやり直しているんだよ、かなた。今度こそ二人で生きられる世界を探しているんだ。今回はどうかな。まだ分からなかったから君のことは離れたところから見ているだけだったけど」
 意味が分からない。だと言うのに、なぜ私の身体は男性に抱き着いているんだろう。分からない、何も分からないけれど。
 私に「傑」と呼ばれた男性の笑った顔は記憶の中の笑顔と寸分たがわない。その顔見たさに顔を近付けると、少し冷たい唇と唇が合わさる。どきりと跳ねた心臓は止んだ頭痛の代わりになっている。胸が痛い。
 離れたところから飯田の「うわ! 蛍光灯切れました!」と大袈裟に周囲に言って回っている声が響いていた。




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