アウトサイダー


 傑が実家で両親の死体と共に見つかった。そこに残されていた残穢からして両親を手に掛けたのは傑本人だと、それは間違えようのない事実だった。
 夜蛾先生からの緊急連絡で任務先から高専へ呼び出された俺は、分かりやすく動揺していた。近頃やっと出来るようになった術式での長距離移動を駆使して高専へと急ぐ。息を切らして戻った俺に夜蛾先生が言った言葉は簡潔であった。
 
「傑が非術師を殺した」
 
 高専の無駄に広い廊下の真ん中でその言葉は地に落ちるような声だった。
 
「は?」
「何度も言わせるな。傑が集落の人間を皆殺しにした」
「聞こえてますよ。だから「は?」つったんだ」
「……現在呪術師が複数人で傑の実家に向かっている。そこで見つかれば」
「即処刑対象ってか?」
「落ち着け悟。……俺にも何が何だか分からんのだ」
 
 大きな乾燥した手で顔を覆い隠す夜蛾先生は初めて見たと思う。しかし、眼前で混乱する教師よりも俺は脳内にいる傑に話し掛けていた。何考えてんだ。何やろうとしてんだ。何で非術師なんて殺したんだ。そう繰り返し問いながら、高専を飛び出した。背後からは夜蛾先生の声が聞こえていたような気もしたが、俺はただ軋む廊下を走ることに必死で後ろを振り向く余裕はない。駆け抜けた廊下の先は晴天で、貼り付けたような青空はどこか醜悪に見える。俺はその醜悪に足をつけ、空を軋む廊下を走るよりも速く駆け抜けた。
 
 
 俺が傑の実家に駆けつけた時、丁度別の呪術師が家に上がりこもうとしている瞬間だった。準一級が一人と二級が二人という構成だったが、傑を本気で止めるのならばあまりにもおざなりだ。死力を尽くさねば特級を止めることなど出来ないに等しい。そもそも、高専に傑は一週間近くも戻っていないという。だというのに誰一人として惨劇に気が付くまで傑を放置している高専のやり方も気に食わなくて仕方がなかった。
 俺は玄関前で緊張している三人を押し退けて玄関扉を開けた。噎せ返る血の匂い。甘酸っぱいような、鉄錆を思い出すような香りは馴染みのある香りだ。俺は三人に待機するよう言ってから土足のまま、綺麗に磨かれたフローリングに足をつける。場所は分かっていた。リビングだ。リビングからは血の匂いと傑の呪力が満ちている。俺は急に身体が固くなるような感覚を覚えながら、リビングに繋がる扉を開いた。扉は途中から血を噛んでぬるりと開く。惨劇という言葉が相応しかった。もげた手足すら肉片と化していて、それは乱雑に床に転がっている。ダイニングテーブルに引っ掛かった臓器は窓からの光をぬらりと反射させながら、血を滴らせていた。こんなことを傑がやるはずない。そう思うのに、喉が器官に張り付いていやに息苦しい。死体なんて見飽きているはずなのに、初めて感じる感覚である。
 そんな中で傑は座り込んでいた。おびただしい血溜まりの中に座り込み、ただ一点を見つめている。
 
「傑」
 
 情けない声だった。縋り付くような声音は自分が今まで聞いたことも吐いたこともない声音で、だがしっかりと傑の耳には届いたようだ。傑がゆっくり振り向く。傑の姿はソファーに隠れていて全貌が見えない。俺はゆっくり、血溜まりを踏みつけながら進んだ。一歩、二歩。ぴちゃぴちゃと鳴る血の音ばかりが空間に広がっている。そうやってゆっくり近付くと、傑の背中、肩、顔の全容が分かるようになった。想像通り傑は血塗れだったが、一つ予想外なことがある。傑が女を抱えていたことだ。
 
「……傑、ソイツ誰」
「……妹だよ、私の」
「お前兄だったのか」
「そうだよ。妹の目の前で両親を手にかけるような兄さ」
 
 妹はただ眠っているだけのように見える。血で汚れた傑に抱えられているその様は神聖さすら感じられるような、そんな不思議な光景だった。ついぼんやりする頭を叱責し、傑の肩を掴む。
 
「説明しろ、傑」
「説明も何も無い。どうせ夜蛾先生から聞いてるんだろ」
「だから集落の人間全員殺して、両親も殺したことに何も触れるなってか? 馬鹿言ってんじゃねぇよ!」
「私はね、悟」
 
 傑の声は痛いくらいに冷静だった。俺だけが世界中でただ一人慌てているみたいで、それが余計に俺の気を急かせた。だというのに、傑はゆっくりと話し始める。「私はね」という声はとても低く、そして柔らかい声だ。
 
「術師だけの世界を作りたいんだ。だから殺した」
「それで術師以外全員殺すのか!? 親も!」
「……家族だけ特別には出来ない。そう思ったさ、一度はね」
「一度は?」
「私にかなたは殺せない」
 
 傑はそう言って血を吸って重くなっただろう服のまま立ち上がり、振り向いた。姫様抱っこで抱えられた妹が眠りながらも傑の服の裾を掴んでいることが分かる。傑はその手を離そうとするが、眠っている人間の手は固くてそれが容易ではないのだろう。それとも、妹に対して強い力を使うことに躊躇いがあるのだろうか。ここまで残酷に両親を殺しておきながら、そんな精神を持ち合わせているというのか。傑は俺の名前を呼んだ。手元に注目していた俺が顔を上げると、雫が滴る様子に再び俺の視線は下に落ちた。透明な雫。涙だと理解するのに俺は少し手間取ってしまったが、それが涙だと気付いた時には足元の血溜まりは涙によって押し上げられ、更に面積を広げていた。
 
「かなたは、殺せないんだ。矛盾していると思うだろう。私も自分でそう思うんだ。かなたは非術師で家族で、両親と同じで。だけど、私は」
 
 私は、まで言ってから傑の言葉は止まった。顎先で溜まる涙の少し上にある口は戦慄いている。小刻みに震えるその動きを俺は今度こそ見過ごしまいとするが、俺はそこから傑の心情を読み取れない。その時、俺はふと思い出した。過去に傑が妹の話をしていた時のこと。
 
『何より大事なんだ』
 
 当時はそれをシスコンだと笑ったが、どうやら唯一殺せないと思うほどに大事な妹らしい。それが両親より勝ったのか、それとも両親とはまた別の感情を抱いているのかもしれなかった。
 
 俺が傑の顔に手を伸ばした時、ふと視界が暗くなる。ハッとした時にはすぐ真横の窓ガラスが割られ、先程俺が押し退けた準一級術師が勢いよく侵入してきた。傑は即座に術式を展開し、呪霊が室内に溢れる。警戒と拒絶。一旦俺との距離も離した傑に思わず舌打ちが漏れる。余計なことしやがって。しかしそんなことも分からない準一級術師は「五条さん! 大丈夫ですか!」と俺に声を掛ける。恐らくは俺の反応がなかなか無いために何かあったと判断して侵入してきたんだろうが、正義感からの行動にしては邪魔極まりない。俺は再び下がれと術師と傑の間に割って入る。傑は妹を強く抱き締めながら、虚ろな瞳でこちらを見ていた。
 
「傑」
「悟。妹を連れて行っていいのなら高専に行ってやってもいい」
「お前、馬鹿だろ」
「いいんだ。分かってる」
 
 術師は俺の後ろで戸惑う気配がしたこともあり、高専へ連絡するように指示を出した。素直に受け入れた術師は慌てて高専へと電話を掛け始め、再び俺と傑が相対する。
 
「……来い、傑。今ならどうにかなるかもしれねぇ」
「ならないだろ。もういいから妹を連れて行っていいか」
「……分かった」
 
 そこまで言うと傑は呪霊を仕舞い込み、改めて俺の方へと数歩近付いてきた。血で張り付いたシャツは傑のシルエットを浮かび上がらせるが、どう見ても痩せている。近頃痩せてきたとは思っていたが、どうにも状況から察するに絞っていたわけではないのだろう。顔色が悪くなっていく傑になんて声を掛ければいいのか分からないまま、この惨劇に辿り着いてしまった。
 
 
 傑は俺の術式で護送された。高専の敷地内にある封印の間に直接運ばれ、それでも尚傑は妹を手放さなかった。放させた方がいいと進言した術師の前で傑は妹の熟れた唇に口付けを落とし、そして威嚇をする。鋭い目は僅かに窪み、そこから生まれた影がより眼光を鋭くさせていた。俺はその口付けの意味もよく分からないまま、「妹はただの非術師だから問題ない」とだけ言って、結局は傑の思うままに妹とセットで封印の間にて封印されるのだった。眠り続ける呑気な妹を見つめながら、傑の両手両足は寸分違わず正確に固定される。俺が出来ることなんてものは精々妹の身体を傑と寄り添わせることくらいだ。
 
 その後、傑の処分は話し合われることとなったが、実質死刑以外にはないのだろうと分かっていた。百人以上をその場で殺す呪詛師もそういない。恐らくだが、呪術師の歴史に名を刻む名前になるだろう。最悪の呪詛師だなんて言われたりするのかもしれない。しかし、その最悪の呪詛師が唯一殺せない最愛の妹を連れて来ている。傑の目的が分かるようで分からない俺は頻繁に封印の間に足を運んだ。処分が正式決定するまでに少し時間があるらしい。すでに話が出てから四日が経過している。
 
 俺が封印の間にやって来ると、聞き覚えのない声がした。男より幾分高めの声は女の声だ。
 
「お兄ちゃん」
「大丈夫だよ、かなた。かなたは何もされないから。ほら、そんな泣きそうな顔しないよ」
「でもお兄ちゃんは何かされるんでしょ。んっ、やっぱりコレ取れないよ」
「かなたでは取れないよ、コレは。良いから、ほら、顔を見せて」
 
 そんなやり取りが聞こえてくる。封印の間の前に定期的に訪れる見張りの補助監督は何とも言えないような顔をしていた。きっと、こういうやり取りを俺がいない間にも続けているんだろう。俺は補助監督に声を掛けてから封印の間に足を踏み入れた。ぎい、と軋む扉の向こうでは傑と妹がまるで恋人のように寄り添い、口付けを交わしているところだった。俺はたじろぐ。一度見ているものではあったが、それよりも深い口付けに至っているところが俺には理解が及ばず、つい足は部屋を出ようとしてしまう。いや、いや。己を律して立ち止まり、再度傑たちを見た。
 熱っぽい眼差しを向け合う二人は状況が分かっていないのだろうか。
 
「……悟、盗み見はやめてくれないか」
 
 傑がそう言うと妹はちらりと俺を見るだけで、後は傑にしがみついて後ろに隠れた。その様子を目で追うと、傑が間に入り込んで来る。手足を拘束されているというのによくやるものだ。
 
「お前、多分死刑だよ」
「分かっているさ。覚悟もしている。ただ、頼みがある」
「頼み?」
「ああ。私は、かなたに殺されたいんだ」
 
 俺の口からは再び「は?」という声が出た。妹はただ黙って傑の背後にくっついている。
 
「私の世界を終わらせるのはかなただ。もう決めた」
「呪いに転じるだろ!」
「ならかなたに呪具を渡せばいい。ね? かなた、やってくれるね」
「……やりたくない」
「かなた。お願いだよ。兄ちゃんが他のやつに殺されてしまうのはかなたも嫌だろう」
「やだ。けどお兄ちゃんに死んで欲しくない」
「大丈夫。兄ちゃんが死んだらかなたも死ねばいい。一緒に逝こう」
「……それならいいよ。一緒に逝こ」
 
 そんなやり取りを呆気に取られながら見つめていた。本気なのだ。本気で傑は妹と心中しようとしている。術師だけの世界を作りたいと言っておきながら、それが出来ぬなら非術師の妹と心中をするって? どんな矛盾だよ。だんだん腹の虫がおさまらなくなってきた俺は傑に近付き、勢いのままに襟元を掴んだ。
「なんなんだよ」と呟く俺に傑は何も言わない。「なんか言えよ」と俺は続ける。
 
「……私は、私でありたかった。でも同時に君みたいにもなりたかったんだ。かなたを守れる強い、君みたいな奴になりたかった。でもなれなかった。君が特別だからだ。そして私はもう一つの特別にもなれなかった。かなたが私の特別だからだ。君たちのお陰で何者にもなれない私が完成したってワケだ。ありがとう。そしてさようなら」
 
 傑はそれ以上何も言わなかった。
 事切れたように俯く傑と、そんな傑を背後から抱き締める傑の最愛だけが在る。
 
「   」
 
 俺はそれだけ言って、二人の首を同時に刈った。傑の願いは叶えてやれなかったけど、共に逝きたいと言うのならこの方が良かっただろう。二人分の頭がごろりごろりと転がり、元あった場所からは鮮血が天に向かって伸びていた。しかし重力に大して逆らえず、そのまま地に沈む。その後、司令塔を失った肉体はゆっくり重なって崩れた。俺は二人の血が混ざって一つになっていくのを眺めながら、ずっとコイツの矛盾と愛について思っていた。
 
 俺ってお前にとって何だった?
 
 死人に口は無い。




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