流星、星を抱いて


 青天井が丸く広がっていた。手を限界まで伸ばせばギリギリ手が届いてしまうのではないかと思われるような作り物の空はどこか不格好で、私はそれを眺めながら空間の隅で蹲っている存在について考えていた。声を掛ける。しかし、反応がない。改めて私は空間を見回した。
 
 小さなプラネタリウムのような空間にはベッドや冷蔵庫、トイレや風呂が設置されているようで生活する分にはなんら問題はなさそうである。しかし、密閉された空間で酸素などの生きるための条件は不明瞭だ。その時、突き抜けるようなハリボテの空に流星が駆けた。自然界ではなかなか見れることのない、遥か頭上ではない流れ星に思わず目が奪われ、顔を上げる。一つ駆けたかと思えば、流星群のように星は慌ただしく駆け始めた。思わず「わぁ」と声が出る。それまでは彼と私の小さな呼吸音だけが空間を漂っており、ありとあらゆる感情を飲み込むような静寂だけがあった。
 
 煌々と輝く星々が走り、その先には蹲っている彼がいた。名前は脹相と言うらしいことを学生である虎杖くんから聞いていた。脹相という男はよく分からない男で、初対面で殺し合いをしたにも関わらず突然自らを虎杖くんの兄だと自称し始めたらしい。完全に巻き込まれ事故なのだろう虎杖くんには同情を隠せないが、また今の私の状況もきっと巻き込まれ事故なのだろう。だが、彼に対して悪い印象といったものは一切ない。変わった人など呪術師には有り触れているし、なんなら面白いとすら思っている。だから少し親しくなろうとクッキーをあげてみたり、食事に誘ってみたりもした。彼は意外にもそれらを拒絶せずに受け入れてくれることが多く、それが私の最近起こった良いことであった。
 
 空間の端には左右一つずつ扉があり、都合よく考えればこの小さな空間からの出口であるように思えた。しかし扉の先が更に小さな空間である可能性も捨てきれない。特に記号などもついておらず、呪力で満ちた空間の中では残穢などが手掛かりになることも難しい。結局のところ手詰まりでベッドに腰掛けた私は再度彼との会話を試みた。
 
「あのー、脹相さん」
「……」
「ここから出たいんですけど」
「……」
 
 さっきからこの調子だ。彼の隈の深い瞳は床を見つめ、ただ静かに蹲っている。私は仕方なく柔らかいベッドから身体を起こし、星の行先でもあった彼に近付いた。たった数メートルの距離を縮めると、さっきからずっと聞こえていた彼の乱れた呼吸がより大きく聞こえる。
 
「脹相さん」
「……すまない」
 
 やっと返ってきた言葉が謝罪だった。謝るくらいなら出して欲しいが、そもそもプラネタリウムなような、スノードームのような空間に私を閉じ込めたのが彼という確信もなかった。記憶が確かなら彼と虎杖くんと私で行動しており、任務の途中の筈だ。私は補助監督として二人をサポートし、任務の内容を告げていた。任務の内容は特定の夢を見ると姿を消してしまうという内容であり、その夢に関する呪霊の特定がある程度済んでいたので虎杖くんに任務の命が下ったのだ。彼に関しては何故か着いてきたというイレギュラーである。本来であれば他の任務に当たってくれと言うところだが、近頃は私の任務に彼が着いてくることが不思議と多かった。本来の任務に当たる呪術師はいるのに、彼はいつも「おまけだ」と言って着いてきた。実際、とても強い呪術師なので助かることを身に染みて知っているので、今回も勝手に着いてきたことを多めに見たのだった。
 
「これは脹相さんがしたんですか」
「そうだ」
「ここから出る方法教えてもらえますか?」
「出来ない」
 
 簡潔な言葉ではあるが、ハッキリとした拒絶につい困ってしまう。癖で額を軽く掻きながらやはり目がいくのは左右の扉だ。出口かは分からないが、この行き詰まった状況のままよりは幾分かマシだろうか。
 
「じゃあ私は右の扉に行きますからね」
「ダメだ」
「どうしてですか」
「お前は聡くて、弟にも優しい。俺にも分け隔てなく話してくれることが嬉しかった」
「……それは、どうも」
 
 突然褒められるが「だからダメだ」と彼は言う。意味が分からないままでいると空は次第に暗く曇天に染まっていく。すると自然と空間内は暗くなり、翳った空間はいやに虚ろだ。背筋が震える。幽霊か何かに背中でも撫でられたようである。とにかく、と呟いて私は立ち上がり、右の扉へ行こうとする私の足を彼が掴んだ。左足首を掴まれた私は前のめりに転びそうになりながら、なんとか踏みとどまって彼を振り返る。彼は顔を上げており、目が合った。
 
「この空間は時間の流れが遅い。この空間にいるのが重要なんだ」
「どうして?」
「お前が死ぬからだ」
「え?」
 
 空は更に翳っていく。薄暗い中に彼の白い服がぼんやりと浮かんでいた。その様は先程背中を撫でた幽霊のようで内臓が縮み上がるような感覚がして、思わず腹の前で両腕を組んだ。その時、ぬるりと感触がして手元を見た。黒っぽい液体が私の腹部を濡らしており、ゆっくりとシミを広げていく。自覚した瞬間に「え?」と零した口からも黒い液体が出ていく。よく見れば赤色を帯びており、それが血だということは瞬時に気がついた。ゆっくりゆっくりととろみのある液体のように血は流れていく。
 
「近くに家入硝子が来るまではこの空間に居た方がいい。外に出た瞬間、お前は死ぬだろう」
「……じゃあ、虎杖くんは」
「悠仁は無事だ。恐らく人を呼びに走っているだろう。だから堪えろ」
「虎杖くんは本当に無事なんですね?」
「……お前のそういうところは悠仁と似てる」
 
 一瞬彼の表情が緩んだ。弟、もとい虎杖くんの話になると途端に柔らかい表情になるものだなと改めて感じていた。そんなことを考えているうちに彼が立ち上がり、そのことに驚いた私の身体を強く抱き締めた。硬直する私の身体を両腕で閉じ込め、そしてその背中を優しく撫でてくれる。
 
「俺はお前に死んで欲しくないんだ」
 
 下から上へ、血が零れていくのを逆らうように彼が背中を撫でた。溢れ出した血は決して元には戻らないけれど、それでも一見冷たそうに見える彼の身体が温かくてつい瞼が下に下がる。咄嗟に目を開くけれど、また瞼が下に落ちていく。次第に目を開くことが難しくなり、彼越しに見えていた空はすっかり真っ暗闇へと変わっていた。その暗闇の中で声がする。
 
「ありがとう。俺たち兄弟を他と同じように親しくしてくれて。そして守れなくてすまなかった。ゆっくり休め」
 
 ああ、確かに疲れていたのかも。
 痛みもなく、ただ静かにゆっくり身体から力が抜けていく。
 
「脹相さん」
「なんだ」
「私、貴方のこと勘違いしてました。ごめんなさい」
「構わない」
「また……ご飯行きましょ、うね」
 
 その言葉を彼に告げると、ぐっと抱き締められる感覚が強くなる。痛いですよと伝えたいのに、私はもう眠くて堪らない。意識が静かに沈んでいき、空に溶けていく感覚がする。眠りに落ちる寸前、熱を帯びた星が眼前に駆けた気がした。




×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -