唯一守れるもの


 気まぐれに受ける仕事は決まって殺しの仕事だ。護衛なんていう守る≠謔、な仕事はガラではないし、取り返す≠謔、なことも俺には向いていない。奪われたモノなんて大概が弱く、脆く、関わったところで壊してしまうのがオチだと分かっているからだ。だから俺は壊すことが前提のそういう仕事しか受けない。勿論金を積まれたら考えなくもないが、結局のところ仕事が失敗すりゃ金どころではない。それなら自分に向いている仕事をすることが一番効率的だと思う。だから俺は人を殺す。呪術師を殺す。分け隔てなく奪う。奪い、壊し、切り捨てる。
 
 それさえ面倒な時には女の家で寝るに限る。
 かなたが仕事に出掛けた後、アイツの匂いがするベッドに寝転がって息を深く吸うと、普段脳の使っていない部分が使われる気がした。俺とは無縁な穏やかさであったり、怒りとは違う熱量が胸に満ちる感覚があった。それが心地良い。アイツそのものであるような香りに包まれると自然と瞼が降りてくる。俺の頭を撫でる幻覚を感じてそのまま意識のスイッチを切った。ばちんと消える光の奥にずっとかなたがいる。そのかなたに手を伸ばし、腕を掴み、柔らかな胸に顔を埋めて眠るのだ。仕事なんてモンはやめだ。俺にはこの時間が必要だ。深く、女の腕の中で眠る。しかし、俺は踏み込んではいけないところに踏み込んでいる自覚もあった。
 
 ――――かなたが死んだら?
 
 ぞくりと背筋が震えた。命を奪う側である俺が奪われることを恐れ始めている。その事実は紛うことなき事実ではあったが、誰にも悟られてはいけない事実でもあった。誰にも伝えず、かなたにすら他の女の存在を仄めかし、俺はお前のモノではないのだと嘯く。とっくにかなたの所有物である筈の俺はそうやって嘯くことでしか、境界線の引き方が分からない。だから抱きたくもない適当な女を抱いて過ごす一日もあるのだ。そういう日は決まって腹が減らない。五感が死んでしまうのかもしれなかった。かなたと食べる食事は美味くて、だから勝手に手が進んでしまうが、そういったことがない。より、俺のかなたに対して傾いていることが身に染みて感じていた。
 
 ――――かなたが死んだら?
 
 やめろ。やめろ。頭を振ってその思考を切り取ろうとするが、五臓六腑にまで染みるような恐ろしい思考は剥がれ落ちない。アイツが枕代わりにしているバスタオルの塊を抱きしめる。特に濃い香りの場所を探して深く息をした。胸に満ちるかなたの輪郭を瞼の裏で描きながら眠りについた。
 
 
 その日は俺は珍しく仕事に出向いていた。東京すら出て、地方都市の小さな町だ。今日はかなたが友人と出掛けるらしく、暇だったこともあって二〇〇万の仕事を受けた。本来ならそんな安請け合いはしないのだが、まぁ気乗りしたので良いとする。鍋底の焦げのように離れない不安という二文字を払拭する為にも仕事に対して意識を集中させた。大した仕事ではない。御三家の末端である野郎を殺すだけだ。確か久しぶりに生まれた相伝の術式を持つ男らしく、蝶よ花よと育てられているらしい。そこから地獄に突き落とすことを思うと面白く、つい喉が鳴る。
 
 喉の奥から呪霊を吐き出し、呪霊に飲み込ませた呪具を取り出した。じゃらりと音のなる鎖を構え、ノコノコと目の前に出てくるターゲットを殺す、だけの筈だった。視界にかなたが映ったのだ。咄嗟に姿を隠す。ターゲットと横並びで友人と笑いながら歩いているかなたの声がした。遊びに出掛けるって、こんな地方にまで足を伸ばすのかよ。舌打ちしたい気持ちを抑えて物陰でこっそり殺す方向性に舵を切る。男の足音と女の足音は全く違うため、耳をすませればターゲットの足音だけ浮いて聞くことが出来た。砂利を踏む僅かな音が俺のいる方向にゆっくり近づいてくる。地面を踏み締めた。
 
 が、そこで聞き慣れない声と聞き慣れた声が交わる。ターゲットの男がかなたたちに声を掛けたのだ。内容は道を聞きつつのナンパだと判別出来る。地元の人間の癖して駅の場所まで案内して欲しいなどとのたまえば、目的はそれくらいだろう。とうとう漏れた舌打ちをして呪具を呪霊の中に仕舞い込み、呪霊を口に流し込んだ。ごくりと強い抵抗感が食道を通っていく感覚を確認してから、かなたたちの方を覗いた。かなたは断ろうとしているようだが、男が食い下がって着いていこうとしているようだ。思わずため息が溢れ、手はかなたに向けて電話を掛けていた。俺の声が届かない場所にまで走って移動したところで、かなたが電話に出る。
 
『もしもし、甚爾くん?』
「俺もう帰るからお前も帰ってこい」
『え、でも』
「でもじゃねぇ。迎えに行くから帰るぞ」
 
 それだけ言って電話を切り、少し離れた所からかなたたちの様子を見る。五分ほどしたら声を掛ければいいだろう。場所も聞いていないが、どうせかなたのことだ。キスでもしてそのままセックスしてしまえばそんな疑問も忘れてしまうだろう。そういう馬鹿なところが俺は気に入っていた。
 
 しかし予想に反して男がしつこく、見えなくとも呪力強化を使ってかなたの腕を掴む瞬間が見えた。ただの人間ならまだしも、呪術師、殊更今回のターゲットにして言うなら俺の獲物だ。そんな獲物がかなたに牙を剥いている気がして思わず飛び出した。足に力を込め、たった数歩でその場に辿り着く。俺の急な登場に男は目を白黒させていたが、かなたの俺に対する甘ったるい反応を見てすぐにかなたから手を離した。そのかなたの腕が赤くなっているところが見えてしまい、カッと頭に血が上る。
 
 ――――かなたが死んだら?
 
 その言葉が頭を過ぎる。俺のターゲットに無惨にも殺されるかなたの死に顔が頭に浮かび、チリチリとした焼ける感覚に頭を僅かに振った。「甚爾くん?」とかなたの声がする。心配をしている声音が含まれており、俺の様子が変だと言いたいのだろう。俺がゆっくり顔を上げ、男を見ると、男は分かりやすく狼狽していた。顔を真っ青にし、少し震えている。気付けば俺自身が男に対して威嚇していたことに自覚が浮かんできた。どうやら蛇に睨まれた蛙だったようだ。男はすみませんでした! と弾けるように叫び、一目散に背を向けて走り出した。俺はそれを数秒した後に追い掛け、人気のないところに追い込んでから殺した。振り回された割にはあっさりとした幕引きだった。後ろから心臓の位置を抉られ、そこから真っ直ぐに身体を裂かれた男の身体は容易く崩れ落ち、とても静かな終わりである。そして死んだことを確認してから写真を撮り、それを孔に送り付けて終わりだ。近くで待機していた孔に死体を預け、俺は元いた場所に戻る。殺した場所は先程かなたがいた場所からそう遠くはない。たかだか二五〇メートル程度しかなく、一本路地裏に入っただけに過ぎなかったが、かなたはそれでも俺が戻ってくるのを一人で大人しく待っていた。
 
「……ダチは?」
「帰ってもらったよ。私たちも帰るんでしょ?」
「おう」
 
 ちらりと見える手首はまだ赤い。すると腹の底から何か熱くてどろりとしたものがせり上がってくるのを感じる。嘔吐感にも近いそれを抑え込むと、の辺りがぢりぢりと焼けるような感覚がした。これは分かる。怒りだ。恐れから来るどうしようもない怒りだ。ぐつぐつと脳内で何かが煮える音がした。咄嗟に赤くなった手首を掴むと、かなたが小さく痛いと漏らす。ぐつぐつという怒りが大きくなっていくのが分かり、その手首に噛み付いた。自分の歯が柔らかい手首に沈んでいく。かなたは痛い痛いと抵抗していたが、そんなものは赤子の寝返り程度のもので大したものではない。柔らかい肌は体温に合わせて甘く香り、一枚の薄い皮を隔てて血潮の脈動を感じる。そこをぷつりと歯先で破くと僅かに血が滲み、それを舐めとると甘露のような味がした。しかし、「やめてよ甚爾くん!」という声が脳に染みた辺りで噛み付く力が抜けていき、とうとう顔を離した。するとかなたは丸い瞳からぼろぼろと涙を流しており、俺の瞼が僅かに上下する間にも瞳からは絶え間なく雫がこぼれ落ちていた。
 
「甚爾くんの馬鹿!」
「……悪い」
「甚爾くんのアホ! 痛いって言ってるのに! 馬鹿!」
 
 そんな言葉を浴びせられて、頭が冷静になっていく。ぐすぐすと泣く女を前にして心が凪いでいっていた。人間が泣くのは生きてる証だからだろうか。その考えに自分で納得をしてから、かなたを腕の中に閉じ込める。俺の腕の中でかなたは尚も「馬鹿!」と文句を垂れ続けていたが、俺がその背中を撫でると次第に落ち着いていく。そんなチョロいところもかなたの良いところで、俺の心の水は満たされて凪ぎ、静かに揺蕩う。かなたのつむじに顔を埋めると布団からしていた僅かな匂いが確かな密度を持っており、つい口元が綻んだ。そして、俺の「帰ろう」という言葉に「帰りたい」とかなたが言うものだから、血の着いていない左手をかなたと繋いで家に帰った。
 
 男の死体は孔が何とかするだろう。
 俺は殺し以外の仕事は受けないが、かなたを守ることだけは自主的にやってもいいと思える唯一だった。




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