東京高専の色恋模様


 閑散とした東京呪術高等専門学校には人影が少ない。数多の人間が所属している場所ではあるが、秋の枯れ木が相応しい活気であることに変わりがない。時折多忙そうに手元に視線を落としながら足早に行き来する黒い喪服のような人間が見れる程度であり、家入硝子が普段から入り浸っている医務室は殊更活気からはかけ離れた場所であった。定期的に死体や怪我人が運ばれてくることはあっても、それを人の活気として呼ぶには抵抗がある。
 冷たい秋風に建物が軋むと、学校全体が溜息をつくように見えた。
 
 そんな日々の中で、相も変わらず医務室の住人と化していた硝子の所に怪我人がやってきた。新人の補助監督である。今年度の夏からやってきた新人の補助監督は未だ若く、学生感覚が仄かに残っているような元気な補助監督だった。補助監督の一人一人の名前を覚えているわけではない硝子は治療の際に記録を残すため、名前を確認する。すると、若い補助監督の男は佐伯と名乗った。よくある佐藤の佐に伯方の塩の頭文字で佐伯。そう言われながらバインダーに留められた治療一覧に佐伯の名前と、簡単な治療内容を記した。佐伯の怪我は右大腿部の殺傷であり、呪霊を祓いきる前に帳が上がってしまい、巻き込まれてしまったとのことだった。結界術というものは誰にでも出来る簡単なものであれど奥は深く、油断すればそういった出来事も往々にしてあることを硝子は知っており、偶にあることだなという認識で冷静に反転術式を施した。
 
「いや、お忙しいのに申し訳ありません!」
「いいですよ。足は動かないと不便ですし」
「あはは、やっぱり家入さんは優しいですね」
 
 優しいというのは少し違う気がする。戦場に出ない硝子なりの戦い方の一つであって、それを優しいと言われるとなんとも違和感のある言葉になる。しかし逐一指摘することでもないか、と硝子は治療を続けていると、佐伯は言葉を続けた。
 
「それに比べて、夏油さんって、その……ちょっと怖いですよね。圧があるというか」
 
 珍しい話題に顔を上げた。夏油と呼ばれる男は一人しかおらず、その当事者であろう夏油傑は比較的物柔らかな態度が特徴的である。「夏油さんって優しいですよね」と色めき立つ補助監督は知っていても、怖いと言われていることは珍しい。話題を広げるつもりはなかったが、つい「へぇ、なんでだ?」と言葉を続けてしまった。血の着いたスラックスを脱いでどこか心許ない佐伯は治療台の上で曖昧に「いやぁ」と濁そうとする。きっと何かあったのだ。硝子の手元で消えていく切創痕にちょん、とわざと指先を当てると佐伯はびくりと肩を揺らした。そのささやかな接触が硝子の『言え』という意思に感じたらしい佐伯は一人でわたわたしながら「いや、あの」と漏らす。
 
「あの、呪術師のかなたさんっているじゃないですか」
「ああ、いるね」
「実は僕、かなたさんって良いな〜って思ってたんですけど、そのことを夏油さんに漏らしたらめちゃくちゃ睨まれたんですよ! 顔は笑ってたんですけど、アレは絶対に怒ってましたよ!」
 
 その佐伯の言葉に思わず苦笑が漏れる。
「なるほどなぁ」と冷静に返すものの、夏油の余裕の無さについ笑ってしまっていた。
 かなたは夏油、五条、硝子の同級生だ。
 それゆえに硝子は自分も含めた人間関係の図はなんとなくでも理解はしている。夏油がかなたの話になると途端におかしな反応をするようになったのはかれこれ三年ほど前の事で、なんなら違和感があったのは学生時代の二年生の時ですらある。夏油から「かなたの好みのタイプとか知ってる?」と私に聞いてきたり、五条には「悟の知ってる人で、私が気になってる人がいるんだけど」と先手を打ちまくっていたのだ。なるほど、外堀を埋めていくタイプなのだと納得した記憶がある。その外堀の敵として佐伯は認識されたのだろう。可哀想に。
 
 佐伯の切創痕が綺麗さっぱり消え去ると、礼を言われて血の着いていないスラックスの替えを提供した。医務室にはスーツ類であれば幾らでも替えが置いてある。その一つを手渡した時、医務室の扉が三回ほど叩かれた。入室を示す音に「はい」と返事をすると、補助監督の一人がひょっこりと顔を出した。その補助監督は名前を覚えている。新田だ。
 
「佐伯さんの怪我の様子どうっすか?」
「もう大丈夫だ。今治療が済んだとこだよ」
「新田さん! わざわざすみません、もう大丈夫です!」
 
 そう言って佐伯は足をぶんぶんと動かして見せ、それを見て新田は「良かったっす!」と独特な喋り方で安心したような顔を見せた。しかし、新田はすぐに何かを思い出したような顔で佐伯の耳元に口を寄せる。
 
「聞いたんすけど、かなたさんのこと好きなんすか? かなたさんは夏油さんが溺愛してる彼女さんっすから諦めた方がいいっすよ」
 
 小声で言っているのだろうが、はっきり端から端まで聞こえている。それに対して佐伯は「やっぱりそうなんですか!?」と大声で反応し、分かりやすく頭を抱えた。いつもは静かな医務室に明るい話題があるのは無性に面白いのだが、ただ夏油はかなたと付き合っていただろうかと疑問に感じる。かなたと硝子は仲がいい。彼氏なんて出来ればすぐに報告が来て然るべきだが、それはない。
 
「新田さん、そのこと誰から聞いたの?」
「え! 夏油さんが言ってたっす!『かなたと私は愛し合っているんだ』って。かなたさんは周りに隠してるつもりだから、あんまり話題には出さないで欲しいとも言われましたけど……」
 
 ああ、紛うことなき外堀である。そうやって周りから二人は付き合っていると思わせて、男をかなたから引き離すつもりなのだ。なんとも遠回しなクズのやりそうなことだ。呆れながら冷めきったマグを手に取り、ひんやりとするコーヒーを口から臓器に流し込む。そんな硝子の心情など知らぬ補助監督二人は失恋という言葉を面白おかしく話題に挙げながら医務室を出ていった。途端に活気を失う医務室だったが、この寂れた学内でも必死に恋愛している馬鹿がいるのかと思うと、この空間も悪くない。硝子は新しくコーヒーを淹れ直しながら、夏油に『さっさと告白しろ』と送ったのだった。




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