ジャックオランタンの悪戯


 愛しい影を追い続けている。
 もらった言葉を抱き締めて、無くさないようにそっと胸の内にしまって生きる私は未練たらたらで、五条からすれば『馬鹿なオンナ』らしい。その自覚はやっぱりあって、東京の中でも辺鄙な土地にある東京呪術高等専門学校に所属しながら、日々思い出の残り香を吸い続けていた。
 
 呪術師は忙しくて良い。自分の命さえ考える隙がないほど多忙を極め、目の前の命を取りこぼさないことにばかり意識がいく。そうすれば胸に巣食う愛しい影だけを追う日々ではなくなるので、私はそうやって日々を過ごしていた。任務、任務、任務、出張、任務。そうして立て続けに任務を入れるとどこかで急にパタリと任務が途絶える。途絶える理由は分かっていて、同級生の五条が伊地知くんに言って私の仕事を制御しているのだ。別にそんなことをされなくたって私の限界くらいは自覚があるのに、その限界の前に勝手に任務から外される。その繰り返しだ。多忙の後には必ず暇な時間が出来て、そしてその間にまた甘苦い思い出が私の後ろ髪を引いて離さない。
 
 夏油傑。同級生で、好きな人で、好きだと言ってくれた人で、そして高専を離反して去年死んだ人。傑の隣に立てたことがあるなんて驕りは決してないけれど、最後まで私を置いていった人。酷い話だなぁと何万回も思ったことを改めて思って、色付き始めたハナミズキを見上げた。東京高専のグラウンド横には連なる桜の木に混ざって、ハナミズキが植えてあった。そのハナミズキは秋になると赤く染まり、小ぶりな赤い実をつける。それが実りの秋を感じて好きだと、学生時代に傑に言ってみたことがあった。そもそも傑は「ハナミズキって曲しか知らなかったな」とかいうタイプで、思わず笑ってしまったことを覚えている。秋に紅葉するのはイチョウやモミジだけじゃないんだよ。と会話して一〇年以上が経過していることに舌を巻く。
 
 なのに、まだ鮮明に視界の端には黒髪の男が立っていた。いつどこを見ても必ず私の視界の中にいて、そしてたまに振り返る。「見すぎ」って言って笑う君の顔が何度もリフレインした。壊れたビデオデッキのようなもので何度も何度もそのシーンを繰り返し思い出す。きっと私は死ぬまでそのはにかんだ顔を思い出して死んでいくのだ。戦いの最中であろうと、病死だろうと何時だってそう。未来のことは分からないけれど、それだけは私にとって確かなことだった。
 
 だからその姿を見掛けた時、私はまた自分が見ている夢だと思った。
 
 その日はハロウィン当日で渋谷には数々の仮装をした人たちが集団でひしめき合っている。ここ数年呪霊の発生も確認されているイベントの一つだ。もう秋も真っ只中だというのに仮装をする人々は薄着で、その密集した熱に浮かされて半分暴徒化する者までいる。性犯罪にまで繋がるこのイベントをどう楽しめばいいのか分からない私は、日暮れ前から渋谷周辺を警戒して回っていた。中には警察のコスプレをしている人と本物の警察が入り乱れていて、人々は人の言葉に全く耳を貸さない。集団心理というものは恐ろしい。そういったことが許されているような気になってしまうのだ。そういったことに呪霊が関わらぬよう、低級の呪霊も成長する前に祓いながらスクランブル交差点の周囲を歩き回っていると、丁度日が沈み始める。朱色の光線がビルの縁を染めて浮き上がる光が足早に駆けていく。その夕日に一瞬目を奪われた、その時だった。
 
 視界の端に見慣れた筈の姿がちらりと映った。思わず勢いよく振り返る。そこには仮装をした人間たちに混ざって五条袈裟姿の傑が闊歩していた。時が止まる。その代わりにドクンと大きく心臓が跳ねた。またお得意の夢かもしれないと思って自分の手の甲を思い切り抓るが、そこには痛みがあるだけで視界は変わらない。スローモーションのように長い髪が揺れている。見慣れたお団子姿ではないけれど、明らかにそれは夏油傑だった。気付けば足は走り出していた。激しく人波に揉まれながらも真っ直ぐ傑に向かって走る。足の感覚はない。ただ、死んだ人間の亡霊が見えているに過ぎないことは分かっていたのに、私の理性はとっくに投げ捨てられていた。
 
「傑!」
 
 叫んでその背中を追う。そのまま都心メトロ渋谷駅に突っ込んでいく。入口を人を縫いながら進んでいると、ふと視界から傑が消える。切れた息をそのままに周囲を見渡す。周りの人間は私を迷惑そうにしていたけれど、そんなことに構う余裕は一切ない。
 傑。傑、傑、傑。
 ひたすら心の中で名前を呼びながら見渡していると、壁に背をもたせて右手を小さく上げている傑と目が合った。私が日々繰り返し思う笑顔とは少し違う笑顔がにっこりと弧を描いており、数メートル先でも唇の薄い口が「かなた」と呼んでいるのが分かる。強烈な違和感。だというのに、身体は勝手に傑目指して歩き出す。人波に逆らって歩くと、傑は細めた目を少しだけ開けて愉快そうに笑っていた。
 
「やぁ、かなた。久しぶりだね」
「……傑、なの?」
「亡霊でも見てるような顔だね」
「生きて、るの?」
 
 そこまで言った私の手首を傑の大きな手が掴んで、心臓の辺りに私の手のひらをつける。すると、指先からとくんとくんと脈動を感じる。その事実に胸が熱くなり、思わず目頭が燃えるように熱くなった。じわりと視界が歪む。
 
「傑……」
「会えて嬉しいよ」
「私、も」
 
 傑に掴まれていない方の手で傑に抱き着くと、お線香のような香の香りが胸いっぱいに入り込んできた。温かい香りにほっとすると同時に、私の腰に手を回す傑にほんの少しの違和感を感じていた。こんな風に私を抱き締める男だっただろうか。なんだか背筋がひやりと冷たい汗が伝う感覚がして、咄嗟に傑の胸を押して身体を離す。すると、温かくて柔らかいものが唇に触れた。湿った唇同士がむにりと互いの圧で柔く形を変える。傑が吐き出した二酸化炭素が私の口を伝って臓器に流れ込んできた。そのまま濡れた唇が私の舌をほじくり出して、赤い舌同士が絡み合う。はぁ、と私が息を吐くと傑もその二酸化炭素を吸って、くすりと笑った。違和感。ちゅるりと私の舌を吸う姿が全く知らない人物のようで、地面を蹴って一気に距離を離した。が、既に遅かった。足に力を入れた瞬間、ぼたりと腹部から鮮血が零れ落ちたのだ。理解が追い付く前に傑の笑った顔が歪んでいるところがハッキリと見える。
 
「最期にいい思い出が出来て良かったねえ」
「……おま、え……誰」
「君の大好きな夏油傑だよ。最期は好きな男に殺されるのなら本望じゃないか」
「お前が……」
「お前って酷いなあ。優しい悪戯じゃないか」
 
 偽物に気付くのが遅かった私が悪かったのだろうか。キスの仕方で別人だと気付くなんて。ぼたりと臓器がまろび出る胴体がぐらりと揺れる。霞む視界。でも、最期に見えたのが傑の顔で良かったなんて、五条が言っていたことは本当だったなと視界が赤く染まる直前に思った。




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