rigain


 傑と付き合っていた時期がある。
 それはまだ私たちが青春真っ只中だった時一年の終わり頃のことで、そこに斜陽が差したのは三年の春の終わりのこと。それまで比較的楽しくやっていたはずだったのに、突然、傑の言葉で終わった。
 
「ごめん。今の私には君と付き合う資格がない」
 
 その一言だけだった。私がどれだけ「意味がわからない」と説明を求めてもそれ以上何かを言うようなことはなく、ただそれだけであっさりと私たちは同級生という枠に戻されてしまった。咄嗟に熱くなった目頭を誤魔化すために天井を向いて少しだけ笑ってみせたが、意味はあっただろうか。
 
 納得がいかない気持ちで四六時中もやもやしていた私だったが、それ以上に窶れていく傑が心配で彼女という枠から強制的に外されたというのに傍に居続けた。求められていなくても話し掛け、拒絶されても隣に座り続けた。いつ頃からだっただろうか。とにかく傑の気を逸らしたくて、後輩の指導に力を入れたらいいんじゃないかと提案をして、傑は案外それには簡単に乗ってきた。その頃には悟と傑は別行動を取ることも多かったので、傑はその分後輩への指導に熱中するようになる。灰原や七海はそれを有難がったし、後輩の目に見えて成長していく様子に傑も嬉しそうだ。そうなってくるといい加減、彼女の枠を降ろされた私にやることはない。時折後輩の分も含めて傑に差し入れをするくらいで、でもその時期になると傑も普通に「ありがとう」と受け取ってくれるようになっていた。
 
 同時に、私では傑にどうしてあげることも出来なかったんだとも思う。別れを切り出されても当然か。そう思い、次第に距離を離していった。高専自体も段々と授業は無くなっていき、距離を取るのはあまりにも簡単になっていく。その寂しさを誤魔化すように任務を立て続けに入れるようになった私自身、彼氏の存在に浮き足立たなくなっていて集中出来ていたのかもしれない。次第に実力を伴うようになっていって、そのまま傑とはただの同級生のまま、高専を卒業した。
 
 
 ところまでは良かったのだが、どうして今こうなっているのだろう。
 
「あ、かなた。君これ欲しがってただろう。はい、これあげる。あとこれも。君最近寒がってたから必要かと思って。あと乾燥対策にこれもあげる」
 
 任務から帰ってきた傑に一言挨拶しただけで矢継ぎ早に四つも五つもお土産をもらう。ただのご当地お菓子とかだったらまだ分かるのだが、私の状況に合わせて的確に欲しいものを買ってくるのだ。所謂、貢がれている状態だ。ホッカイロ、マフラー、手袋、ハンドクリーム、ボディークリーム。これら全てただの同級生の男に貰うものなのだろうか。よりによって身につける物ばかりで、かと言って実際欲しかった物ではあるので大人しく受け取った。こんなことが高専を卒業して暫くしてからずっとなのである。初めこそ断ってはいたものの、こうもしつこく贈り物をされると受け取らざるを得ない。回数を重ねる毎に私が何を受け取り、何を受け取らないかということも学んできたらしい夏油は毎回それらしいものを渡してくるようになった。
 
「……ありがとう」
「いいよ。飲み物もほら。君寒くてもどうせコーラだろ」
 
 そう言われて傑の手から軽くコーラの五〇〇ミリペットボトルが投げ出され、それを受け取った。もうキンキンとは言えないペットボトルのコーラだが充分冷たい。
 
「いつ買ったやつ?」
「さっきだよ。二時間前くらい」
「二時間前!?」
 
 驚いて思わず落としそうになったコーラを低い位置で傑がキャッチした。咄嗟に「ナイスキャッチ」と言うと、傑が機嫌よさげに笑う。学生時代の後半にはあまり見ることはなくなった笑顔だったが、それは少しずつ取り戻され、現在二二歳の傑は前のように笑ってくれている。そのまま傑は教師になり、日々忙しく呪術師業と教師業に走り回っているはずなのだが、隙を見つけては私にこうして話しかけてくるのだ。
 
「なんで二時間前のコーラ……」
「君が二時間前に高専戻ってくる予定だったのに、戻ってこなかったからだよ」
「あー八十村さんと出掛けてたから」
 
 とまで言った瞬間、ひやりとした空気が肌を刺した。思わずその空気の主を振り向くと丁度逆光になっており、顔に暗い影が落ちている。
 
「……八十村って?」
「え、新しい……補助監督の」
「男だろ?」
「男の人ではあるけど」
 
 流れが怪しくなってきた。まるで怒られているみたいだ。そう思って、いやいや、と頭を振る。実際傑と私は付き合っているわけではないし、そもそも八十村さんとも何もない。ただ単にお腹が空いてしまって二人で食事をしてから帰ってきたというだけだ。結局頭の中で言い訳のようなことを考えている自分に頭が痛くなる。そんな中、先程まで少し離れたところに立っていたはずの傑は眼前に迫っており、びっくりして後ろに下がろうとした私の背後には壁が立ち塞いでいた。
 
「……付き合っていたりしないよね?」
「……傑には関係ないでしょ」
 
 なんでそんな傷ついたような顔するかな。
 傑は一瞬困り眉になって、動物だったなら明らかに耳と尻尾が下がってしまっているだろうなという雰囲気をありありと感じる。しかし傑は顔を正して、改めて私の背後の壁に手をついて迫ってきた。
 
「私は君と別れてから他の女性とこんな距離になることだってなかったよ」
「……傑から振ったくせに?」
「そうだよ。私が馬鹿だから、君以外を欲しいとは思えないんだ」
 
 その言葉でとうとうコーラを落としてしまい、ごとりと音がしたコーラはごろごろと床を転がっていった。開ける時大変かもしれない、なんてちょっとした現実逃避。コーラを目で追っていると、ずいと傑の顔が目の前に迫ってきた。
 
「ちょ、近い近い」
「コーラだったらまた買ってあげるから」
「そういう問題じゃないって」
「……やり直してくれないか」
 
 ぴたりとその言葉で息が詰まった。
 
「あの頃私に余裕はなくて。君に嫌われたくもなくて、君を遠ざけた。でも君は私の為に色々考えてくれたね。傍にいてくれたし、後輩の指導という道も示してくれた。だから教師としての今の私がいるし、こうして高専の呪術師としてやっていけているんだと思う。君には感謝してるんだ」
 
 じわりと胸が熱くなる。あの時の選択は間違ってはいなかった。別れようと突き放されても、傑の為にと思った自分は決して間違っていなかったのだ。体型が戻っていく傑も見ていて嬉しかったけれど、改めてこうして言葉にされるとひとしおだ。じんわりと熱をもつ目頭を誤魔化す為に天井を見上げると、すぐ近くで笑う声がした。傑だ。私の耳元に唇を寄せ、温かい吐息と共に笑い声を漏らす。その吐息がぞくぞくと擽ったく、でもどこかの熱を引きずり出されるような温度で咄嗟に身体が逃げようとした。しかしそれは許されず、傑の腕の中に閉じ込められる。
 
「……あの時もそうやって泣いてたね。ごめん。もう一度私と付き合ってほしい」
 
 ぎゅうと力強く抱き締めてくる腕の中は温かく、私が別れを切り出されてから数年の間の孤独感を溶かすには充分すぎるくらいだ。じわりじわりと広がる熱に浮かされて私も傑の背中に腕をまわす。小さく小さく「うん」と呟き、傑に聞こえるか聞こえないかの瀬戸際を狙ったがすぐに傑からは「良かった」と甘い声音が返ってきてとうとう本当に瞳からは涙が止まらなくなっていた。ぼろぼろと零れるそれが傑の服に吸われていく。「良かった」のはこっちの方なのだ。
 
「ところで一つ聞きたいんだけど」
「……なに?」
「私と別れてからかなたは四年くらい、誰かと付き合ったりしたかい? 誰かとキスしたりした?」
「なんでそんなこと聞くの?」
「……だって、殺したくなるだろ」
「傑以外と付き合ってないから急な殺意しまってください」
 
 言い切る前に傑の唇が柔らかく自分のものと重なる。少しかさついた唇の隙間からは熱いほどの吐息が漏れていて、そこに私は舌をねじ込んだ。
 
 結局コーラは二人で映画を観ながら飲んだけども、炭酸が抜けたコーラはひたすら甘いだけだった。




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