ノロイハカクカタリキ


 人生に大逆転なんてものはないんやと、常々脳内で呟く奴がいる。
 
 甚爾くんや悟くんみたいな特別には何があっても、仮に腕が増えようと足が増えようと、なりっこないのだ。それが才能というもので、生まれというもので、運命というものである。とは言え、じゃあ自分は平々凡々な凡夫なのかと言われれば決してそうでもない。
 
『炳』の筆頭にまで上り詰め、相伝の術式を受け継ぎ、またここまで使いこなす技量は俺以外の奴にはないのだ。いずれ成る=Bその道がまだ照らされておらず、まだその領域が遠く小さく見えていても、俺は必ず甚爾くんたちのステージに立ってみせる。しかし、世の中に大逆転はない。だから、小さな痛みを重ねて自己を高めてきた。誰も気付かなかった甚爾くんの強さ、誰も認めなかったその力を俺は信じ抜いていた。だから分かる。それが分かる俺も特別になる資格があるのだ。資格はある。目の前にいるかなたもそう言い続けていた。
 
「直哉様は必ず成り≠ワす」
「直哉様なら必ず」
 
 俺が「当たり前やろ」と毎回返すのを分かっていて、かなたは昔から同じ言葉を続ける。
 かなたは歳の近い女で、どうやら術式はあるものの大した術式でなくて、禪院家では飯炊き女をやらされていた。半端な存在。真希ちゃんや真依ちゃんとは違い、虐げられるどころか視界にもおよそ入らない存在。人間というより、部屋の片隅で固まる埃のような存在だった。しかし、そんな塵のような女でも飯を運ぶくらいのことは出来て、俺に飯を運ぶのが塵であるかなたの役割である。
 
 四つほど上であるだけの女だが、術式があるというだけでそこら辺の物陰で犯されているところも見掛けたことがある。大した抵抗も出来ない塵だ。どうせ数年しないうちに妊娠してどこかの蔵に放り込まれ、犯され産みを繰り返すのだろう。くだらない人生に笑ってしまう。これだから女は馬鹿で弱くて、くだらない。そもそも、ただの慰み者でしかない可能性すらある。何の期待もない女。
 
 しかし、「直哉様なら成り≠ワす」と明言してくれるのも、その馬鹿で塵なかなただけだった。それだけがソイツの存在価値だった。ずっと、ずっと幼少期から今に至るまでかなたのその言葉を聞き続けた。幸いなことにかなたは一度も妊娠せず、やはり使い物にすらならないと他から無視されるようになっていった。俺にはそれが都合が良く、たまに部屋にかなたを招いてはいかにかなたの存在がいかに矮小で無意味な有象無象なのか教えこんでやる。するとかなたは伏し目がちにいつも頭を縦に振った。
「その通りです」
「直哉様は流石でいらっしゃる」
「塵の相手をしてくださり、ありがとうございます」
 その言葉の羅列を俺は気持ちよく浴びる。次第にそれが日常になり、俺が『炳』の筆頭になる頃にはかなたに一度手を出していた。廊下で食事を運んでいたかなたの腕を掴んで廊下に引き倒し、着物を乱してもかなたは何も言わない。やはり埃や塵と同じだ。ただ俺を称えることの出来る可愛げがある塵である。自分勝手に身体を貪る俺を受け入れ、なんならかなたは微笑んで見せた。禪院家の中ではやはり、可愛げはある方だった。身体は鍛えられていないためか柔らかく、温かい。その柔らかい温度に容赦なく身体を打ち付けた。体中俺に痣だらけにされ、下の穴からは精液を垂れ流しながら配膳の仕事に戻っていくかなたに、俺はいつも優越感を感じている。これでいい。このまま俺はかなたの言う通り、成る≠フだ。
 
 
 そう思っていた秋口。かなたは珍しく自分から俺の部屋に顔を出し、深く頭を下げた。その日は秋雨前線が通り過ぎたばかりで、庭の草木から透明な雫が乱反射しながら落つる様子が見られた日だった。
 
「直哉様、私は東京に参ります」
「はぁ?」
「東京に参りますので、この御屋敷を出る運びとなりました。今までお世話になりました」
「なんや、東京に男でもこしらえたんか」
「いえ、呪術師になります」
 
 再び「はぁ?」という声が出た。今この塵は何と言った。ただ皆に無視され、都合良く貪られるだけの塵が何か言っている。しかし、顔を上げたかなたの瞳は見たことの無い色をしていた。陽光を跳ねさせる潤んだ瞳には確固たる覚悟が染まり、それは俺が嫌いな色だった。
 
 俺は立ち上がってかなたの肩口を蹴り飛ばすと、廊下の端に転がるかなたは柱の角に頭をぶつけたのか顔を一瞬顰め、しかしすぐに冷静な顔に戻る。嫌いな顔だ。可愛げがない。いつもの可愛げはどこに消えた。白痴のような微笑は見られない。今度はどうせ妊娠しない腹を蹴り上げ、結われた髪をひと房持ち上げると、絶対零度の丸い瞳が俺を貫いた。歪んだ唇がわなわなと震える。
 
「私は五条悟様の元へ向かいます。直哉様とはこれでお別れです。精々凡夫らしく追い付けない背中を見て足掻きなさい!」
 
 激しく唾が飛ぶ。潤んだ瞳と飛ぶ唾に光が当たって、その白飛びした光が俺にぶち当たった。反射的に髪を強く引くと、微笑んだ時と同じように眉が一瞬持ち上がるが、すぐに反抗的な顔になり、眉を顰めて三白眼で俺を睨みつける。強く噛んだ奥歯が顔の表面から読み取れた。
 何がコイツを変えたんだ、と思うけれど答えは簡単だった。悟くんや。悟くんがかなたを変えて、東京へ連れていくと言っているのだ。
 冗談やない!
 
 たった一〇秒のことだった。
 俺の片手が髪を離して、床に伏せたかなたの首を両手で掴み、全体重を掛ける。ゴトンと重みのある音が床を転がり、二人分の重さで床が軋んだ。圧で真っ赤に染まっていくかなたの顔と首、そして俺の手は震えていた。親指で明確に頸動脈を押え、更に体重を掛ける。かなたはやはり抵抗の意思を示して足をばたつかせ、懸命に俺の顔や腕を引っ掻こうとした。足掻く音で廊下が揺れ、いくつか赤い線が俺の顔につく。
 一〇秒。九秒。八秒。頭の中で冷静な俺が数を数える。用心深く、呪力を込めないようにゆっくりと力を込めた。腕力だけでなく体重も使って、しっかりと締め上げていく。一縷の呪いも込めず、確実に。
 三秒。二秒。残り一秒になった時、既にかなたの抵抗は終わっていた。顔は膨張して鬱血し、舌は閻魔様に引っこ抜かれたかのように醜いものだったが、それですら多少の可愛げは戻ってきたように感じる。
 このまま死ねば。
 そうすればきっと、コイツが呪いに転じた時、呪うのは他の誰でもない俺なんやから。
 
 一秒を切った瞬間、力を込めて首をへし折る。ぼきりと無機質な音がした時、俺は悟くんに大逆転した気に成った=B




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