Sad girl Junky


 雑居ビルの三階にはひっそりとした映画館が入っていた。小さなカウンターではポップコーンとチュロスくらいしか提供しておらず、ポップコーンも塩バターしかない。東京には映画館なんていくらでもあるのに、夏油先輩と私は決まってその映画館へ足を運んでいた。小さなシアターな分人は少なく、度々貸切状態になるのはこの映画館の売りだ。『人生最高の瞬間になるその時を贅沢に』と書かれた文句は映画館に貼られているチラシのものである。確かにタイタニックの再上演もこの映画館で夏油先輩と観て、周囲を気にせずこれでもかと泣けたこともあり、チラシの文句はそう嘘ではないだろう。
 
「行こう。いつものポップコーンとコーラでいいだろう?」
「それはいいですけど、今日何観るんですか?」
「見てからのお楽しみ」
 
 そう、これだ。夏油先輩には頻繁に映画に誘われ、少なくとも週一で映画を観ているが、始まるまで何を観るのか教えてくれない。心の下準備というものが一切合切やらせてもらえない私は全力で驚くし、全力で泣いてしまう。その様子を夏油先輩はにやにやしながら見つめてくるのだ。最近だってヒューマンドラマ系の映画が続いていて、ハンカチを何度もただの濡れた布切れにしてしまった。真っ赤になった鼻先と目元が恥ずかしい。だというのに夏油先輩はそれを見て笑うから、なんとなく許してしまって今に至る。
 先輩の後ろをついて回りながら、スタッフに券を渡している様子を眺めた。そんな先輩の両手にはポップコーンとコーラが二本、台に乗せられている。
 
「持ちますよ」
「〇〇は前にコーラ零したからダメ」
「もうしませんよ!」
 
 文句を垂れる私に、はいとスタッフから差し出されたのは映画の半券だ。先輩の分も合わせて受け取って、先輩の分の半券は歩いてる先輩のデニムの左ポケットに突っ込む。その瞬間だけびくりと跳ねる身体を見て、思わず私もにやりと口角が上がった。
 
「〇〇〜! 勝手に人のポケットに物を入れない」
「半券ですよ。今先輩両手塞がってるでしょ」
「君ねぇ……まぁいいか、ほら、先に入って」
 
 スタッフに券を渡したら、後はシアタールームは一つしかない。その入口の左側には上映内容のチラシがぺらりと無造作に貼られていた。『パーフェクト・リザ』というタイトルで男の子と女の子が笑っている様子がビジュアルとして使われている。ダメな予感がした。マンボウ並に涙腺が脆弱な私は目に壊れた蛇口を持っているのだ。嫌な予感しかしない。しかし後ろから先輩が早く行けと押してくるので、私はもうシアタールームの階段を上るしかない。
 
 映画館は平日の昼間ということもあってガラガラであり、このままだと貸切状態だ。席に着いたらまずはポップコーンに手を伸ばす。未だシアターには広告が流れており、アクションやらアニメやらサスペンスなんかの切り抜きがリズミカルに流れる。私はこの時間が好きで、この時にポップコーンをどれだけ食べられるかで勝負が決まるのだ。本編が始まると往々にしてポップコーンどころではないのである。そして結局先輩が全部食べてしまうので、私の勝負どころは広告のターンだ。急いでポップコーンを口に含んでいると横から吹き出す声が聞こえて振り返る。
 
「そんな、無理して食べなくていいだろ」
「だって……映画終わるといっつもポップコーンないじゃないですか!」
「そんなに食べたいなら帰りに買えばいいじゃないか」
「映画のオーラを浴びるポップコーンがいいんですよ」 
「なにそれ」
 
 けらけらと笑う先輩は周囲に遠慮のない声のボリュームだ。周りに私以外誰もいないからだろう。それでも大きな音は流れているから、少し耳元に寄る先輩の動作にどきりとする。心臓の跳ねる音は容易くスピーカー音が攫っていくが、じわりと温度の上がる顔は消えたりしない。ポップコーンを口に運ぶ機械と化しながら、隣の気配を探る。先輩も時折ポップコーンを口に運びながらぼんやりと広告を眺めているようだ。残念なような、安心したような。
 
 じわりと胸を広がる心情に疑問を抱いていると、ふと周囲のライトが落ちる。本格的に暗くなるとポップコーンを食べる私の手が止まり、その手を夏油先輩が掴んだ。思わず上がりそうになる悲鳴は映画製作会社の大きなロゴが登場する効果音で掻き消えた。ぎゅ、と握られた手は熱い。私の左手を先輩の右手が握る。こんなことは初めてだ。体内で暴れ回る鼓動が胸を頻りに叩いて、何かが出てこようとするのを何とか押し込めてシアターに集中しようとした。ちらりと見た先輩はシアターではなく私を見ていて、再び悲鳴が出そうになる。なんだなんだと乱れる思考は次のシーンでシアターに釘付けになった。
 
 
 エンドロールが終わって、全体に白色のライトがつき始めても私は動けなかった。左手は先輩に奪われたままだが、右手はティッシュとハンカチを行ったり来たりしながら懸命に顔の水分を吸い取っていて忙しい。正直、左手を先輩に掴まれていなかったら声を出して号泣していたかもしれない。
 
 目の見えない女の子と天使のラブストーリーだった。まだ幼い二人の価値観と恋愛観の違いで二転三転する話は緊張感を漂わせながらも、切ない話だ。天使の羽が焼け落ちていくシーンは涙が止まらなかったし、今それを思い出しても涙が止まらない。きっとこのまま動かずに座っていたら次の上映映画が流れてしまうだろう。特に怒られることはないので大人しく涙がひくのを待っていたら、ふと先輩と目が合った。俯く私の顔と目が合ったのである。驚きで瞬きが止まらない。
 
「え、なん、ですか」
「泣いてる顔見たいなって思って」
「やですよ、見ないでください」
「嫌だよ。これ見たさに誘ってるんだから」
 
 は? と私が思わず漏らすと、夏油先輩はいい笑顔で「〇〇の泣き顔が見たくて映画誘ってるからね」と言い放ったのだった。
 私は先輩のこの顔が見たくて誘いに乗っているんだと、いつ言ってやろうか。




×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -