21gのドッペルゲンガー


私は少し、傑が怖い。
そしてそれが更に恐ろしくなるのが怖い。


にわか雨が地面を濡らしても、すぐにからりとした空気が満ちる秋の入口。身体を動かさない限りは心地よい風が髪を攫い、日光の針も痛みを感じなくなる時期だった。9月は残暑を尾のように引きずってはいるものの、それでも夏ではない。

その時期に私はやっとの思いで昇級審査を受けることとなった。同級生は特級の悟に1級の傑、反転術式の硝子だ。その3人の眩しさに目を眩ませながら懸命に後ろを走ってきた。昇級と言っても3級から2級への昇級なので3人の足元にも及ばない。だとしても、着実に、いつかは辿り着いてみせると顔を上げて進んできた。お陰でかなり動けるようになったね、と傑のお墨付きもある。

推薦者は夜蛾先生から紹介された2級呪術師2人、そして今回の任務の同行者には1級呪術師である傑が任を担うこととなった。

「緊張してるね、いつも通りにしないと怪我するよ」
「分かってるんだけどね!分かってるんだけど!」

移動中の車内でつい黙り込む私に傑が笑って声を掛ける。大きな手が肩を優しく叩いてくれるが、私の手は温まらない。指先が痛いほどに冷たいことに自覚があって、指を擦り合わせていると傑の手が伸びてきた。大きくて温かい手に両手を包まれる。湯気の上る肉まんのような温かさの傑の手はほかほかとして、じんわりと湿度をもった温度が手から私の全身にまわっていく。

「……あったかい」
「緊張してるから手が冷たいんだ。もう少しこうしていよう」

傑は優しい。鍛錬や訓練には容赦がなく、とにかくスパルタな部分があるにも関わらず、その時間が終わってしまえば途端にこの優しさだ。悟には「なんかかなたに甘くね?」と苦情が来るほど。
私はその甘さに自覚がありつつ、それでも振り払うことが出来ない。多分、私も傑を特別視しているからだと思う。

触れる肩。包まれる両手。耳を擽る近い吐息。密室という車内で身を寄せ合う恥ずかしさと安心感に、任務先に着きませんようにと願った。もちろんそんなことは有り得ないのだけど、それでもあと1秒でも長くこうしていたい。そう願っていると、ふと傑が小さく笑った。

「かなたの手ぽかぽかになってきたね」
「……傑の手が温かいから」
「手汗かいてきた?」
「ちょ、やめてよ」

そうは言っても振り払えない手はずっと傑の手中だ。ずっとこうしていたいと思っていたのに現実はそう上手くは行かない。10分も経てば任務先に到着してしまい、2人の手は名残惜しげに離れた。触れていた部分に当たる空気はいやに冷たい。これは秋のせいだと決めつけて車を降り、人払いの済んだ中学校へと乗り込んだ。

同行者である傑は少し離れたところから私を見ている。下ろされた帳が空間を包んだ途端に異形が姿を現し、こちらに敵意を剥き出しにしてきた。いや、敵意ではない。ただそこにいるから襲う。呪いとしての本能。そういう存在なのだ。ゆえの醜悪さ。

緊張はしている。それはあの3人に追いつきたいから出る緊張感だ。絶対に追いつく。そう心の中で改めて決意し、1歩踏み出した。



私がぼんやりとした意識で帳の上がった空を見上げていると、何やら叫んでいる傑が私を見下ろしていた。なんだっけ。そうだ。呪霊に左腕を齧られたんだっけ。でもあまり痛みを感じない。ただ全身が痺れていて、寧ろ擦り傷を負った膝小僧がじんじんと痛みを訴えている。身体が冷たい。あんなに傑が温めてくれたのに。

ごめん、そう言おうとした瞬間に再び視界は赤く染まった。鮮血。青空に対比した赤は艶やかでまろみのある反射が空を映していた。理解出来ない。でも目の前の傑の片腕が無くなっていることだけは確認出来て、私の意識はブラックアウトしていった。


次に目が覚めたのは医務室のベッドの上だった。見慣れた白い天井は、最近は軽傷でしか訪れていない。白けた頭で状況を整理していると、話し声がする。声の方を向くと私を囲むカーテン越しに人影があった。というより、カーテンレールの上に白髪が飛び出ている。悟だ。

「大丈夫なのかよ、傑」
「大丈夫さ。問題ない。硝子が治してくれた」
「そこじゃねぇよ。オマエがそこまでやられるなんて普通じゃねぇだろ」
「油断しただけだよ」

どうやら隣のベッドには傑が寝ているらしい。意識を失う直前のことを思い出そうとしてみても、赤い記憶しかない。いや、赤いけど赤じゃない。それは血だ。自分のもの、じゃない。あれは……。順番に思考を巡らせていく。呪霊の姿、齧られた腕、なんとか祓って帳が上がっていく。そして駆け付けてくれた傑。

そこでハッとして点滴を刺したままベッドから身体を起こして、クリーム色のカーテンを勢いよく滑らせた。目の前には椅子に座った悟の背中、そしてベッドに横になった傑。包帯の巻かれた左腕。やっぱりそうだ。

「やぁ、かなた。起きたんだね、悟は硝子呼んできてくれ」
「……分かった」

悟はちらりと私を見て、肩を軽く叩いてからカーテンの外へと滑り出ていく。私はといえば心臓がうるさく鳴り響いていた。祭太鼓のように激しい鼓動が私の額に汗をかかせる。

「傑、怪我自分でしたでしょ」
「そうだよ」

あっさりと認められて面を食らう。すぐに持ち直して「なんで!?」と激しく問う私に対して、傑は非常に凪いでいた。車中の声よりやや低めの声はリラックスしている証拠でもある。悲観した声ではない。

「だって、君1人苦しませるわけにもいかないだろう」

脳が痛い。ズキリと閃光走る痛みに視界が白く明滅した。何を言っているのか分からない。しかし、その意味はこの後ゆっくり、そして何回も考えさせられることになる。

私が足を怪我すれば足を、
顔を怪我すれば顔を、
腹が抉られれば自ら腹を抉る。

そんな凶行を何度も目にしてしまった。
呪霊に何度も己を傷つけさせ、何度も食わせる。それは私が怪我をした時に限っていて、任務の失敗で傑が怪我をするなんて聞いたことがない。精々夜蛾先生に怒られてタンコブが出来たとかそういう程度だ。なのに。それなのに、私が怪我をする度に同じ場所を同じように怪我してみせる。

私はそんな傑が少し、怖い。

やめてと言ってもやめてはくれない。
ただ「君を1人にはさせられない」と繰り返す。私は確かに1人だけ等級が全然違うけれど、でもいつか追い付くから私自身が1人だなんて全く思っていない。それを何度も伝える。しかしその度に「そうじゃないんだ」と傑は言う。頑固できかん坊だ。

とは言え、任務をこなしていくうちに身体は慣れていく。身のこなしが出来るようになり、2級には無事昇級出来た。それでも稀に負う怪我はやはり傑に伝染した。大きな怪我だけではなく、些細な傷までも。


だから今日、今この瞬間。
恐ろしくて堪らないのだ。

雨降る曇天の下、今、私の命の灯火は消えようとしている。
特級呪霊の受胎を偶然発見し、任務外にも関わらず花開く瞬間を見過ごせずに突っ込んだ。その時から私は恐ろしくて堪らず、また、でもどうしようもないことなのだと感じていた。だから呪霊の腕が私の内臓を突破って肉体に大穴が開いても、こうなるだろうなって納得が出来た。私が怖いのは死ではない。私が死んだらどうなるのか、というただ1つの点に置いて恐ろしい。

ごぼりと血が吹き出る。ぼたぼたと垂れるのは内臓の破片だ。その破片に混ざって私の身体も地面に崩れる。降り注ぐ雨が血を広げていき、茶色い水溜まりに顔が浸かる。僅かな呼吸で水面が揺れるが、それももう消えかけていた。死ぬ。それが分かる。

だとしたら傑はどうなるんだろう。
私の真似して身体に大穴開けたりしなきゃいいんだけどな。

そう思いながら重い瞼が閉じていく。冷たい身体に冷たい雨が降り注いでいたが、本当に私の意識が消える直前、何か温度のあるものが私の上に乗った。温かい。冷たい白は私に刺さらない。ほんの少しだけ心が軽くなる。死の間際が温かくて、なんだか1人ではない気がした。





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