私たちの治外法権


有刺鉄線の跳ねた針金が手首の肉を抉り、そこからぷくりと膨れ上がった丸い赤が腕の丸みに合わせて滑っていく様子を見ていた。有刺鉄線で全身を丁寧に包まれた人物は蠢いている。「どれくらいで死んじゃうんだろ」と言ったのは私ではなくてかなたの方だ。どうなんだろうな、と私も思う。食いこんでから抉れた肉からは濡れたピンクが覗いていた。


ここは廃校となった古い木造の校舎内である。どこもかしこも埃が被っていて、まともに息が出来るようなものではない。しかし人影の無さや警備の無さ、そして何よりかなたの両親が時折出入りする場所だという理由でこの場所で終わらせることが決まった。既に血塗れで蠢いている猿はかなたの両親である。私たちはそれを背後から襲い、わざわざ頭を手当してから丁寧に喉を潰し、慎重に有刺鉄線で身を包ませた。自分の体重で跳ねた鋼が肉を割いて食いこんでいくのを猿2体は絶叫しながら震えている。このままゆっくり死んでいくかもしれないし、この程度ではどうにもならないかもしれない。

私は猿が震える度に昔かなたが言っていた『スモールライトで小さくして鳥かごに閉じ込めてやりたい』と子どもらしい言い方をした怒りを思い出していた。当時私たちは7歳で、術式が発露したての頃である。当時の私たちはただの幼馴染だった。たまたま入院した産婦人科が同じで、保育器が隣合っていただけ。しかし偶然と偶然が重なって、私たちは漢字ドリルや算数ドリルが渡されるようになる頃にはすっかり2人の世界が出来上がっていた。

私たちにしか見えない呪霊、私たちにしか出来ない不思議なこと。それだけなら頼もしい友人同士でいられたのかもしれなかったが、私たちは互いに術式の問題も抱えていた。私は激しい吐き気を、かなたは激しい痛みを伴う術式だったのだ。互いに身を切るような能力すら共有した。そうあることしか出来なかったのである。私たち2人は自己と他者の境が曖昧になっていった。かなたは私で、私はかなただ。だからこそ、かなたの怒りは私にまで伝染した。

両親の暴力だった。両親は呪霊が見えるかなたに対して『普通ではない』『死ね』『気持ち悪い』『産まなきゃ良かった』などと罵倒を列挙させていた。物理的にもかなたのまだ小さい身体を蹴り上げて壁に追い詰め、何度も何度も腹部を蹴りあげた。吐血したかなたは私が見つけるまでの数時間、ただ冷たい床で放置されている。その時のかなたの濁った瞳は二度と見たくは無い。

私の両親は私に暴力を振るうことがないにしても、事勿れ主義者だった。だから私がボロボロのかなたを家に連れ帰ってきても『ジュースなら冷蔵庫だよ』としか言って来なかった。私にはそれがまた耐え難いものとなる。いつまでも腹の底がぐつぐつと煮えておさまらない。だと言うのにかなたは濁った瞳のまま言った。『スモールライトで小さくして鳥かごに閉じ込めてやりたい』それがかなたの本音ではないことは痛いほど分かってしまう。その怒りを、痛みを、殺意を隠して、隠して、ほんの少しだけ零れてしまったカスを子どもらしく装飾して見せたに過ぎない。
それは私の全身に痛みを走らせた。心臓なんてものは破裂して更に全身に棘を走らせたのかとさえ思う。それほどにかなたの言葉は痛かった。だから言った。

「殺そう」


有刺鉄線はその時の私の痛みの再現だった。流石に術式で心臓から棘を生やすようなことは出来ず、またそうすると呪詛師として追われる身となる。だから殺す。手で。この為に育てたこの力で。かなたに懇願されて有刺鉄線は2人分だけ用意した。殺すのはかなたの両親2人のみとなったのは、人数が増えたらバレやすくなるとかなたが言ったからだったが、かなたの地球自体を煮え滾るような怒りが早く私を産んだ精子と卵子の元を殺せ≠ニ言っていたことは確かである。

廃校の視聴覚室に僅かに残った遮光カーテンで出来る限り窓を隠すが、大した量ではないから四角い枠からは眩い光が差し込む。まだ昼前の穏やかな時間だ。今日は夏の終わり頃で、すっかり青空に浮かぶ白い雲はちぎれて散っている。高い青天井に一瞬目が眩み、改めて暗めの室内を見渡した。

遮光カーテンはかなたの猿たちが持ち込んだものだ。この校舎が廃校であることを利用して、猿たちは何度もこの埃まみれの建物にかなたを捨てた。高専に入学するたった数週間前まで、ここでよくかなたはボロボロの状態で転がされていたのである。私は毎回迎えに行き、連れて帰った。その度に私たちの殺意は明確な輪郭をもっていった。

濁った瞳はよくギラついていた。かなたの目は大きく見開き、かっぴらいた瞳孔はただただ血塗れの猿を見ている。その時、かなたが私に向かって手を伸ばした。私はそれに返事をするでもなく、手に金属バットを握らせる。女の子には少し重いかと思われるが呪術師であるかなたにはあまり関係がない。

私たちは心底呪術師になって良かったと思う。呪力をもって殺さなければ罪には問われない。その言葉の重みを今、感じている。

振りかざし、振り下ろす。

空を切るシルバーが肉の表面にあった針金を深く深く沈めて行った。すると上がる悲鳴には赤が混じっている。ささやかな悲鳴だ。先に喉を潰しておいただけある。

振りかざし、振り下ろす。
振りかざし、振り下ろす。
振りかざし、振り下ろす。

機械的な動きには見えたが、その間かなたの顔は悦に綻んでいた。飛び散る赤。微笑みの白い顔にはいくつもの鮮血が飛び散っていたが、それでもかなたは止まらない。ぐしゃりと肉が水音を伴って潰れ、ひしゃげ、ぶちぶちと筋が剥がれていく音。

これで良かった。私たちは互いに痛みを伴いながらも呪術師を目指した。いつか来るこの日のために。カタチを変えていく猿が肉の塊になるのを見るために。

呪術師、万歳!
呪術師、万歳!
呪術師、万歳!
呪術師、万歳!
呪術師、万歳!

血の味がするキスは真っ赤な夕陽が浮かび上がらせていた。




×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -