青春ヒーロー


日常を切り取る一コマがとても美しくて、思わず目を奪われた。

それは私が定時の会社を飛び出して駅に飛び込み、電車の到着を知らせる音楽を聞きながら階段をかけ上った直後のこと。その日は19時から実家からの荷物の受け取りがあって、どうしても定時に会社を飛び出さないといけなかったのである。突然ナマモノを送ると言い出す親にも困ったものだ。

会社を出る直前に同僚に話し掛けられなければコンビニのアイスコーヒーでも買う余裕はあったのだが、生憎その時間は露に消えた。そのうえ話題は彼氏が浮気しただの、離婚率がどうのという話題であり、心底どうでも良かったのだ。その話題今じゃないといけないですか?とも言えず、ただ曖昧な笑みで話題を流す。

そんな私にはヒールを鳴らして走る選択肢しか残されておらず、ただでさえ夏特有の蒸し暑い空気の中を汗だくになっている。暑い。じっとりとした空気は夕陽を受けてギラついていた。べったりと身体に張り付くワイシャツを摘んで軽く扇ぎ、近くの空席に座り込んだ。ひんやりとした車内には偶然人が少ない。不幸中の幸いだ。

なんとか乗り込んだ赤い車体の市電はゆっくりと走り出し、金属音は滑らかに変わっていった。ただでさえ仕事の疲れがあるというのに走ったせいで要らぬ疲労感を蓄えてしまった。はぁ、と溜息を吐いてやっと顔を上げる。すると、目の前の席には学生服に身を包んだ男女が身を寄せ合って座っていた。体格差のある2人だ。

あ、と思う。
とても美しかったからだ。

男の子の方はボンタンに地下足袋という服装で、まるで輩であり、まじまじと見つめた後一瞬肩が跳ねる。しかしその男の子は隣の女の子しか目に入っていないようだった。隣にいる女の子は小さな頭を男の子の腕に預けていて小さく寝息を立てている。美しくて目を奪われたくせに典型的な学生カップル感に勝手に気まずくなって、目線を逸らすために携帯を取りだした。携帯の小さい画面に目を凝らしていると、どうしても画面の向こう側にいる男女が目についてしまう。

茜色の夕陽が2人の輪郭を浮き出し、学生特有の黒い制服は滑らかな光を僅かに反射させている。絵に描いたような2人だ。滑る車窓の光で艶やかな黒髪が白く反射したり、茜色に焦げたりを繰り返していた。

男の子はじっと隣にいる女の子を見つめており、刹那、そっと頭を傾けた。互いに頭を預けるような姿勢を求めていたんだろうが体格差のせいで男の子の頭はぶらりと空間を揺れるだけである。それが恥ずかしかったのか、こほんと一瞬咳き込んだ。

なんだ、可愛いじゃないか。

輩かどうかというのはさておき、とにかく女の子のことが可愛くて仕方ないらしい。ゆるりと口元を緩めながら2人きりを楽しんでいる。学校の帰り道とかだろうか。

いいなぁ、と思わず注視してしまう。こんな青春送ってみたかった。好きな子と身を寄せ合って眠るのはときめきと安心感が織り交ぜられた至福の時だろう。

仲良くやれよ、とどこ視点の言葉なのか分からないことを思っていると眠ったままの女の子が唸った。その額には汗をかいている。よく見なくとも2人は窓からの陽射しをたっぷり浴びていた。それが美しさを際立たせていたのだが、ただでさえ今は西陽が厳しい。

私の席側は私が座る前からブラインドが下りていたが、学生たち側はブラインドが上がったままである。男の子の方も少し顔を赤くしていて、きっと羞恥心から来るものだけではないだろう。2人の汗がゆっくりと上から下へ滑っていくのを眺めていると、男の子の目線が女の子から外れてブラインドへ向かった。ブラインドを下ろしたいけれど女の子が寄りかかっていて難しいのだろう。ここで私がブラインドを下げに行けばいいのだが、それでは2人を眺めていたことが丸わかりになる。それもそれで私の羞恥心が募るだろう。躊躇いながら手元の携帯画面に視線を落とすと、視界の端で女の子が動いた。
分かる。暑くて堪らないのだ。このままでは2人が身体を離さなければならなくなる。暫く悩んでいるうちにみるみる西陽が2人を焼いていった。

ええい、ままよ!

ガタンと揺れる電車の勢いに身を任せて立ち上がると、流石に男の子の目線がこちらを向く。顔がじんわりと熱い。しかし、私はそっと近付いて男の子の頭の後ろにあったブラインドの縁に手をかけて下ろした。かちりと窓枠の凹凸に嵌める。途端に燃えるような西陽はクリーム色の柔らかい色に変わった。それだけでだいぶ温度は違うものだ。その事実に安心していると男の子が顔を上げた。

「あの」
「あ、はい!」

男の子の低くて小さい声が明らかに私を差していて、つい声がひっくり返る。動きが不審すぎたかと血の気が引いたかと思えば、次に出てきた言葉は「ありがとうございます」という感謝の言葉だった。

「暑かったんです」
「あー、ですよね……良かった、です」

女の子に気を使いながらもしっかりお礼を言った男の子はやや私に向けて頭を下げた。良い子そうで良かった。その時である。ぱちりと女の子の目線が私と交わったのだ。女の子の感情は読めないが、それは明らかに今起きた顔ではない。僅かな目配せに私も頭を下げる。

ずっと起きてたんだ。

気まずさに目線を逸らして、元いた席に戻ればすぐに目的の駅を知らせるアナウンスが車内に響いた。そっと胸を撫で下ろす。

どうかお幸せに。

私はその日、若いカップルの小さな救世主になったのだった。




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