わたしも


なんだか七海の様子がおかしい。気がする。


真夏の直射日光が細かい針のように痛いほど降り注ぐ中、最近話題の肝試しスポットを潰して回っていた。途中までは補助監督の車で送迎があったが、都内の比較的自由の効く土地ということもあり、更に人手不足も手伝って結局私は電車移動を余儀なくされた。

夏場の電車は嫌いだ。見知らぬ人の汗に塗れた手足が触れ合いそうになるのを懸命に逃げないといけない。その為必要以上に気を遣う夏場の電車が嫌いなのである。そうは言っても任務は任務で、致し方なく電車に乗って場所を移動しては肝試しスポットを回って呪霊を祓って回った。もう5箇所になった頃である。へとへとになって移動販売の珈琲店でアイスコーヒーを買って、ストローを口に含んだ時にスマホがぶるりと震えた。また追加の任務かと思いながら画面を見ると七海からだ。

七海建人は私の同級生である。一時、呪術師を辞めて高専を離れていたが、どういうキッカケなのかまた高専に戻ってきた脱サラ呪術師だ。そんな彼から『迎えに行きます』とシンプルな文面が送られてきた。はて、何か約束があっただろうか。

『何か約束してたっけ?』
『今日車がないと聞いたので。電車移動も大変でしょう。今どこですか?』

なんとも珍しいこともある。七海が自ら誰かを自分の車に乗せる話を聞いたことがないし、そもそも自分の仕事が終わればいそいそと帰ってしまう男だ。もちろん私は即座に位置情報を送る。

もしかして、もしかしてなのではないだろうか。もしかして、あの七海が私に相談事があって声を掛けてきたのでは。そう思って一瞬胸が踊り、その不謹慎さに胸を手で撫で下ろす。七海という男は優秀だ。あまり誰かに相談をするような男でもない。自分で考え、自分で決めて、自分で解決する。だから高専を出て行った時も相談はなかったし、戻って来る時に相談もなかった。「久しぶりですね。またよろしくお願いします」と言われただけだ。そのことに文句はない。ない、が、少しばかりの寂寥感が体内に満ちていた。

そのことが頭を巡ると余計に喉が渇いてからりと鳴る氷を残して黒い液体を勢いよく喉の向こう側へ流し込む。キン、と食道を通って胃のあたりがひんやり冷えていくのが分かるが、僅かな興奮が乗っかった皮膚を冷やすまでは届かない。結局アイスコーヒーをもう1つ買ってから近くのベンチに座って待つことにした。ベンチの上には木が天に向かって伸びていて、ささやかな風に吹かれて連なる葉っぱの影が揺れている。ベンチの下は丁度影になっていて、日向より幾分涼しい。

温かいベンチに腰掛けて空を見上げるともう日暮れだ。うねる雲の中に暗い空の色と、燃えるような日暮れの色が混ざりあった陰影が流れていく。その様子を見ながらアイスコーヒーをまた1口。日暮れは坂道を転がる小石のようなもので、転がり始めたら後は早い。すぐに下って行って姿を隠してしまう。早く七海来ないかな、と思っているうちにビル街の並ぶ地平線が一線、朱色に染まった。すると視界に黒い影がぬっと現れた。

「すみません、遅くなりました」
「そんなに待ってないから大丈夫」
「日が暮れましたね」

帰ろうと私が言うと、七海は少し間があってからそうですねと賛同した。七海の車は前に見た有名なスパイと同じ車種だ。初めて見た時には『ナナミカー』とからかったものだが、乗るのは初めてである。七海に助手席のドアを開けられてゆっくり乗り込んでしまえば、その乗り心地の良さに助手席で船を漕ぎ始めるのは秒だ。

「寝ないでください」
「寝て、な……い」
「ハァ……食事に行きましょう」
「……うん」
「その前に少しご相談が」
「……っ、相談!?」

がばりと身体を起こすと、シートベルトにぐいと引かれて阻まれた。
やっぱり相談だったのか!
私の突然の大声に七海は思わず左耳を押さえる。咄嗟にごめんと謝れば、別にいいですよと返ってきた。なんだか、おかしい。
なんだか七海の様子がおかしい。気がする。
いつもの七海なら私が騒げば確実に「うるさいですよ」と言うし、なんなら「いい加減大人らしくしたらどうですか」と言ってくるものである。もしかして、相当凹む案件があって、その相談なのだろうか。だとするなら、私は役不足な気がしてならない。上がったり下がったりする気分に鞭を打つ。

「かなたさん?」
「あ、ごめん。ちょっと考えごとしてた」
「……女性への贈り物は何がいいでしょうかと聞いていたんですが」

女性への贈り物……?

思わず身体が固まる。さっきまで聞こえていたエンジン音が脳内で遠ざかっていくことが分かった。気付けば皮膚も臓器もすっかり冷たくなっていて、ホルダーにおさめられたアイスコーヒーだけが汗をかいている。その雫を目で追う。

「……えっと、彼女?」
「いえ、恋人ではありません。ただ、私にその気はありますが」
「その気……」

思わずオウム返しをしてしまう。こういう相談だとは夢にも思っていなかった。なんなら、七海に好きな人がいるだなんて。心臓が雑巾のように絞りあげられていく感覚で酸素が喉に詰まる。しかしそんな私を知らず、七海は会話を続けた。

「正直何を贈っても喜びそうな女性なんですが、どうせなら聞いておこうと思いまして」
「そう、なんだ」
「何がいいと思いますか」
「……えっと、花、とか?」

頭が回らなくて無難な答えしか出ない。私の頭に浮かぶのはただひと言、「私七海のことが好きかもしれない」だ。心臓が跳ねる。途端に回り出す血がじんわりと顔を染めた。しかし、失恋した途端に自覚するとは。我ながらお粗末である。目頭に火がついたように熱い。そっと顔を伏せると、車はゆっくりと速度を落としていった。

「分かりました。そこの花屋に寄っていくので少し待っていてください」
「え」

待って、と私が言い切らないうちに車は小さな駐車場へと入っていき、流れるような仕草で七海は車を出て行った。花屋があるタイミングが絶妙過ぎる。私はと言えば鼻を赤くして七海に向かって右手を伸ばしていた。滑稽だ。恥ずかしい。

七海の好きな人って誰だろう。
硝子さんかな。それとも冥さん?それとも歌姫先輩かな。それとも補助監督の新田さんかな。頭の中で高専関係の女性の名前を列挙させるが、全く分からない。七海は人との距離を保つタイプだ。ゆえに、私が誘っても2人きりの時には食事に来てくれない。好きな人からの誘いだったら喜んで行くのかな。そういうものなのだろうか。

ぐるぐると巡る思考の渦に飲み込まれていくと、やがて隣のドアが開いて七海が乗り込んでくる。手元には大きな花束だ。夏らしい彩りの明るくて可愛らしい花が身を寄せあい、美しく咲いている。好きな人に似合うと思って選ばれたのだろうか。羨ましい、と思いかけたところでその花束は私の眼前に迫った。

「どうぞ。お誕生日おめでとうございます」
「……は、い?」
「あなた今日お誕生日ですよね。おめでとうございます」

ぽかんと開いた口に花が入りそうだったので思わず口を閉じる。そういえば今日は何月何日だ?分からなくてスマホを開くと、確かにそこには誕生日の日付が表示されていた。すっかり忘れていた。七海が私の誕生日を私自身より覚えていて、花を贈ってくれたことにとうとう涙の膜がぽろりと溢れた。鼓動がうるさい。じわじわと手足にまで感動が伝わって身体中が熱い。ぽたりと花弁に落ちた雫がつるりと滑っていく様を見つめていると、大きな手が視界に入った。太い指が私の涙を掬っていく。

「それって嬉しくて泣いているんですか」
「う、ん」
「では、告白は受け入れて頂けたと思ってよろしいんですか?」
「告白?」
「その気があると言ったじゃないですか。聞いてなかったとは言わせませんよ」

え、とか、う、とかしか言えない私の頬に七海の指が触れる。その指が頬を滑って、やがて掌全体で顔を包まれた。温かい、熱いくらいの温度が七海から伝わる。

「お誕生日おめでとうございます。好きです。付き合ってください」

あまりの近い距離に「キスするの?」と聞いてしまった私の顔を見て思い切り溜息を吐いた七海にしっかり唇を奪われました。
今日から七海の彼女です。




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