あなたのスイミーでいさせて


夏が聴こえる。
川のせせらぎに蝉時雨が乗っかり、時折人の声も乗せたりしながらそこら中を流れて回っていた。
不規則に並ぶ石がハッキリと見える川底は清廉な川水を際立たせている。いくつもの光が四方八方に反射していて、度々私の顔を照らした。足を水に浸ける。冷たい。

「かなた、肉」
「ごめんね、甚爾くん」

爪先で水を弄んでいると背後から甚爾くんの顔がして振り向いた。

甚爾くんはお腹が空いたらしくて少し不機嫌だ。それは仕方ない。川でバーベキューしようと言い出したのは私なのに、実際着いたら火起こしが全く出来ない私をたっぷり30分見守ったのである。結局「お前がやってたら日が暮れるわ」と呆れ顔に染まった甚爾くんが炭の準備をしてくれている。申し訳ない。

クーラーボックスに入れてきた肉を取り出して甚爾くんに渡すとテキパキと準備は進む。甚爾くんは普段何もしないだけで、やれば出来る男だ。私は普段やらなければならないからやるだけで、本来不器用で何も出来ない。私たちって対照的だよねって心の中だけでぼやくと、少し離れたところで大きく水の跳ねる音がして振り向いた。距離はあるけれど、どうやら近くには大学生たちが遊びに来ているらしい。その学生たちは複数人で川に突っ込んで行ったり、大きな岩から飛び込んだりを繰り返している。跳ねる雫が痛いほどの日差しを浴びて白く輝く。「若いなぁ」と感じるのは甚爾くんと私の関係に名前がないからだろうか。大人の関係なんて言ったらまるでロマンがあるけれど、実際そんないいものじゃない。ただ、甚爾くんがわざわざ火起こしなんてしてくれる女は私だけであって欲しいと思う。

ここは川遊びが出来る場所として地元の広報誌によく載る場所である。街中から2時間半ほど車に揺られながら、うねる山間部の道を辛抱強く上って行った先に大きな川があるのだ。下流は比較的流れが穏やかな上に川幅があるのでファミリー向けに事務所も設置されている。ロッジの並ぶ河川敷にいくつもの車が停まっているのを繰り返し見送った。

私たちが来たのはそのずっと上部に位置する上流だ。その分流れも強いが、人も減るので穴場スポットとして地元民が集まるらしい。私は甚爾くんとの2人きりを邪魔されたくなくて、懸命な調査の末に場所を見つけた。その甲斐あって、半径10メートル範囲に人はいない。甚爾くんを独り占めだ。甚爾くんは私が買い与えたPEANUTSの白Tシャツに濃いグレーのハーフパンツを履いている。ペラペラのビーチサンダルって砂利の上は痛いんじゃないかなって言ったけれど、甚爾くんはどうやら気にしてないみたいだ。
ジュウ、と肉の焼ける音と陽炎みたいな熱の歪みがじわりと広がる。

「お肉食べたら川入ろうよ、冷たいよ」
「そうだなぁ。流石に暑いな」
「だよね。汗すごいよ」

甚爾くんの長めの前髪の隙間から汗が額を伝ってぽつりと砂利の上に落ちた。清涼感たっぷりな川の水みたいに綺麗に光って落ちていくものだから、ほんの少しだけ見蕩れてから汗をハンドタオルで拭ってやる。すると私に向かって甚爾くんが擦り寄った。汗を拭いたいだけなんだろうけど、分かっていてもドクリと血潮が走る。じわりと後頭部が汗をかくのを感じて、カバンに入れていた団扇で顔を仰いだ。

「団扇あんのかよ。それで少し火仰げ」
「火弱いの?」
「着火剤小さかったんだよ」

充分足りると思っていた着火剤は、事務所から借りてきた炭台の中では少なかったらしい。それでもしっかり火が着いているから甚爾くんは凄い。甚爾くんの横に回って弱く火を仰ぐとパチパチ音を立てながら火花が舞った。網の上で肉の色が変わっていくのを甚爾くんがじっと見つめている。

あー私のこともこんな風に見てくれたらいいのにな、と思う。食欲と性欲はとても似ているから、それはどだい無理という話ではない気がした。都会のワンルームに裸で転がっていようが、自然に囲まれてアウトドアらしいことをしていても思考が全く変わらない自分に辟易する。

流石に、どうなんだろうか。
甚爾くんは何を考えているのだろう。
目の前の焼けるお肉のことなのだろうか。
そんな気がする。

そのまま私たちは、というより甚爾くんはお肉を食べ続けていた。パック2つ分を食べてから冷凍の焼き鳥も焼いて、そこから更におにぎりを焼いている。私はそこまで食というものに興味がなくて、すっかり飽きて川のほとりに座り込んで脚を水に浸けていた。流れの長い透明に脚が流されていく。目に見えないのに歪んで見える脚をじっと見ていると不思議な気持ちになっていった。思い通りに動いてくれない透明は甚爾くんみたいだ。ちゃぷちゃぷと爪先で遊ぶと、急に顔に影が掛かる。濃い影は甚爾くんだ。

「1人遊びか?誘えよ」
「甚爾くんずっと食べてるんだもん」
「寂しん坊が拗ねるなよな」

大きな甚爾くんの身体がきらきらとした光の流れに浸かって沈んでいく。踝、脹脛、太腿、そのまま腰の辺りまで沈むと私に手を伸ばした。

「来いよ。お前だけだと流されるだろ」

大きな手は冷たく濡れている。少しまで私のことなんか見てなかったくせに、切れ長の瞳いっぱいに私が映っていることが嬉しくてその手を取った。ざぶんと身体が沈む。川は数歩歩くと途端に深さが増して、私なんかでは口元まで沈みそうになって甚爾くんにしがみついた。腕や脚を連れ去ろうとする強い流れにも甚爾くんは一切動じない。

「見ろ、魚いる」
「え!どこ?」

腕も脚も甚爾くんに絡み付いている私の身体の周囲に細かい魚たちが川の流れに逆らって彷徨っている。腕を伸ばすと容易く逃げられてしまうけれど、それでも魚の群れは私たちを囲んでいた。触ろうとして逃げられる私を見て甚爾くんが小さく笑った。「遅いんだよ」と簡単に指先ほどの大きさの魚を捕まえてみせる甚爾くんがまた笑う。魚が苦しそうに喘ぎ跳ねた。

「逃がしてあげようよ」
「こんな小さいやつ食ったりしねぇよ」

魚が甚爾くんの手から透明に落ちてまた群れに戻って行った。私たち女はこういう存在なのかもしれない。気まぐれに掴まれて、そして簡単にキャッチアンドリリース。ちょっぴり残酷だなと思うのに、それに合わせてやはり光はきらりきらりと光っては走り回っていた。

世界は残酷で美しい。

甚爾くんが私を抱き締めて冷たい水の中に頭の先まで浸かって、2人でもつれあいながら泳ぎ回る。甚爾くんはどこか必ず熱いのに水はどこまでも冷たい。その温度差に頭が眩むが、それがどこまでも清々しい。魚の群れの中で甚爾くんの唇を奪えるのは、今だけ、私だけだね甚爾くん。

今だけ、だなんて自分で思って凹んだくせに甚爾くんが帰り際に「また来るか」なんて言ったものだから、全部どうでも良くなっちゃった。単純で馬鹿な私とまた夏を過ごしてね、甚爾くん。




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