かわいい子


「見ないで」

私はそう言って更に深く布団を被った。布団の外では静かに足音がして、やがてぎしりとスプリングが軋んだ。丸まった背中に熱が触れている。

「……帰って、夏油」
「帰らないよ」
「なんで」
「君の顔が見たい」

吐いてしまいそうな言葉だ。
私の顔?顔なんて見てどうする。
今朝、2時間掛けて懸命に化粧した顔は今やぐずぐずだろう。ベースもアイラインも涙で溶けて汚いだろうし、マスカラも剥げてパンダ目になってるに違いない。元々ブスの私の努力が今や水の泡だ。こんな汚くて可愛くない顔を見せられるはずもないのに夏油は私のベッドに座って動かなかった。こんな思いをするのは夏油のせいだと思う。思い切り口汚く罵ってやりたい気持ちと同時にどうしようもなく縋りたい気持ちがぐにゃりと胸中でうねり続けている。

つい先程まで夏油と2人で出掛けていた。渋谷のタワレコ。2人揃って好きなアーティストのCDを買いに出掛けるという目的の外出だったが、その誘いは「私とデートしない?」だった。デートなんて言葉は女同士でも使うし、別に特別な意味なんてそれほどない。だけども、嬉しそうにそう言う夏油に胸が高鳴ってしまったのである。それが何より致命的な失敗だったと思う。世の中には身分相応という言葉があって、それで言うならこれは身分不相応であった。


昔から何かと外見でからかわれることが多かった。
ブスだとかデブだとか、私の顔が仏像に似ているとか言って、奈良の大仏の切り抜きを何枚も机に貼られたことがあった。私はそれに毎回怒った。やめて、こんなことしないでと叫ぶ私に決まって「冗談じゃん」「ホントのブスにはブスって言えないから」と笑い混じりで言われたものである。
繰り返し、繰り返し、その繰り返し。
笑えば「ブスの笑った顔キモい」と言われ、笑わなければ「根暗でキモい」と言われる。どっちにしても私に逃げ場なんてものはなかった。親も同じだった。私より可愛くて華奢な妹を可愛がっている。昔、小さい頃に父親に「私も」と言ったことがあったっけ。その時、「お前はいいから」と跳ね除けられた。

世界は分断されていた。ブスとそれ以外。
人間は美しいものが好きで、だから美しくないものには権利がない。人権がない。ただでさえ、私の瞳には醜いものが映っていた。異形の化け物たち。人を襲い、喰らい、笑う化け物と私は同じような存在だった。私はコイツらと同じなのか。視界にいる化け物を見れば見るほど、自分を見ているようで嫌な気持ちになった。何度もトイレに駆け込んで吐いた。道端で拾ったイヤホンを耳にさして何度もかき消そうとして、消えない。

許して。もう許して。
私のカタチが変わっていく。
二足歩行の私に余分な足が生えて、余分な目が増えて、余分な口が増えて、そうして決定的な化け物になっていく。でも、まだ私に余分な足も目も口もなかった。それなのに私は人間になれない。皆と同じなはずなのに、強く濃く線引きをされた。

高専に入学した理由はこれ以上私が化け物とぐずぐずに溶けてひとつになってしまわないようにするためだった。
人間でいたい。いや、人間になりたい。その一心だった。

しかし、失敗したと思ったのは教室に入ってすぐのことだった。美人でスタイルのいい女の子、性別を超越した美しい男の子、男性らしい美しさをもつ男の子。また私は分断された。高専に入る前に懸命に化粧の勉強をして、顔にセメントを塗り固めてなんとか人間になろうとした化け物の私は視界が真っ暗になった。

ああ、だめだ。私はここでも化け物なんだ。
人間になれない。ずっとずっとこの繰り返しなんだ。
私は醜いままなんだ。世界はずっと暗いんだ。

泣きたくなくて唇を噛むと、ブスに拍車が掛かるのは分かっていたから顔を伏せた。そうして始まった高専での生活はやはり薄暗いものである。硝子も五条も夏油も、誰も私の容姿に触れなかったけれど「ホントのブスにはブスって言えないから」という言葉が何度も頭を過ぎった。そうか。言われることすらなくなった私はホントのブスになったんだ。だから誰も何も言わないんだ。言われたら言われたで傷つくくせに、言われなくても過去の言葉が何度も何度も私の胸をズタズタに引き裂いて踏み付けていく。そんな生活の中で、不思議と夏油は私によく話し掛けてきていた。
「かなたはなにが好き?」
「かなた、一緒に食べない?」
「かなたも来るかい?」
そうやって何度も何度も声を掛けられる。私はその殆どに
「ない」
「食べない」
「行かない」
と答えていた。可愛げの欠片もないけれど、これ以上傷つきたくなかった。痛いのは嫌いだ。でも断る度に、やっぱりどこか痛かった。自然と教室は3人と1人という図になる。いたたまれなかった。何度も教科書で顔を隠してこっそり泣いた。どうせ誰も気付かない。誰も私なんか見ていない。いや、こんな醜い私を見ないでほしい。見ないで。来ないで。近付かないで。誰か。
誰か助けて。

そんな折、私以外誰もいない教室で夏油が机の上に放置していたCDが目に付いた。中学時代好きなバンドで、アルバムは3rdアルバムまで集めているバンドのシングルだった。つい足を止める。へぇ、夏油このバンド聞くんだ。そのシングルは私もまだ聞いたことのないもので思わず手に取ってパッケージを開く。歌詞カードを開いてみると何度も開いているのか柔らかい。好きな曲が頭に流れる。ドラムから始まって、ベースに乗ってギターが勢いよく飛び出してくる。曲は好きだ。世界で唯一私みたいな化け物に寄り添ってくれるものだと思う。つい口からハミングが漏れ出した。

「……I feel stupid and contagious」
「Nirvana好きなんだ?」

肩が跳ねる。振り向くと夏油がにこやかに立っていた。

「それはNirvanaじゃないけど、好きだと思うよ。貸そうか?」
「……い、いい。いらない」
「そう言わないで。ほら」

夏油はその大きな体躯を滑らかに動かして近付き、私が置きかけたCDを私に握らせた。あ、手が触れてる。大きな夏油の手で手を包まれる。

「そういえば私今からタワレコ行こうと思ってるんだけど一緒に行こうよ」
「わ、私は」
「私とデートしない?」

跳ねた。今度は肩じゃなくて心臓が。まるで人間同士の会話だ。デートという言葉は周囲で聞いた事があった。女同士でも使う言葉で特別な意味は無い。それでも、そんなことを言われたのは初めてのことだった。
「しない」そう言えばいい。そう思う自分と、それでは今まで通りじゃないかと思う自分もいる。あちこち視線が泳ぐ。すると視界いっぱいに夏油の顔がおさまった。近くて視界がぼやける。柔らかい笑顔。

「行こう」

ぐいと引かれた腕は夏油と繋がっていて大きな背中を追う。いやに窓から差し込む光が眩しい。混乱している。
私は小さく「行く」と口から漏れたけど夏油には聞こえたのかな。分からないけれど、ぐんぐんと夏油は進む。人波は嵐のように寄せては返していたが、夏油は真っ直ぐ前を向いて歩いていた。いつもなら人にぶつかりまくる私も、夏油と歩いているせいか人波が道を作る。
モーセみたいだ。
モーセって神様なんだっけ。聖人なんだっけ。
夏油は聖人みたいだ。神様でもあるのかもしれない。

顔を上げると世界は明るかった。天国まで突き抜けるような青の下には入道雲が横たわっていて青と白のコントラストが実に夏らしく美しい。私、こんな綺麗な世界にいたんだっけ。視界には呪霊もいる。だけども、呪霊ってあんなに小さかったっけ。こんな広い空の下でなんてちっぽけなんだろう。そう、思った。

その矢先、夏油と入ったタワレコの店内でまたもや言葉を聞いた。
「見てアレ、男の子めちゃくちゃカッコイイけど隣の女ヤバくない?釣り合ってねぇ」笑い声。嘲笑。途端にまた世界は暗くなった。空は雨雲に覆われていく。泣くな。泣いたら余計にブスになる。そう思っても、ぼろりと崩れた。

「え、かなた?」
「っ、帰る!」
「かなた!」

夏油の焦った声が追い掛けてくる。でもそれを振り払って走った。耳を塞いで目を伏せて、何も聞かず、何も見ないようにしながら一心不乱に走る。やたら蝉の鳴き声だけが耳についた。

帰ってそのまま布団に突っ込んで、ぼろぼろ崩れていく人間のカタチを真似たセメントが剥がれていくのをぼんやり眺めた。気持ち悪い。何度もせりあげる吐き気が更に私のカタチを崩していく。夏油のこと置いてきちゃった。でも、もういい。もうなんでもいい。時間の感覚がなくて、すぐだったような気もするし何時間も経ったような気がしていた頃に部屋の扉がノックされた。
コンコン。私は返事をしない。すると勝手にドアノブが回る音がして、足音がベッドに近付いてくる。
「かなた、大丈夫かい」
夏油だ。そんな気はしていた。

私は高専に入学してから、何度か夏油に大丈夫か聞かれていた。その度「大丈夫」と答えて離れた。一度無愛想に答えてしまえば終わりだと思ったのに、夏油はそれでも何度も声を掛けてくる。嫌な感じがした。こうして私が心を開いてしまったら最後、そのことをネタに笑われるに違いない。そうだ、私は揶揄われているんだ。馬鹿にされている。何度も何度も味わってきたことをまた繰り返す。そう思って突き放したのに夏油はまたこうやってやって来た。
「見ないで……帰って、夏油」
「帰らないよ」
「なんで」
「君の顔が見たい」

吐いてしまいそうな言葉だ。
私の顔?顔なんて見てどうする。
今朝、2時間掛けて懸命に化粧した顔は今やぐずぐずだろう。元々崩れているものがこうなってしまったら、本当にこんな化け物を見てしまったが最後、目でも潰れてしまうんじゃないだろうか。思わずそれを呟くと、強い力で布団を引き剥がされ、途端に私の姿が顕になった。咄嗟に顔を隠す。出来るだけ身体を丸めてダンゴムシみたいな私の背中に夏油の手が触れる。

「目なんか潰れないし、君は化け物じゃない。君のことは見てたよ。最初は何だろうなって思ってた。私からの誘いを断る度に泣きそうな顔してただろ」

「してない」と言いたいのに言葉が出ない。怖くて手が震える。凍えそうだ。

「それとも君に化け物って言ったやつがいる?それなら私が殴り飛ばすよ。喧嘩が得意なのは知ってるだろ」

突然の暴力宣言に思わず顔を上げる。ばちりと視線が交わり、すぐに顔を逸らそうとする私の顔を夏油の大きな手が掴んだ。暑い。熱い。じわりと氷が溶けていく。

「ふは、確かに酷い顔だ。かわいいね」

突然人間にされた私の唇に夏油の笑った口が機嫌よさげに重なった。




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