美しい花嫁


真っ白なチャペルには百合の花の香りが満ちていた。
厳かな聖壇の先にはイエス・キリストを抱く聖母マリアが微笑み、新郎新婦を見下ろしている。重い鐘の音がしたかと思えば俺たち参列者は夫妻に目を配る。

美しい景色だった。
柔らかい日差しがステンドグラスから差し込み、その色が純白の空間に鮮やかに色付ける。細かい仕事の行き届いたウェディングドレスは細かい光沢を放ち、それこそ日に透ける花びらのようなヴェールをふわりと乗せていた。
絵に書いたような花嫁がそこにはいる。

牧師役には夜蛾先生が名乗り出たこともあり、やたらいかつい牧師が聖壇前に立っていた。
俺はそれをただ見つめる。
美しさに目を奪われながら、同時にこれで良かったのかと自問自答を繰り返していた。そんな俺の心情を知ってか知らずか、
親友────夏油傑は白いタキシードを身にまとい、花嫁を支えていた。夜蛾先生のそれらしい誓いの言葉に「誓います」と力強く答える低音に思わず眉間に皺が寄る。隣に座る硝子も同じ顔をしていた。

「それでは誓いの口付けを」

ヴェールが捲られる。
邪悪なものから守ると言われるヴェールが今、傑の手で捲られると夜蛾先生の僅かにたじろぐ姿が見えた。
花嫁の姿と花婿の姿が百合の花に囲まれて重なる。きらりと一瞬聖母マリアの瞳が光る。

────花嫁は死んでいた。

こんな茶番を言い出した傑は赤らめた顔に濡れた双眸を細めていた。


傑の彼女、かなたが2級に上がって初の単独任務に行くという話が上がったのは今から3ヶ月前のことだった。
これまで1級の傑を筆頭に、同等級の呪術師などと組むことが多かったかなたはようやく辿り着いた単独任務≠ニいう言葉に浮き足立っていた。嬉しかったんだと思う。俺や傑、硝子と比べて比較的平凡なかなたは周囲から心配を一身に受けることが多い。

目をかけられるのは嬉しいが、自分も呪術師なんだと懸命に口にしていた。傑はそういうかなたによく特訓をつけていたし、出来ることが増えれば共に喜んでお菓子パーティーを開く。
傑の後を追い掛けていたのは俺も同じで、だからこそかなたのことが分からないわけではなかった。それもあって俺ですら、かなたに目をかけていたと思う。
そんな俺を傑はじっと見つめていた。
何かを探るような居心地の悪い視線を度々向けられ、噛み付けば噛み付き返される。その喧嘩を仲裁するのは大体かなたで、硝子はそんなかなたを「お人好しすぎる」と笑った。

その日のことだった。任務の報告書を提出した帰りに教室の片隅で傑とかなたがキスしている現場に出くわした。
夕方、茜色の光が教室内に差し込んでいて、雲の動きでそれはきらきらと光っていた。更に開け放たれた窓から滑り込んだ風が柔らかくカーテンを誘い、おおきな光の波が流れていた。
細かい光と大きな光がぶつかり合い、その光がかなたの綺麗な黒髪に当たる。そのなだらかな光沢を傑の大きな手が掴んでいる。
長い口付けの間に何度も光沢を撫でる傑の手つきは優しい。
2人して耳を赤くさせて寄り添い合う姿に勝手に気まずくなって部屋まで走って帰った。
それでも脳裏に焼き付く2人の姿は美しかった。
映画のワンシーンよりも美しく、また呪術界よりも閉じられた世界がそこにはあった。2人で完結した世界を見せつけられ、俺の心情は掻き乱される。今まで感じたどの感情にもラベリング出来ず、チリチリと焼け付くような温度を胸に感じた。
その時呟いたのは不思議とかなたの名前だった。

その完結した世界が崩れるまで時間は掛からなかった。
初の単独任務で突然現れた呪胎がかなたの頭上で弾けたのである。それは予期していなかった事態で、また、窓の誰1人として弾けるまで気付けなかったのだ。すぐに報せを受けた俺と傑は真っ先に向かったが、俺たちを出迎えたのは上半身だけのかなただった。近くに転がるかなたの携帯画面には『夏油傑』と表示されている。今際の際に傑に連絡しようとして、事切れたのだろう。
途端に世界は光を失った。

俺はその時ですら、傑とかなたの口付けている姿を思い出していた。赤く染まった丸い輪郭と艶のある髪を脳内のモニターに映し続けた。一時停止ボタンから先に進めない。
脆く泣き崩れる傑に駆け寄ることも出来ず、ただ脳内の映像を見ながら立ち尽くした。
かなたの濁った瞳はどこも映していない。
眼前に大好きな傑が泣いていても、ただ転がり続けるかなたは虚ろで、ただの死体だった。
……俺もかなたが好きだった。


傑はみるみる痩せていった。
呪力でコーティングしたかなたの死体は一定以上腐りはしなかったが、だからと言って傑が抱き締め続けるのには限界があった。
何やら意味を成さない言葉をブツブツと喋り続ける傑を気絶させ、無理矢理かなたを剥がしとる。
かなたから絶対に離れようとしない傑に、もうこれは死体なのだと。かなたではなく、ただの肉塊なのだと何度も繰り返し言った。もう2ヶ月もである。

だというのに、傑から剥がすためにかなたの死体に触れると、俺の脳内にもかなたの声がした。
「喧嘩しないの!」
心地いい高音。傑が気絶している横で、湿り気のないかなたの頬に触れる。ハリがない。温度も何も無い。だのにその遺体には僅かな青春だけが詰まって眠っている。ひび割れた唇に触れた。唇を寄せる。俺の視神経の先では色付いた唇が動く様子が繰り返し、繰り返し流れた。光の差さない部屋で、艶のない髪に触れて、そして唇が重なる。その時、僅かに罪悪感が足元に火をつけた。
ごめん。
ごめん、かなた。
何に謝っているのか分からない。

傑をベッドに寝かせ、その横にかなたを横たわらせた。そのまま日が沈んで、また上り、また沈んで、地球が自転を繰り返してくるくると日常をまわす。

傑が「かなたと結婚する」と言い出したのは更にそこから1ヶ月後のことだ。未だに傑はかなたから離れない。そんな日々を重ねたことで、痛ましい傑の姿に誰もが同情で発案に賛同した。
俺も賛同した。
俺の場合、罪悪感だった。


そうして、また光に包まれて口付けを交わす2人を見ている。
ただぼんやりと挙式の流れに乗って揺蕩う俺の耳に、突然劈くような悲鳴が届いた。悲鳴を上げているのは参列していた歌姫だ。その声に押され、弾けるように顔を上げるのと傑とかなたが冷たい床に転がるのは同時だった。
「……え?」
理解出来ないまま、身体は勝手に2人に駆け寄った。
白いチャペルは鮮やかな赤に染まっている。
見れば、傑の手にはナイフが握られていた。
鋭い刃先は思い切り傑の首を引き裂いていったらしい。
まだ傷口から血が噴水のようにごぼごぼと溢れている。
「……やめろ」
すぐに夜蛾先生が駆け寄り、その場にいた硝子に素早く命令を出す。しかし硝子の足音はしなかった。俺の背後で固まっている硝子の姿が気配で感じ取れる。
「……やめろよ、傑」
硝子を責める気にはならない。
ただ溢れる血を両手で押さえたところで、俺だってコイツのために何もしてやれない。
音は遠ざかる。
冷たくなる傑の横には冷たいかなたが赤く転がっていた。

変わらず、聖母マリアは微笑んでいた。




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