二面性



 
 
 いつの間にどこで仕入れたのか。
 私は夏油さんに渡された新品の相変わらずダサい青い制服と少しはしたない新品の下着に着替え、クーラーの効いた綺麗な和室に通されていた。ここがヤクザの家だと思わなければ決して居心地は悪くない。異様に静かなことを除けば。

 和室は13畳はあると思う。多分。畳の上には高そうな赤いカーペットが敷かれていて、そこには身体が沈みそうな高そうなソファーが1つ。その正面に木のテーブルがあり、その向かいに私が現在座っている座椅子がある。

 格の違いというものを知れといった配置だ。

 奥の小上がりには掛け軸が掛かっている。きっと高いんだろうが、学のない私には想像もつかなかった。

 暫く座椅子に座って、脚が痺れてきた頃。廊下からドスドスと人の足音がした。機嫌の悪そうな良さそうな、とにかく感情的なその足音は私のいる部屋の襖の前で止まった。

 背後にある襖を恐る恐る振り向くと、次の瞬間凄い勢いで襖は開き、五条さんが、いや、五条さんと知らない男性が現れた。

 足音は1つだった。多分、五条さんの。

 そのことに驚いているうちに五条さんはサングラスを掛けたまま口角を釣り上げた。改めて白いジャケットが眩しい。そのまま私の向かいにある、身体の沈みそうなソファーに身を沈めた。もう1人の男性は襖を閉めて、そのままの位置で壁にもたれ掛かりながら立っている。格としては五条さんが上なんだろうか。

 私は急いで五条さんの方に身体を向き直した。五条さんはタバコではなく、棒付きの飴を指で遊びながらサングラス越しに私を覗いた。

「傑から聞いたよ。合格なんだってね」

 合格。
確かに言われた言葉だ。私は一度頷いた。

「傑がナニを見せて、ナニをして、ナニで合格にしたのか、僕は知らない。でも傑が合格って言ったんだ。それでいい」

『悟には内緒だよ』という夏油さんの言葉が蘇る。本当に五条さんは知らないんだ。

 私がナニを見たのか。私は再度込み上げてくる胃酸の味を唾液で誤魔化して、五条さんを見上げ続けた。

 この人はヤバい人。それは私の脳髄にまでしっかりと刻み込まれた。逆らうのは、吉ではない。いつ私の腕があの女性のように伸びたって不思議ではないのだ。

「おいで」

 吸い込まれるような低い声に私は勢いよく立ち上がった。痺れた脚でふらついたのがバレたのか背後から知らない男性の鼻で笑う声が聞こえたが、それどころではない。

 私は痺れた脚を強くこぶしで叩いて一歩。五条さんの横に立つと、すぐに手を引かれてふかふかのソファーに顔から突っ込んだ。鼻を強打して痛い。急いで顔をあげると、にこにこと笑っている五条さんがこちらを見ている。

 いつの間に外したのか、サングラスはテーブルの上。

 そうだ。この青は、いつか旅番組で見たセーシェルの海。あの時見た波の穏やかな海とは似ても似つかないが、美しい青がそこにはあった。私のダサい青い制服とは違う美しい青が私を見ている。

 果たして、誰が想像出来るだろうか。こんな美しい人が人の叫び声で日々性欲を満たしているだなんて。

「じゃあ次は僕の番ね。傑には内緒だよ」

 しーっと、夏油さんが私にしたように人差し指を私の唇に柔く当ててきた。

 その時、どこか近いところからスマホの着信音が聞こえた。

 五条さんの顔つきが一気に変わる。
 胸ポケットからスマホを取りだした五条さんは機嫌の悪そうな声音で電話に出て、そのままの勢いで部屋を出ていってしまった。


 部屋には知らない男性と2人きり。
 男性は全く私に興味なさそうな顔で窓の外を見ている。

 強面ではあるが、この人も相当顔の綺麗な人だ。でもガタイの良さは夏油さん以上に見える。この人だけスーツを着ていない。よれた黒いTシャツにポケットがたくさん付いている白のパンツ。腕まくりをしているが、そこから刺青は見えない。

「人の顔見すぎだろ」

 五条さんや夏油さんより低いその声に身体が自然と震えた。何もしていない、されていないのに強者と弱者に分けられたかのような感覚さえする。

 その人は自らを伏黒、と名乗った。


「……あの、伏黒さん」
「あ?」
「……私、みたいなのは結構いるんでしょうか」

 強者の風格をもつ伏黒さんだが、何となく、そう、ただ何となく五条さんや夏油さんとは違うように感じて尋ねてみた。外を見ていた瞳が私を射抜く。

 ぞくり、とするほど私に興味のない冷たい目は逆に私を安心させた。

「少なくねぇ。でも多くもねぇ」
「……なるほど」
「でも、それは門を通る女の話だ」

 伏黒さんはその鋭い目を閉じていかにも気だるそうに言った。

「女は必ず最初に夏油傑の所へ行く。そして夏油傑はまず何かしらを女にさせる。何かしらのところまでは知らねぇ。で、次は五条悟だ。そこまでいって、最後に応接間に行く。応接間まで行った女を、俺は知らねぇ」

 これは関門、ということだろうか。生かす価値があるのか、ないのか。家の門を通った時点でよろしくされると思っていた数時間前の私を全力で殴りたい。

 そりゃそうだ。五条さんは頑張れるなら、と言っていた。私は借金を返さなかった男の娘で、五条さんの気まぐれで拾われた新品の玩具の1つ。それを忘れかけるなんて、私はなんて馬鹿なのだろう。

 気が付くと私の目の前には黒い何かがあった。顔を上げる。見えない。

 ソファーに完全に身を預けて黒い何かと距離をとり、真上を見ると伏黒さんが目の前に立っていた。

 この人は動く時に音がしない。
 もう、驚いて出る声もないのだが。
 伏黒さんは透明で硬い灰皿を手に持ち、私に差し出していた。

「正面からなら顎狙え。背後からなら後頭部だ。躊躇は絶対にするな。全力で振りかぶれ。そうすりゃ、流石のあいつでも暫くは動けねぇだろ」

 何でそんなこと教えてくれるんですか、という声は再び聞こえてきたドスドスという足音で飲み込んだ。私はソファーから立ち上がり、スカートとお腹の間に灰皿を入れ、苦しいくらいスカートのフックを狭めた。

 きっとこれなら落ちない。

 私が再度ソファーに身を沈めるのと、襖が開くのは同時だった。伏黒さんは元の位置に戻り、何事も無かったかのように外を眺めていた。

「いやーごめんごめん、ちょっと仕事がね。さて、じゃあ行こうかかなたちゃん」

 お腹とスカートで無理矢理灰皿を抑えながら、五条さんに引かれるように立ち上がる。

 思ったけど、その制服ダサいね。と笑った五条さんに私はどんな表情で返していたのか分からない。

 五条さんが伏黒さんに目配せすると伏黒さんはやっぱり興味無さそうに襖を開け、そのままどこかへ行ってしまった。きっともう会うことはないだろう。



「さぁて、行きますは、傑ツアー!」

 私の左手を引きながらドスドスと歩みを進める五条さんに必死に着いていく。そもそも身長も違えば脚の長さが段違いだ。着いていくので精一杯。時折五条さんに頭を下げていく男性たちに目を配る余裕がない。それでも分かる綺麗な中庭を抜けて、地味な洋室風の部屋の扉の前に着いた。

「傑って贅沢なことに、部屋2つあるんだよ。それを見せてあげよう」

 これまたどこから出したのか分からない鍵の束の1つを目の前の扉に差し込んで回す。

「ここがその1つね」

 怖い。正直怖いの一言だった。拷問部屋の次に何を見せられるのか。でもそれを許すような五条さんではない、許される立場ではないことを私は理解していた。

 私の左手を痛いくらい引っ張って、目を瞑った私を夏油さんの部屋に押し込んだ。


 いい、匂いがする。
 お香の匂いだろうか。

 私は戦々恐々としながら目を開くと、そこは綺麗に整理された洋室で、素朴な普通の部屋だった。ベッドメイキングされた綺麗なベッド、高さの揃えられた本棚、机。清潔そうで綺麗なネイビーのカーテン。埃ひとつない清潔な部屋だ。

「綺麗、ですね」
「まぁあいつ几帳面だからね」

 でも。

「あの、夏油さんって本当にこの部屋に住まれてるんですか?」

 人の気配も生活感もするのに、漂う違和感。温度感とでも言うのだろうか。貼り付けたハリボテのようにしか感じない。まるで一見円満に見える家庭の図のようで。

 私は素直に五条さんに疑問をぶつけると、五条さんは愉快そうにお腹を抱えて笑いだした。

「よくわかったね!あいつこの部屋掃除するだけなんだよ。勿論使ってはいるみたいなんだけど、この部屋で寝てるとこは見た事ない。つまり、住んでない。
 それなのに毎日掃除する為だけにこの部屋に通う」

 んー、あいつの人間としての部分ってやつ?


 五条さんは持っていた飴を口にくわえ、一瞬で噛み砕きながらそう言った。

 人間としての、部分。
 脳内で反芻する。
 何故だか怖いほどしっくりくる気がした。

「じゃあ次行こうか」

 私は夏油さんの人間としての部分を目に焼き付けて、その部屋を出た。


 次に来たのはその部屋の隣の角部屋。五条さんはジャケットの中から鍵を、そして、工場でするような大きなマスクを取り出して私に1つ渡した。

 つけた方がいいよ、と言われて素直につける。

 さっきが夏油さんの人間としての部分なら、この扉の向こうには何があるのだろう。
 ハリボテの中身がこの先にある。
 ガチャリ、という音で開いたその部屋に五条さんは躊躇なく入っていく。私は迷いなくそれに続いた。


 思えばそれは油断だった。
 腐臭漂うその部屋は蛆が湧き、何処もかしくも錆色、一部黒く変色している部分もある。真っ黒な遮光カーテンで外光と断絶された空間。マスクをしているからいいものの、していなければ地下の拷問部屋にも勝るだろう。一歩だけでその部屋の床がザラザラしているのに、ぬるぬると濡れているのが分かる。足のすぐ隣を蛆が活発に動いていた。

「ここがあいつの“本当”。
 自分がまともだと思ってると思うけど、拷問したり何なりした奴らの血液かき集めて血液パックに貯めてんのね。
 それを撒き散らして、そこで寝るんだよ。じゃないと寝れないんだって」

 ぬるぬるの血に塗れて、古い血の臭いを肺に溜め込んで、蛆が肌を横断していかないと寝れないんだって。

 ……狂ってるよね?


 私が後ずさりした先に1つの袋。恐らく血液パック。書かれている日付は、今日。
 地下室で聞いた女性の叫び声やガタガタと揺れる椅子と机の音が鮮明に思い出された。


 ここに狂ってない人なんていない。
 もう、皆狂っているんだ。


 しゃがみながら床を這い回る蛆を指で押し潰している五条さんの後頭部に私は、




 灰皿を思い切り振りかぶった。


 自分の血を浴びることはあっても、他人の血を浴びるのは初めての出来事だった。硬いような柔らかいような反動が灰皿越しに感じられて、気持ち悪さに灰皿はすぐに投げ捨てた。飛び跳ねる温い赤。

 手に付いた血を制服でゴシゴシと拭う。
 
「ご、五条さん、ありがとうございました。
 両親を殺してくださってありがとうございました!」

 私は滲む視界と震える声でそれだけ言って踵を返した。
 急いでここから出る、出たあとのことは、その時考える!
 私は大きく右脚を振り上げた。


 つもりだった。
 五条さんに足を掴まれていなければ。



 五条さんは頭から大量の血を流し、眼球をぐるぐる回しながら笑っていた。


 笑っていた。
 笑っていた。


「かなたちゃん、合格」


 お礼言われながら後頭部灰皿で殴られるなんて初めて、と五条さんはうっとりした声で舌なめずりしながらそう言ってのけたのだった。





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