コンビニ店員


「こんなに入って大丈夫?」
提出したシフト希望の紙を見ながら店長がそう言った。店長は近頃、老眼が酷いからとぼやくことが多く、今日も近眼の眼鏡は額に掛けられている。それを眺めながら「はい」と答えると店長は暫く考えてから「まあ、助かるけどね」と言ってパソコンに向き直る。それ以上何も言わないことが分かって、バックヤードから出てレジを通して客を見た。誰もいない。深夜のコンビニでは見慣れた景色である。

都内とは言え、郊外は田舎と同様だ。
深夜のコンビニに人は少なく、時折来るのは草臥れたサラリーマン風の男女。そして少し変わった制服に身を包んだ学生である。学ランをアレンジしたかのような制服であり、不思議なのは学生複数人で来ると皆制服の形が違うことだ。それをとやかく言う立場ではないが、それが不思議で自然と目につく。

今日もその学生たちはやって来た。
4人で来ることの多い男女4人組の学生たちは今日、どうやら2人きりのようである。件の目立つ制服ではなく、Tシャツにスラックスといった様相の2人組は迷わずにお菓子コーナーへと消える。そのうちの1人の姿を見てどきりとした。
あ、良かった。今日も来てる。
私はその姿見たさに深夜帯のコンビニバイトをしていると言っても過言ではなかった。女子の方が緑色のカゴを取り、お菓子と睨み合いを始めている。
「傑はどれにするの?」
「かなたはどうせポテチだろ?私は堅揚げポテトにするよ」
「もしかして堅揚げポテトがポテチであることをご存知ない?」
「え、知らないわけないだろ。大丈夫かい?」
「何で私が責められてんの?」
すぐる≠ニ呼ばれている学生を見つめる。
すぐるくんは私がバイトをして間もない時から頻繁に来る子で、隣にいる女の子と大概一緒だ。彼女なのか友達なのかよく分からない距離感の2人だが、彼女じゃないといいな……と私はいつも思っていた。
すぐるくんは身長が高くて、切れ長の瞳に大きな口、そして長髪をお団子にしてまとめている個性強めな子だ。大きなピアスに蛍光灯の光が当たってぎらりと跳ねる。
その度に何度も胸が高鳴った。
彼はいつも穏やかな口調で女の子と話しているけれど、時折髪色の白くて股下5キロメートルありそうな男子といる時はいかにも男子≠ニいう感じがして可愛らしい。いつも礼儀正しくて「お願いします」「ありがとうございます」とレジに言ってくれるところが特に嬉しかった。そんな人はなかなかいない。
強いて言うなら、今日隣にいる女の子もそういうタイプだ。礼儀正しくて、穏やかそう。すぐるくんとは体格差があり、背は低めで華奢だ。それがかえって気に入らない。自分可愛いとか思ってるんだろうか。優しくていい子を気取って、それを褒められでもするんだろうか。
まあ、それも仕方ないだろう。いつもこんなイケメンを連れてたら、自意識過剰にもなるだろう。
目の前で女子が持っていたカゴを彼が受け取り、空いている方の手で女子の頭を撫でた。
あ、と思わず声が出そうになって飲み込む。
ずるい。羨ましい。
楽しそうに会話するだけで飽き足らず、そうやって気軽に触ってもらえるなんて。腹の底がぐつぐつと煮えるようだ。ついレジ奥から大声で「ずるい!」と叫んでしまいそうになって奥歯を噛み締めた。
しかし手を繋いでいたりする様子はない。これは彼がただ優しくてフランクなだけかもしれない、と脳裏に自分を励ます声が聞こえた。それなら、私にだって望みはあるかもしれない。
私はレジ横のメモ用紙に自分の電話番号とメールアドレス、名前を書いて彼を待つ。
いつもの事だが、彼が1人でレジに並び、女子はレジの入口横の漫画コーナーに移動していく。ここがチャンスだ。
彼はお菓子を詰め込んだカゴを持ってレジに近付いてくる。今日は髪を下の方で緩く結っていて、気だるげなその様子に色気を纏っている。きゅんと胸が疼いた。さっきの腹の底が煮えた感情はすっかり失せていく。
「お願いします」
来た!私は小さく「いらっしゃいませ」と呟いたが、この動揺は伝わっていないだろうか。
レジのすぐ横には先程書いたメモがある。
いつ渡す?今か?レシートを渡すとき?
どぎまぎしながら商品をひとつひとつレジに通していく。とは言え、大した量ではない。すぐに金額が出てしまう。
「1623円です」
事務的な言葉。彼は慣れた手付きで黒い革の財布から金を差し出す。ちらりと見えたブランド名はBALENCIAGA。高校生の持つ財布ではない。イケメンなだけじゃなくお金まであるというのか。妙に高揚する。じわりとこめかみに汗をかく。手汗を気にして制服に手を擦り付けた。
お金を受け取り、おつりとレシートを渡す時に渡そう。私は僅かに震える指先でおつりとレシートを手に取り、すぐるくんに差し出した。彼におつりを渡す時にはいつも手渡しすることにしている。少しでも手が触れたりしないかな、という下心だ。しかし、いつもギリギリで肌が触れ合わない。
「ありがとうございます」
「っ、あの」
「はい?」
すぐるくんが首を傾げている。今だ。
先程書いた紙をおつりの上に乗せた。字が汚い。ペン習字とかやっておけば良かったと謎の後悔が襲う。
彼はその様子を見て紙ごとおつりを受け取った。ぺらりと紙を確認している。ごくりと唾を飲んだ。喉がカラカラだ。
「コンビニ店員ってナンパいいんですか?」
「ナ、ナンパじゃなくて!その、相談があって、だから!ナンパじゃないです……」
不安で声はどんどん萎んでいく。
相談なんてない。ただのナンパだと思われたくてつい口をついて出た嘘だ。しかし、そこにどうやら彼は反応を示した。交わす視線。ダメだ、かっこいい。
切れ長の瞳に自分が映っているというだけで嬉しくて、全身が沸くように熱い。
彼は何やら言おうと口を動かしたが、すぐに女子が顔を出した。
邪魔虫め。さっさと消えて欲しい。
「どうしたの?傑」
「何でもないよ。行こうか」
彼はおつりと一緒に私の連絡先を財布の中に仕舞いこんだ。受け取ってもらえないんじゃないかという心配はすっかり姿を消した。
「ありがとうございました」
私のその声に彼は一度私の方を振り向き、軽く会釈してから商品の入った袋を手にとって出口へ向かう。女子は何にも気付くことはなく平然と彼の横に並んで歩いていった。
髪の揺れる仕草さえ疎ましい。
しかし、連絡先は受け取ってもらえたのだ。
「佐藤さーん、ちょっと来て」
バックから聞こえる店長のその声にいつもより高い声で答えると「何かいい事あった?」と聞かれ、何て答えたのは覚えていない。ただ嬉しくて高揚していて、今にもスキップして店内を走り回ってしまいそうだった。


そこから3日。私は凹んでいた。彼から全く連絡が来ないのだ。その上、コンビニにも誰も来ない。自動ドアの開く音がする度に顔を上げるが、来るのは草臥れたサラリーマンだ。吐きそうになる溜息を押し殺してタバコの補充をする。やっぱり連絡先を聞いた方が良かったんだろうか。でもそれで教えてもらえなかったらショックだ。ぐるぐると思考が巡る。嫌だ嫌だと考えているうちにレジ前に人が並んで顔を上げた。
「どうも」
彼だ。思わず小さな悲鳴が出た。
制服姿の彼は3日前より高い位置できっちりとお団子に髪を結っていて、幾分かキリッとした印象である。驚きで目を白黒させている私に動揺するでもなく、彼はにっこり微笑んだ。うわ、と思う。可愛い顔。目を開いているとかっこいいのに笑うと可愛いなんてずるい。
「いきなりすみません。電話よりいいかと思って」
「あ……はい」
電話してくれても良かったのに。
充分嬉しいのに、彼が私の為に足を運んでくれたことが更に嬉しくてにやけてしまった。
口元を抑えてにやにやしている私を他所に彼は言う。
「で、相談ってなんですか?最近眠れていないことですか?」
いやにピンポイントの聞き方をしてくる。確かにここ1ヶ月ほどあまり眠れていない。
隈でも出来ているのかと思って目元に触れたら、彼は微妙な顔をした。
「ああ……もしかして、見えるから相談してきたわけじゃないんですか」
意味が分からない。私が困惑で答えられずにいると、さっきまで微笑んでいた顔は面倒そうな顔へと一瞬で変わった。その上、溜息まで吐かれる。
「せっかくかなたとの時間を減らしてここまで来たのに。もう帰っていいですか」
「え、待って!その、」
「相談なんてない。ですよね?人の善意を利用するの、やめた方がいいですよ」
ガツンと頭を殴られた気分だ。くらくらする。私が眩暈を起こしている間に彼は私に背を向けた。
やだ、やだやだ行かないで。
「っ、好きなの!すぐるくん!」
いつもの声の5倍はあるような大声に流石に彼は足を止めた。バックからは店長の驚いた声が聞こえる。でも止まれない。
「好きなの。付き合ってください。それがダメならせめて連絡先ください!電話くれるだけでも嬉しいから……だから、?」
彼は私が必死に話しているというのに、さらりと棚の方へ移動してしまった。声は聞こえているのだろう、足を止めたから確実だ。
私が呆けているうちに彼は戻ってきて、レジの上に小さな箱を置いた。銀色の小さな箱は見覚えがある。コンドームだ。
「悪いけど、これからかなたとセックスするんだ。やっと告白を受け入れてもらえたんでね。で?何の話だったっけ」
途端に女子の顔が頭に浮かんだ。呑気な顔。
告白を受け入れてもらえた?
誰が?誰に?
そんな馬鹿な!
はくはくと気付けば浅く呼吸していてじわりと視界が歪む。しかし彼の瞳が早くしてくれ、と私を追い詰めた。心と裏腹に身体は習慣に倣うもので、スムーズに商品をレジを通していく。私は懸命に彼に掛ける言葉を考えるが、それがまとまる前に彼はコンドームの箱を掴んでコンビニを出て行った。
虚ろだ。
あんなに連絡先を受け取ってもらえた時嬉しかったのに。それなのに意味の分からない言葉で怒られて、呆れられて、しまいには女とセックスすると言って出て行ってしまった。
ずるい。ずるいずるいずるい。
どろりと感情が煮えて溶けだす。
許せない。
ぐつぐつと感情が煮えている。
殺してやる。女を殺してやる。
バックから出てきた店長が何やら言っているが全く聞こえなかった。


カバンの中身を全て出して包丁を入れた。
いつでも出せるように包丁の柄を握って、シフトの時間以外コンビニの前で待機した。シフトの前、シフトの後。働いている最中も包丁をハンドタオルで包んで、飲み物を隠しておく棚に置いている。
いつでも刺せるように。
殺せるように。

今日まで、4年間包丁を握り続けているが、
彼らがそのコンビニに現れることは一度もなかった。




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