キューピッド・バナナ


期待と不安がミキサーに掛けられている。ごちゃ混ぜの感情のスイッチを切れば、それは当然の如くただのバナナジュースだった。つい昨日、傑が持って帰ってきた大きなバナナを三本毟って牛乳と一つにさせる。大した日常の一コマではないのだが、今日は一味違う。緊張で喉が渇いてドロドロのバナナジュースを喉に流し込んだ。ごくり、と大きく喉が鳴る。

ああ、教室行きたくない。

それは高専に通い始めて一年経つが、初めての感情だった。確かに最初はあまりにつんけんどんとした悟と、古めかしいヤンキー姿の傑と、煙草をふかす硝子に私の高校生活終わったな……と思ったことは否定出来ない。しかし蓋を開ければ、三人とも根が優しい。ひとたび安心してしまえば精神的にも物理的にも距離が縮まるのは早かった。

そこまでは良かったのだろう。
問題が発生してしまったのは恋愛関係である───────男女というものは往々にして恋愛関係が絡み付いてしまうものだし、仕方ないとも言えるが、だとしても相手が悪かった。夏油傑である。いかにも単純女まっしぐらな私は教室に行きたくないどころか、傑に会いたい一心で怪我をしようが熱を出そうが皆勤賞を叩き出していた。

そんな私だが、結論から言えば、なぜか私はバナナ片手に買い物袋を引っ提げていた同級生の傑に告白をしてしまった。異様にモテる、あの傑にである。犬も歩けば棒に当たる。傑が歩けば逆ナンに出会う。
ここ授業に出ます。

昨日の苦々しい記憶に思わず手が震えた。恐ろしいことこの上ない。何でバナナ片手なんだよ、と思う。しかし、なにもかもバナナが悪いのだ。

モテ男夏油傑という男は女性の対処がスマートである。逆ナンされても嫌な顔をせず、「ありがとう、時間が出来たら連絡するね」と笑顔だ。しかしその実、貰った電話番号やメールアドレスは全て破り捨てるトンデモ男でもあるのだ。彼いわく、「簡単に好きになるなら簡単に忘れられるさ」と爽やかな笑顔で海老カツバーガーに齧り付いていた。つまり、逆ナンしたとて釣れる男ではないのだ。


春の盛りのことである。高専内の桜が咲き誇り、桜並木を連なる石畳の上を任務帰りにひとりで歩いていた。午前中から三つの任務をこなした帰りであるがゆえに疲労困憊といった状態だったが、懲りもせず教室へと向かっていたのだ。傑居るかな、居たらいいな。なんて恋する乙女全開のことを考えていると、校舎入口の辺りで見慣れた背中を見掛けた。大きな背中にボンタン、地下足袋の男なんてひとりしかいない。春風にお団子髪からはみ出た髪がそよいでいる。その男の右手には携帯電話、左手には買い物袋だ。どうやら電話をしているようで、何やら話し込んでいた。

居た! 良かった! と思ったのも束の間。

「ありがとう。助かったよ、またよろしく」

優しげな声だった。悟に対する言葉じゃない。硝子に対する言葉じゃない。私でもない。それなら、それは誰への言葉?

一瞬で過ぎった脳内には見知らぬ女の影がちらついた。反射的に肩が上がる。付き合ってるわけでもない癖に、勝手に裏切られたような気分に頭を殴られた。ドクンドクンと脈が大きく打つ。

たった数秒だったろうが、散る桜の動きは止まって見え、傑もやたらゆっくりと携帯を持つ手を下ろしたように見えた。それがまた名残惜しいのだろうか? と胸がざわめく。呼吸が止まった私に、傑がゆっくり振り向く。

「あ、帰ってたのかい。お疲れ」
「う、うん。お疲れ……」
「見てくれよ。たまたま今日会った人からバナナを貰ってね」
「バナナ……」
「さっきお礼の電話をしていたところでね」

たまたま今日会った人≠ニお礼の電話≠ニいう言葉が腹の底に落ちた。今日初めて会った人と連絡先を交換して、更に電話までしたと言うのだろうか。そんなこと、あの夏油傑がするのだろうか。

そんなに可愛い子だったのだろうか。

ぐるぐる頭をネガティブな言葉が巡っていく。一目惚れでもしたの? バナナなんて貰って好きになっちゃったの? なんでそれは私じゃないの? 私も傑にバナナあげれば良かった?

馬鹿馬鹿しい問答だ。それでもじわりと滲む視界の向こうで傑が困った顔をしている。眉を下げ、顔をやや左に傾けるのは傑の癖だ。困らせてる。その事実に心が打ち砕かれてしまいそうだ。込み上げた嗚咽をそのままに、私は「傑が好き」と漏らしてしまう。

「傑が好きだよ」

二度言った。傑はすぐに小さな黒目を丸くさせて、困り眉が釣り上がる。咄嗟に逃げ出したのは私だった。術式と呪力強化を全力で使ってまでして逃げ出した。傑が背後で何か叫んでいたけれど、それどころではない。他の女と同じように破り捨てられることだけは、どうしても避けたかった。

今朝のバナナジュースはそんな憎きバナナを殲滅しているのだ。許し難いバナナである。お前がいなければきっと傑は変な女なんかに引っ掛からなかった。バナナジュースの最後の一口はしっかり混ざりきっておらず、飲み込みがたい硬さで喉がつかえる。思わず、おえっと嘔吐く。憎きバナナの復讐だなんて思う暇もなく、苦しむ私の背中に手が触れた。

「何やってるんだい、危ないな」
「すぐ、う、おえっ」
「汚いよ」

トントン、と傑に背中を軽く叩かれる。すぐに泣き出してしまいそうだ。じわりと熱くなる目頭を押さえてキツく目を瞑った。勢いでつかえていたバナナがごくりと食道を流れていく。助かった、と思うのと唇に何かが触れるのは同時だった。そっと目を開ける。近すぎてぼやけた顔は間違いなく傑だ。

あ、意外と睫毛長いんだ。そう思っていると、再度唇が重なる。ちゅ、と軽いリップ音がまだ静かな共同キッチン内に響いた。

「これバナナか。昨日持ち帰ってきてやつ食べてくれたんだね」
「か、彼女からもらったやつ」
「え? 私が親戚のお兄さんから貰ったやつだけど」

はた、と意識が戻った。カセットテープを高速で巻き戻すように、昨日の発言が脳内に蘇る。たまたま今日会った人≠ニお礼の電話=Bそう言われると、女とも初めて会ったとも言われていないのである。頭と心が追いつかずに目を白黒させていると、傑が不満そうに唇を尖らせた。

「キスしたのに無反応?」

すみません。バナナは何も悪くないです。





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