チューして、




好きな子に振られた。
やんわりと、しかしハッキリと振られた。

かなたの、笑うとえくぼが出来る顔が甘くて好きだ。その顔に堪らなくなってつい、胸をついて言葉が溢れてしまったのだ。甘い香りがするかなた。まだ春の入りの3月である。先程まで桜が満開になったこともあり花見に行こうと私が告げた時だ。4人で行こうと声を弾ませる彼女に2人で行きたいと私が告げた直後のことだった。君が好きだから2人で行きたいと伝えた私に、彼女は目を伏せた。理由は納得がいっていない。

「夏油って、愛してるとか言いそうだから付き合えない」

は、と思わず息が出た。強めに聞き返そうとしてしまう私にかなたは昏い目で笑った。右側だけが、つり上がるような不器用な笑顔。つられて自分の左口端をゆるりと上げるが、場の空気がそれで治まるはずもない。漏らすように呟いた「なんで」という情けない男の声に、彼女は返事をしなかった。

春の教室には私たちしかおらず、雨天に挟まれた中日である今日の空は淡く透き通る水色だ。その中にピンクの花弁が舞う、まさに春の1日に目元にピンク色を乗せた彼女に振られた。ぷっくりと膨らんだ唇は固く閉じられる。風に舞う彼女の毛先を気まずげに追うと、カーテンを捲るように現れた彼女の首筋には少し膨らんだ傷跡があった。


それはまだ1年の秋の頃、彼女と任務の帰りにコンビニに立ち寄った時のことだった。任務は早朝から始まり、昼を過ぎ、気付けば太陽まで私たちより先に帰宅してしまうという鬼スケジュールに私とかなたは深く項垂れていた。移動の車内にも会話はない。それでも一応15時を過ぎるところまではなんとか会話をしようとしていた。いや、努力はしていた。しかし疲労で頭が回らなくなると定番である『しりとり』さえ、ろくに進まなかったのである。

ちらりと見えた彼女の顔には深い眉間の皺と影が掛かっている。私も気が付けばたっぷりの溜息と爪先の貧乏ゆすりが止まらない。そこで真っ直ぐ高専に戻ることも出来たが、あえてコンビニに立ち寄ったのである。空腹と疲労に耐えきれずに飛び込んだグリーンとオレンジのラインが目印のコンビニは高専から最寄りのコンビニになる。いつも人は多くないが、例に漏れずその日も人は少ない。見えるスーツの人間は大方、高専関係者だろう。

「何食べよう……腹が減りすぎて分からなくなってきた」
「そういう時にはとにかく肉と米だよ……」
「肉と米……」
「カロリーだよカロリー」
「カロリー……」

腹を押さえて力なく棚の中をふらつく彼女にレジ横のホットスナックを指さした。脳死状態のかなたは完全にオウム返しで限界を迎えている。疲労と空腹なんてものはとりあえず肉と米を食って寝るのが1番なのである。少なくとも私はそれを信じて疑わない。その真っ直ぐな瞳につられてかなたもホットスナックに目を奪われた。その視線に気が付いたのか、ネームプレートに星マークが3つ付いている男性店員は笑顔で声を上げる。「ただ今揚げたてです」の声は腹の底まで響いた。途端にぐう、と腹の虫が騒ぎ始める。

そこからは早かった。2人でありったけのおにぎりを掴んでカゴに入れ、早足でレジへ向かう。並んでいたスーツ姿は気付けばレジを離れている。その時はどうも思わなかったが、今思えば死屍累々の学生に気を使ってレジを譲ってくれたのだろう。そんなことに気付くことも出来ない私たちはホットショーケースの中にある肉という肉全てを指さして買い占めた。からあげにフライドチキン、焼き鳥が大量に袋詰めされているところの記憶はない。気付いた時には口の中に肉の油分を感じていた。

肉に迷いなく噛み付き、咀嚼して飲み込む私を尻目に彼女はじっと生あたたかい唐揚げを見つめていた。もうそれは私が4つめの唐揚げと2つ目のおにぎりに手を出した頃で、いそいそとカロリーを身体に放り込む私とは対照的だった。

「食べないのかい」
「あー、いや、食べるよ」
「唐揚げ嫌いだった?」
「そうじゃないけど。……夏油って唐揚げ好き?」
「揚げられた肉は総じて好きだよ」
「あは、そんな感じする」
「焼かれてるのも好きだけどね」
「肉が好きでいいんじゃない?」

眉を下げて困ったような笑い顔。汗で貼り付いた髪が彼女の口に入りそうなことに気付いて、そっと指を伸ばす。なんだか無性に喉が渇く。弾くように指先だけでそっと触れる私と彼女の大きな瞳の視線が交じった。瞬きのない大きな瞳が私の目と指先を見つめている。春は昼間が温かい分、夜はほんのりと肌寒い。美味しそうな彼女の丸い頬もほんのりと冷たくて一瞬だけ私と彼女の垣根が消えた。

「……ありがと」
「冷たいね。寒いかい」
「夏油の指も冷たかったよ」
「ごめん」
「いいよ。温かいより冷たい方がいい」

肌寒い中で冷たい方がいいなんて言葉が返ってくるとは思わず、目を白黒させた。突っ込んで聞いてみるか悩んだが、やっと彼女が唐揚げに手を伸ばしたので言葉を飲み込んだ。ガサツに噛み付く私と違って彼女は箸で唐揚げを割いて、小さくしてから欠片を少しずつ口に運んだ。おにぎりまで小さくして食べるので、食べづらくはないかと純粋に疑問を感じる。そこで聞こうと口を開いた私が声を出す前に───1秒にも満たないが、彼女が声を出した。

「夏油は」
「え、うん」
「好きだから食べたいと思う?」
「唐揚げもおにぎりも好きだから食べたいよ。……でも、そうだな。好きだから食べたいというより、先に来るのは空腹かな」
「空腹」
「お腹が空いているから食べたくて、好きだから食べるものの選択肢に入ってくるんだと思うな」
「なるほどね、そっか」

そっかそっか、とかなたは執拗に頷いた。心から納得している様子だ。少しズレた質問にまたもや疑問を感じるが、それもいいかと新たなおにぎりに齧り付く。歯を立てて、形を崩すように口の中に送り込む。何度も噛んで咀嚼して、飲み込んだ。なんだか歯痒い。時折感じる彼女の視線を振り切るようにカロリーは駆け足で腹の中に流れ込んだ。その日はそれ以上話すこともなく、彼女と別れた。



彼女を好きだと感じたのはそういった日常の積み重ねだった。特段好きになったのは、彼女が普通の女子だったからというのもある。善人すぎるというほど善人でもなく、たまに悪戯をしてこっそり笑うような部分もある。そんな彼女の茶目っ気と甘さが絶妙で、胸を擽られるのだ。

そっと思い出を頭の中だけで巡らせると、悟は「あいつおかしいぞ」と鬼気迫る顔で私の部屋に駆け込んできた日は流石に笑いが止まらなくて腹を抱えたことを思い出した。悟の布団の中に大量の蛇の玩具を仕込んで、ほくそ笑むような度胸もある女子だというのは、確かに普通ではないのかもしれない。涙を流しながら手を叩いて笑う彼女の姿が鮮明に思い出される。そんな日を重ねて、春に彼女へ思いを告げるに至った。


彼女の立ち去った教室に1人取り残される。頭がよく働かなくて、ぼんやりと空を眺めた。桜の向こうの空にはぼんやりと目立たない月がほんのりと透けて見えている。昼の月。白くぽつんと残される月に思わず自分を重ねる。明日からどう話そう。気まずくなるくらいなら告白なんてしなければ良かった、というのは古から学生の付き物だろうか。背中を反ると、小さい机に備え付けの小さな椅子がぎしりと鳴った。深い溜息を漏らすと同時に教室の扉が開く。巨大なスラリと伸びた身体は悟だ。

「あれ?傑なんで教室いんの」
「ほっといてくれ」
「なにそれ」

悟はいつも座っている机に寄ると、机の中から数枚のプリントを取り出した。「これだこれだ」と独り言を呟いている。

「プリントは持ち帰れって言われてるだろ」
「いいじゃん。取りに来れるし」
「余計な手間じゃないか」
「っつーかさ、それよかさっき聞いたんだけど」
「聞けよ」
「かなたって高専に来る直前に、父親に首噛まれて病院運ばれてんだな」
「は?」

は?ともう一度繰り返す。なんだって?

悟は「キショい代償だよな」と当たり前のように呟いて、プリント片手に教室を出て行った。私はと言えば、時が止まっている。同時に、『そうか、あの傷は』と頭が働く。少し膨らんだあの傷跡は噛み跡だったのだ。右耳のすぐ下に存在感を放つ膨らんだ跡。

堪らず私は教室を飛び出した。窓の外の景色が車窓のように流れていく。途中、悟とすれ違って「うわ」という言葉が聞こえたような気がしたが、それよりも気持ちが背中を押していく。早く早くと急かされる。女子寮へ続く廊下を抜け、階段を3段飛ばしに降りる。だん、だん、と重めの音が静かな学び舎に響いた。外に飛び出すと夕暮れの始まりで、空の水色が赤みを孕んでいく。強い光で校舎のひんやりとした影が濃くなっていく。それを全部振り切って女子寮の扉を潜った。

息を切らせるような距離ではないが、緊張感からか息が切れる。強く叩きすぎないように気を付けながら、彼女の部屋の扉を3回ノックした。薄い扉の向こうからすぐに彼女の間延びした「はーい」という返事が聞こえた。彼女が顔を出すたった数秒が長く感じる。

「え、どうしたの夏油」
「私が君に振られたの、かなたの父親と何か関係ある!?」
「うわ声デカ」
「それはごめん!」

息を必死に整える私に、彼女はなんとも言えない顔で入室を促した。夜はもうすぐそこまで迫ってきていて、彼女の部屋はぼんやりと暗い。共にテレビの前にある座椅子に腰掛けて向かい合った。かなたの拳は太ももの上で強く握られている。

「誰から聞いたの、それ」
「悟から」
「あー、言いそう」

首の座らない子どものように彼女が俯く。たらりと彼女のさらさらの髪で顔が隠れた。どんな顔をしているのか見たくても、振られたという事実に阻まれて彼女の顔に触れられないのが、もどかしくてどうしようもない。

「うん、そう。父親と関係ある」
「詳しく聞いてもいいかい」
「詳しくも何も、話すことないよ。ただ父親に愛してるからお前を食うって言われて首齧られただけだし」

彼女の声は平坦だ。怒りとも悲しみとも読み取れない声に胸が詰まる。秋の頃の会話を嫌でも思い出した。

「でも違うんだよね。夏油が言ってた通りだと思う。私を愛してるから食べるんじゃなくて、多分、殺したかったからなんだよね。順番は逆なんだよね」
「私がそんな父親と同じだって言いたいのかい」
「違う」

違う。分かっている。いま自分が問うたものは論点がズレていると気が付いていた。それどもキツく、キツく自分の唇を噛み締めていないと更に余計なことを言い出しそうで奥歯を噛んだ。

「違うんだよ、夏油。怖いの。だって、お母さんも同じようにして死んだから」

息が止まる。

「お母さんも愛してるから食べたいって私に噛み付いたの。私のせいなんだよ。私のせいで夏油がそうなるんじゃないかって怖いの」

喉が鳴った。斜陽が彼女の丸い頭に掛かる。彼女は美しかった。壊したいほどに。




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