春の君は美しい



食べることは快楽だ。
飲み込むことは愛だ。

火を軽く通した可愛らしい肉からは水分が溢れ、赤い色の水分が皿の上で広がっている。
そのまあるい白縁の中におさめられたちいさな世界で彼女は眠っている。肉。横たわる肉。ほんのりと産毛の生えた柔らかい白い肉はその内側を晒していた。その美しかった肢体にごくりと喉が鳴る。

クックパッドで様々なステーキのレシピを見たが、しかし彼女≠ナある時点でその味は保証されていると言っても過言ではない。
彼女の優しくて強い瞳も、大口開けて笑うその唇も、嬉しそうにすれば盛上がる頬肉も、今は私の空腹を刺激した。

腹の底から手を伸ばしてでも食べたい。
臓器という臓器を全てこの手でどかして、そして彼女の全てを飲み下すのだ。
それが出来ぬのなら、彼女は死ぬべきではなかった。



彼女の訃報が入ったのは、私が呪術界を離反してから3年後のことだった。

私はまだ全国からの信者を寄せ集め、日々社会人のヤケ酒のように呪霊を鵜呑みにしていた頃である。

美々子と菜々子が眠ったのを確認してから夜通し都市部を巡る。情報をかき集め、良さそうなものがあれば片っ端から鵜呑みにする。朝方に小さな住居スペースに帰り布団に入る。そして30分もすれば美々子と菜々子が起こしに来る。学校の用意をさせ、朝食を食わせ、学校まで見届けてから仕事に戻る。教団内で信者につく呪霊を引き剥がしては飲み、相談に乗っては引き剥がして飲み、真奈美さんに頼んでおいた収支の報告に合わせて采配を出す。そして美々子と菜々子が帰ってきて、の繰り返しだ。

決まった日常。飲み下す呪い。

私自身、日々呪いを飲み下している中で術式の種類や幅が広がることで、理解の広がりを感じていた。術式の理解や解釈は大事である。そも、術式は脳に起因するが完全に理解されたメカニズムではない。ゆえに、そのブラックボックスに手を突っ込んだ際の感触≠ニいうものは重要視された。
『極の番』というものの理解にまで及んだのはつい先日のことである。

呪霊の術式を知る。特性を知る。成り立ちを知る。それは、忌むべき猿どもの見つめる苦痛な作業だった。術式は成り立ちに起因し、特性はその生まれた猿どもの特徴を色濃く現した。苦痛だ。痛い。しかし、知らねば。

春の頃だ。
気温は20度前後を示すようになり、早咲きの桜が満開になる頃。その日も空の雲は魚が泳ぐように流れていく。速度に追いつけない雲が私の頭上に影を落とす。窓からは爽やかな風が流れ込み、猿の行動が活発になる。嫌な季節である。

かつて盤星教という名でひっそりと存在していた教団本部の本堂裏には家族がゆったりと過ごす部屋がある。そこへ向かいながら、風に吹かれて迷い込む桜の花弁を踏み潰しながら廊下を進んでいると背後から声を掛けられた。ここ1年で見慣れた顔だ。数列の並んだ紙が挟まれたバインダーを差し出してくる。

「夏油様、こちらが届いておりました」

収支報告のバインダーにはあまりにも殺風景すぎる真っ白な便箋が挟まれていた。薄っぺらい手紙に宛名はない。しかし僅かに残る残穢は見覚えのある男のものだ。

「……真奈美さん、これどこで?」
「はい。教団の信者が踏み入らない禁足地の中央に」
「中央?はっ、分かりやすく嫌味な奴だね」

つい鼻で笑い、たった数年のよしみの為にびりりと便箋を破き開けた。開けば、中身も封筒と共に切れている。まあ、いいかと思って開く。

《かなた かねてから療養中だったんだけど去る3月12日に永眠しちゃいました。ここに謹んでご通知申し上げます。葬儀におきましては、故人の生前の意志とか関係なく高専関係者のみにて執り行います。生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げ、失礼ながら、書中をもってお前にお知らせ申しあげます。

平成二十一年三月十二日
〒134-××××東京都■■区□□○-△△-△△喪主 五条悟》

なんて勝手で不躾な文なんだと言いたかったが、それ以上の内容に手が震えて手紙を落とした。
───────死んだ?死んだって?

かなたが。

そもそも療養中だったとは何だ。
病気だったのか?それとも……。

高速で頭に思考が浮かんでは白に侵食されていく。やがて真っ白になった頭で時が止まった。ぽつりと頭の片隅で、理解と拒絶が殴り合っている。


手から滑り落ちた白い絶望はひらりひらりと冷たい床に落ちた。
風の音も鳥の囀りも聞こえない。静かだ。

数年、たった3年ではあるが私が躍起になって呪霊を集めていたことが馬鹿馬鹿しく思える。死んだ仲間のため、まだ息をしているかなたのため。しかし絶えた。その色付いた柔らかい唇から紡がれる吐息は絶えた。呆気なく、私の預かり知らぬ場所で。











彼女は善人だった。

痛いのは嫌だと言うくせに、そのくせ人が痛がっているのを見過ごせない人間だった。
良い術師だったろう。
対象の中身がどうであれ、自分がやるべきことをとことん尽くす人間だった。
愚かとも言えるし、優しいとも言えた。

青い春に閉じ込められた
甘い香りのする女の子だった。


───────夏油って優しいんだね。


甘い声がふわりと脳内に香った。眼前に風に乗った花弁が舞う。


───────飲み込むのって、受け入れることでしょ?人の負の感情を受け入れるのが、夏油の術式なんだよね。


舞う。流れる。吹き溜まる。

「っ、夏油様!」

真奈美さんの制止する声を振り払って呪霊に飛び乗った。びゅうびゅうと耳元で向かい風を切る音がする。彼女が死んで悟が何を思ったのかは知らないが、それでも僅かな間にあの手紙を届けたに違いなかった。なぜなら今日が3月12日。彼女がその命を散らして、ほんの数時間しか経っていないだろうことは確信している。行き先は迷わず、通い慣れたあの寺社仏閣のような学校だ。




カチャン、とカトラリーを置く。それらしい白い器に合わせて設置したフォークとナイフで彼女の柔らかい皮膚に一線を入れることは躊躇われた。なにを、と思う。高専の死体安置所から奪った彼女の肢体を解体したのは私自身だ。死体袋につけられた温度のない番号に腸が煮えくり返りそうになったことを思い出す。黒い死体袋に入れられた彼女はまるで人形のようだった。ミステリーに現れる洋館に眠る美しい死体のようだ。

白い器の横にある、これまた真っ白なミルクピッチャーには赤ワインのソースが溺れている。彼女の甘い血液のように、最初からそうであったようにそのソースを手に取って肉にたらりと垂らす。少し粘質のあるソースがたらりたらりと彼女の甘い肉に掛かり、腹の底で彼女が手招きをした。

カトラリーを無視し、右手で火の通った彼女を掴む。こんがりと火傷をおった彼女の白。産毛が指先を触れる。さわりとした感触を、思い切り口の中に押し込んだ。独特な臭み。そして硬い。人の肉は臀部でギリギリ食べられる程度だと聞いたことはあったが、歯が割れようと潰れようと噛み砕く。そうしてほんの少しほどけた彼女をごくりと喉に流し込んだ。唾液に溶けてぬるりと喉を滑る彼女が愛おしくて、温かい血液が頬を流れた。

食べることは快楽だ。
飲み込むことは愛だ。
これは、恋だ。




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