お題企画 | ナノ


あのひのぼくよ、おぼえているか





呪術師は不定休。悟はそれに加えて高専の教師もしているから、平日の休みは基本的に学校へ出勤してしまう。今日みたいにたまたま休みが土曜日と被ることなんて、それこそ七夕並みに貴重だ。それは言い過ぎにしても半年に一回あるかどうか。

2人で選んで予約していたアフタヌーンティーは、夕暮れに差し掛かった景色もケーキも最高。それに加えて私の目の前には、美味しそうにケーキを頬張る悟の笑顔まで並んでいるのだからたまらない。

さっきから、悟の薬指に光る結婚指輪を盗み見てはニヤケを抑えきれずにいる。カップを持った自分の左手薬指にも同じ結婚指輪がきらりと光っている。はぁ、なんて眩しい。結婚したばかりの頃に「うわっ眩しっ!」と七海の前でふざけたけれど、心底ウザそうな顔をされたのでそれ以来トラウマになった。心の中でこっそりと自分に向けてやることにしている。

無意識に悟を見つめていた私はさぞかし緩んだ顔をしていたのだろう。悟の手のひらが私の膝へと、撫でるように置かれる。

「僕の奥さんはすぐぼーっとするから困るなあ。心配になっちゃう」
「幸せだなあと思って。つい」
「うわ可愛すぎ。抱き締めていい?」
「それは駄目」

不服そうな顔を作った悟が、私の膝をさらに撫でる。我が夫ながらなんて綺麗な顔なんだろうか、としみじみ噛み締めながらも、その大きな白い手に輝く指輪を見るたびにお腹の奥がぎゅうと苦しくなる。こんなにカッコいい夫、心配になっちゃうのはこっちの方だ。

「なまえどうしたの?ぎこちなくない?」
「悟が私の夫ってまだ慣れなくて、実感すると緊張しちゃう」
「ねえあんまり可愛いこと言わないでよー。本当にここで抱き締めちゃいそう」
「ふふ。紅茶のラストオーダーそろそろだし、ちょっと散歩してもう帰ろっか」
「……僕行きたいところあるんだ」

悟がニッコリと笑う。この無邪気な笑顔は、高専の頃から唯一変わらない所かもしれない。かれこれ12年の付き合いの末夫婦になった私たちは、相手の顔を見ただけで大体の思考が読める。悟のこの顔、間違いない。

「なんか企んでるでしょ」
「どうかなー!まっ任せてよ」




会計を済ませてホテルの正面玄関を出ると、そこには何故か真っ黒のハイヤーが付けられていた。ドアを開けてくれたホテルマンに「五条様」と呼び掛けられたのに、それに私も含まれていると気がつくまで数秒かかる。なんでハイヤー?私はどこに連れて行かれるの?疑問を込めた目線を悟に送ると、さっきと同じ無邪気な笑顔を返される。これは答える気ないな。

乗り込んだ車内は広々としていて、ご丁寧に運転席との間にカーテンまで付いている。私の後に続けて乗り込んだ悟が、早々にそのカーテンを引いた。

「ハイヒールもエロくて好きだけど、歩きづらいかもしれないから着いたらこっちに履き替えてね」
「うん……あ、これ!欲しかったやつ」
「そうそう。やっぱなまえセンスいいよね、僕もお揃いで買おうかな」
「いいじゃん!お揃いにしたい」

ハイヤーの座席に鎮座していた箱には、ずっと欲しかったスニーカー。ていうか私、これ悟に欲しいって言ったっけ。自分が言ったことも覚えてないし、正直、私は悟が今何が欲しいか分からない。悟は何でも持ってる上に物欲がほぼ無いとはいえ、妻としてそれはどうなのか。

「ありがとう、悟」
「どういたしまして」
「すごく嬉しい」
「良かった」

思いっきり抱きついた私の身体を難なく受け止めた悟の指が、私の顎に添えられる。スルスルと滑らかに進むハイヤーの中に、密やかな口付けの音が小さく響いた。角度を変えて次第に深くなる口付けは柔らかくて甘くて、数え切れないくらいにしてきたはずなのに毎回意識が蕩ける。
舌を甘く噛まれてそっと吸われると、悟の背中に回していた指先に力が入ってしまう。キスの合間に「かわいい」と何度も囁く悟の声までもが、私の心を痺れさせる。

「……私は悟に貰ってばっかりだね」
「それは僕のほうだよ。なまえが思ってる以上に僕はなまえから色々貰ってるんだから、こんなお返しじゃ足りないくらい」
「そうかな……じゃあ、そういうことで」
「ん。素直でいいこ」
「悟大好き」
「僕の方がなまえのこと大好き」
「私でーーす」
「僕でーーーす」

めちゃくちゃに抱き合ったりキスをし合ったりするたびに、ハイヤーが少し揺れる。変なことしてると思われたら嫌だなと思いつつも戯れ合っていると、発進した時と同じくらいのスムーズさで車が停止した。先に降りた悟が運転手を制して、ドアを開けてくれる。



目の前に広がっていたのは、高専からほど近い丘だった。夜に差し掛かった空が薄い紫色に輝き、なだらかな緑の芝生をより濃い色に染めている。
悟に手を引かれるまま、開けた場所まで歩みを進める。眼下に広がるささやかな街並みが、なお一層私の郷愁をかき立てた。

「なっつかしー……」
「でしょ。10年ぶり?」
「うわ、思い出してきた!悟とここでバトミントンした記憶がある」
「あったあった、付き合う前。なまえマジで弱かった」
「そうだっけー?よく覚えてるね」
「うん。……なまえ、今日何の日か覚えてる?」

サングラスから覗く六眼が意味深に細められる。後頭部に回された大きな手は愛おしむように私の髪を撫で続けていて、甘い甘い空気が私たち2人をすっぽりと包んでいた。
当の私はというと、全く思い出せない焦りから曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。誕生日でもない、結婚記念日も違うし、付き合った日でもない。初めて会った日?は入学式か。ヤバい、全く思い出せない。
悟の腰に回した腕に力を込めると、ぴたりとお互いの身体がくっつく。悟が小さく笑った。

「時間切れ。やっぱ覚えてないか」
「ごめん、本当にわかんない」
「いいよ。絶対に僕しか覚えてないもん」
「何の日?」
「今日はね、なまえが僕のことを好きになってくれた日」


夜に差し掛かった空には、目を凝らせば見えるくらいの星が震えるように瞬いている。どんな星よりも美しく瞬く悟の瞳が、真剣味を帯びて私を射抜いた。おでこにふわりと柔らかな唇が落とされ、離れていく。

「あ」
「思い出した?」
「……バドミントンで足捻った私のこと、おんぶしてくれた」

12年前、この場所だ。遠くへ飛んで行ったシャトルを後ろ走りのまま追いかけたせいで足を捻った私を、悟が高専までおんぶしてくれた。「悟、おんぶして」と冗談のつもりで言ったのに、自分が怪我したみたいな顔をしておぶってくれた。
あの時の大きくて温かい背中とぶっきらぼうで優しい「俺のせいだから、ごめん」という謝罪の言葉、別に悟のせいじゃないのに。彼が私のことをどれだけ大切にしてくれているかが背中を通して伝わってきた気がして、私は悟のことを心から好きだと思った。


「なまえ、僕のことを好きになってくれてありがと」
「こちらこそ」
「僕の奥さんになってくれて、ありがとう」
「うん。それもこちらこそ」
「……こっち見てよ」
「う、ん」
「ははっ、ほーんと可愛いなあ」

悟が私を見つめる、この目。あの頃から何一つ変わらないその優しい眼差し。
真っ直ぐに愛情を伝えてくれる悟になかなか素直になれない私を、彼はいつだって「可愛い」と言って笑ってくれる。

「……悟、愛してる」

言葉にすると、顔に血が集まってなんだか急に暑くなる。たまらなく恥ずかしくて広い胸に顔を埋めると、楽しそうに笑う悟の声に混ざって、私と同じ柔軟剤の香りが漂った。

「僕も愛してるよ、なまえ」
「うん。これからも宜しくね」
「こちらこそ、僕の奥さん」

とびきり甘い甘い声でそんなことを言うものだから、顔が緩んでしまってどうしようもない。見られたくなくて悟の胸に頬を押し付けていると、「顔見せてよー」と鼻先で耳をくすぐられる。こんな緩みきった顔、見せたらこれから半年は揶揄われるに違いない。

「悟、おんぶして」
「うわ、それはずるい」

勝った、と思って見上げた悟の顔も多分、私と同じくらい緩みきっていた。夫婦が似てくるっていうのは、どうやら本当らしい。






BACK




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -