くらくら



何ともないよ、と言った傑が、唾を吐き出したティッシュを部屋のゴミ箱に投げ捨てた。「ナイッシュー」と掛け声を発した私の視界の端に、赤色が通り過ぎた気がして慌ててゴミ箱を覗く。傑によって投げ込まれたティッシュは、血に濡れて真っ赤だった。


ただの体術訓練だった筈なのに、いつの間にか傑と悟のふざけ合いが本気の喧嘩に発展した。夜蛾先生が駆けつけた時には既に2ラウンド目が終了し、すっかり2人とも砂ぼこりにまみれていたのが数時間前の話。
どちらも術式を使わなかったことがむしろ褒められてもいいんじゃないか、と思うくらいの大暴れだった。
夜蛾先生がなんとか納めたものの、2人とも完全にキレていて今にも3ラウンド目のゴングが鳴りかねない。「なまえ、俺は悟を何とかする。傑を頼む」と、キレた傑を押し付けられて、彼の手を引いて部屋まで何とか戻ってきたのだ。

恋人として、彼を宥めなければならないと使命感に駆られた私は、ここぞとばかりに傑の腰に腕を絡め「怪我はない?」と甘い声で囁いたりした。私のそういうのも少しは効いたのだろうか、シャワーを終えて戻ってきた傑は、すっかり普段どおりの落ち着きを取り戻していた。




「うわ、大丈夫?口の中切ったの?」
「ああ。でももう血は止まったよ。なまえ、水取ってくれるかい?」
「はーい。ね、見せて。硝子んところ行く?」
「ありがとう。いや、大丈夫」

ベッドに腰掛けていた傑の隣に腰を下ろし、彼の頬に手を添える。素直にあーと口を開ける傑、ちょっと可愛いなあと思いながらも真顔を作って、彼の口内を覗き込む。頬の粘膜が切れてはいたけど、傑の言うとおりすでに血は止まっていた。

それにしても、あの悟の猛攻にたったこれだけの怪我で済むなんて、傑は人間離れしている。言動の穏やかさとは裏腹に、体術もさることながら呪具も使いこなすその二面性を改めて目の当たりにすると、同級生とはいえ呪術師としての格の違いを痛感させられた。

「傑ってさ、化け物級に強いよね」
「それは、褒められてるって思っていい?」
「うん、尊敬する。」
「ありがとう。なまえだって筋は悪くないよ」
「そうかな……傑や悟みたいに咄嗟の判断ができなくて。どこ狙えばいいの?」
「対人間で言えば、ひたすら急所を狙うのが基本かな」
「急所ねえ。いまいちピンとこないな」
「……私が教えてあげようか」

水を飲み干してからこちらに向き直った傑が、大きな手のひらを私の髪へ潜らせる。その手のひらの温かさが首の後ろへ回ると、包まれるような心地良さについ眠気を感じてしまう。

「は〜傑の手、あったか〜い」
「なまえ、ここ一応急所なんだけど」
「頚椎?」
「そう。あとは、……」


内緒話をするような傑の声が寄ってきたと思うと、耳の後ろに柔らかな唇を押し当てられ、撫でるような吐息がかかった。

「ここが乳様突起。強打されると、くらくらして立っていられなくなる」

そこで傑の甘い声で喋られると、ぞわりと爪先まで鳥肌が立つ。かっと耳まで熱くなった私の様子を察した彼は楽しげにスルリと指を絡めてくる。甘い気配を感じて思わず自分の膝をこすり合わせると、恋人繋ぎのまま私の耳の後ろに唇を押し当てる傑が突然、小さく笑って「こら」と言った。私のよこしまな気持ちを見透かされたような気がして、益々顔に熱が集まる。
いわゆる私の「乳様突起」の部分に唇を押し当てた傑は、じっとして動かないままだ。……この体勢はまずい。そんなつもりはなかったのに、柔らかい唇、背中に添えられた大きな手。傑を目前に突き付けられて、まるでお預けを食らっているような気持ちになる。

傑と2人きりの時の、あの悩ましげな視線。意地悪に微笑む唇から囁かれる甘い言葉。思い出すと身体が震えかけて、ぴくりとも動かない傑の手を強く握り返した。私の耳の後ろに傑の呼吸がかかると、手の甲に触れている彼のシャツの感触にさえ、肌が敏感に反応してしまう。
強打されていなくてもくらくらして、立ってなんかいられなくなりそうだ。

「っ傑、ねえ」
「……急所に触れられたら、人は反射的にそこを守りたくなるものだけど」
「……うん」
「守らなくていいのかい?」
「もっと、触って」

こんなに簡単に傑の罠にかかってしまったことが、少し悔しい。満足げな顔の傑に優しく体重をかけられると、そのまま身体がベッドへ沈み込む。キスをしてほしくて彼の首に手を回し引き寄せたのに、傑の唇は私の頬に落とされ、ちゅっと可愛い音を立てた。

「なんで」
「まだ血の味がするかもしれない」
「傑のならいいよ、むしろ興味ある」
「はは、興味って。なまえは怖いね」
「へえ、私も興味あるな」「俺も」

「は?」

傑の大きな身体を避け、視線を天井に向ける。頭側にある窓から差し込む陽が眩しくて目を細めると、ニヤニヤと笑いながらこちらを見下ろす硝子と悟の顔に、目眩を覚えて別の意味で目を細めた。

「ちょっと、何で。いつから」
「さぁ?夏油は気付いてたぞ」
「あ、……こら、って!傑酷い」
「ごめん。全く気づかないなまえが可愛くてつい」
「はぁ〜あ。俺にボコられて可哀想な傑のために硝子連れてきてやったのに、善行積んで損した」
「悟、誰が誰にボコられたって?」
「夏油、見して。……なんだ、五条が言うほど酷くないじゃん。それくらいなら治療いらないな」
「ああ。悪かったね硝子。……悟も、ありがとう」
「おう。……悪かったな」
「うん。私も、ごめん」

照れ臭そうにそっぽを向いた悟は、まるで小さな子どもみたいだった。悟なりに傑のことを心配して硝子を連れてきたんだと思うと、何だか我が子の成長を目の当たりにした母親のような気持ちになってニヤニヤしてしまう。大喧嘩をしても気がついたら仲直りしている辺り、傑と悟は本当の兄弟みたいだ。

ニヤリと笑った悟が飛び跳ねるように後ろに移動して、傑と2人そちらに目を向けると、机の上にはお菓子やおつまみが山ほど積まれている。

「じゃ、4人集まったということで」
「げ、桃鉄?ご飯食べてからにしないか」
「やだよ、オールになるじゃん!わたしの部屋からゲームキューブ持ってくるからバイオ4やろーよ」
「なまえに賛成ー。夏油の怪我も軽症だったし、血飛沫ぐちゃぐちゃなの見たい」
「硝子、怖っ」
「それならナイフ縛りでやろーぜ!」

悟と硝子がバイオハザード4のレオンの動きを真似し始めて、それが結構似ているものだからお腹が痛くなるくらい笑ってしまう。



ひとしきり笑ってから、傑と女子寮の私の部屋までゲームキューブを取りに向かうことになった。傑の悪戯のせいでくらくらした頭をリセットしようと彼の手を強く握ったけれど、私よりも高いその体温にさっきの名残を感じてしまって、むしろ逆効果だった。

「はぁ」

顔を覗かせた不完全燃焼の欲望を、傑に気がつかれないよう溜息に乗せて廊下に捨てる。グラウンドにいる灰原くんの笑い声が遠くに聞こえてきて、それに釣られたのであろう傑が同時に小さく笑った。

「私が持つよ」
「ありがと。もうそれ傑の部屋に置いていい?」
「うん。なまえごと私の部屋に置いておこうかな」
「またそういうこと言う」
「ねえなまえ、さっきの続きしようか」
「……する」
「悟達が待ってるから今は駄目だよ。夜ならキスしても血の味しないと思うけど。どうする?」
「傑の意地悪。スケコマシ」
「はは、酷い言いようだね。ごめんね、今夜私の部屋に泊まりなよ」
「……キスだけじゃ、やだ」

溜息と一緒に捨てた筈の欲望はまだ私の中に燻っていて、それを瞳に含ませて上目に傑を見つめる。ばち、とあった目線が、珍しく傑のほうから逸らされ、繋いでいた手も離される。
その手で傑が自分の口元を覆ったから影になって見えづらかったけど、グラウンドの方を向いた彼の頬は、窓から差し込む夕陽と同じ色だった。

「あれ?いまの傑の急所?」
「そういう顔されると……いや、うん。なまえが私の急所なのかもしれない」
「立て直し早いなあ、さすが」
「今夜楽しみだね」

いつもの微笑みを取り戻した傑の左手が、わざと緩慢な動作で腰に回される。
『対人間で言えば、ひたすら急所を狙うのが基本』
傑の言葉を思い出して、誘い掛けるように私も彼の腰に手を回した。





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