ふたりのシナリオ



いよいよ3年生になってしまった。世間的にはまだまだ若いのは分かっているけど、平均寿命が極端に若い呪術界隈に限って言えばそんな事もないんではなかろうか。
私たちは、大人になるにつれて“死”に近付いていく。
死がこちらに向かってくるのではなくて、私たちから死へと向かっていく。

反転術式が使える術師は貴重だ、と、私も硝子さんもうんざりする程に言われてきた。硝子さんが3年生の頃はおそらく私なんかと比べ物にならないほど優秀だったに違いないし、卒業後も年数を誤魔化して医師免許を取得しているというのだから次元が違う。
私も例に倣って医学部受験を控えてはいるけれど、硝子さんみたいに在籍年数を誤魔化すわけにはいかなそうだった。私の頭では間違いなく、フルで6年勉強しなければ医師免許は取れないだろう。

それでも呪術界隈でちょっとした人気者である反転術式を持つ私は、3年生の4月から半ば無理矢理に京都校へと転入させられてしまった。人手不足とはいえ強引すぎる話だ。
晴れて付き合い始めたばかりだった恵とも、早々に遠距離恋愛になった。せっかく恵が高専生になったというのに、今度は私が東京校からいなくなってしまうなんて不幸すぎる。
私は奪われた青春を奪還すべく、恵に内緒のまま土曜日の始発の新幹線に飛び乗ってきたのだった。




久しぶり訪れた東京校は、京都と比べて人が多いように思える。人にはちょこちょこ会うものの知った顔にはなかなか会えず周囲を見渡していると、遠くでキラキラ光る、見慣れた白銀の髪が揺れていた。

「悟くーーーーーーん!!!」
「あれ、なまえ?おかえりー!」

やばい、泣きそう。1年生の頃に担任だった悟くんは面白くて楽しくて明るくて、大大大好きな先生。いつもくっついて歩いていたおかげで恵と出会えたので、ある意味で私たちの恋のキューピッドでもある。
付き合うことになったと報告した時には「恵を弄んだら許さないからね」と釘を刺された。それって普通は男女逆、なのでは?

「元気そうだね」
「なまえもね。帰るなら言ってくれれば良かったのにー、僕これから任務だよ」
「おつかれ。相変わらず忙しそう」
「恵は知ってるの?」
「ううん、サプライズ。でもまさか任務?」

気まずそうに口元を引き結んだ悟くんが、「あー」と濁すような声を発した。
やっぱり悟くんは相変わらずだ。最強だし御三家だしそもそも先生なのに、どうしても友達みたいに思えてしまう。

「悟くんってそういう演技は下手だよね」
「バレた?恵なら多分部屋だよ。さっきまで僕と稽古してたから」
「ありがとう!生きてるかなぁ」
「なまえ」

教師然とした硬い声色で呼び止められて、思わず背筋が伸びる。

「恵、元気だよ」
「……良かった。またね悟くん」
「若人同士仲良くね。次は連絡して。3人でご飯行こう」
「焼肉!」
「まっかせなさい」

去り際に「頑張れよ」と頭を撫でられると、安堵感で不覚にも泣きそうになる。歌姫先生も優しいし、ああ見えて楽巌寺学長も良い人。それでも悟くんや硝子さん、そして恵がいるこの東京校が私の居場所だと、心からそう思える。
涙を堪えているのを隠そうと「セクハラー!」と高い声で笑ってみたけど、多分バレてるんだろうな。



悟くんと別れて男子寮に向かって走っている内に、今度は別の涙が込み上げて来そうだった。
部屋に恵がいる。すぐそこに、会いたくて堪らない恵がいる。
恵の部屋は確か、ここ。LINEを見返しつつも間違えていたら大変だと、控えめに2回ノックをする。

呼吸が震えて、指先にじんわりと熱が廻っていた。突然私が現れたら、恵は驚くかな、喜ぶかな。ドアの向こうから微かな音が聞こえてくるのを、永遠とも思えるほど待ち遠しい気持ちのまま待っていた。
……待てど暮らせど、返事はない。まさか居ない?と思いつつドアノブを何気なしに回すと、ドアが開いてしまった。警戒心の強い恵は絶対に鍵を閉め忘れたりはしないはずだ。ってことは、部屋にいるのは間違いない。

「……恵?」

恐る恐る、部屋に足を踏み入れる。中程まで歩みを進めると、白いベッドに無造作に投げ出されたみたいにして眠る恵の姿があった。
そのあまりの静謐な姿に不安を覚えて、咄嗟に手のひらを口元にかざすと規則的な呼吸を感じる。
良かった、生きてた。恵はよく眠る。目を閉じた恵の顔は、静かで空っぽで、とても美しい。

「生きてるよね」

声に出すと、まるでそれが奇跡みたいに思えた。
胸が詰まる思いがして、ベッドに投げ出されているその白い腕にそっと触れて肌に浮かぶ薄青い血管を指先で押してみる。逞しい、男の人の腕だった。
手のひらでそのすべらかな肌を撫でると、少し低い恵の体温は私の体温にじわじわと侵されていく。
ああ、恵だ。
仮に私の目が見えなくなったとしても、こうして触れれば恵の肌だと分かる自信がある。

愛おしさに我慢できなくなってきて、なるべく静かに、恵の身体へ馬乗りになってからふと我に返った。
これめちゃくちゃ怖くない?起きたら引かれない?我ながらヤバい女だ、と思いつつ退こうとした次の瞬間、白い腕が私の腕を力強く掴み取った。
引っ張られた私の身体は、ついさっきまで恵が寝ていたベッドへと一瞬で急降下していた。

「……何もしてくれないんですか」

間近に迫った、エメラルドよりも深い瞳が私を捉えてゆらりと揺れた。甘い甘い声が背中を這うように響く。
すぐ目の前で不満げに開かれたその唇が、恋しくてたまらない。

「起きてたの」
「起きたんですよ。寝込み襲われそうになったんで」
「私が襲われてる」
「正当防衛です」
「……ただいま」
「おかえりなさい」
「会いたくて死にそうだった」

「俺も」、数センチ先に迫った熱い吐息が唇にかかる。その頬を両手で挟み込むと、恵が不敵に笑った。

「死にそうなんで、キスしてください」
「めずらしく甘えんぼだね」

拗ねたみたいな顔をわざと作った恵の、柔らかくて熱い唇が私の唇とそっと重なった。ふわりと触れて離れて、舌先が浅く差し込まれる。
その薄い舌を捕まえようとしてるうちに、私たちの唇と舌は待ち望んでいたかの如くぴたりとくっついてしまった。いくら舐め合ったり噛んだりしたって足りなくて、私も恵も夢中になってお互いの唇を求め合っていた。
滑らかな頬を指先で撫でながら、首、肩から背中に触れる。この間会った時よりも筋肉がついたかも。身体も大きくなった気がする。
恵の熱い手のひらも、私の頸部から背中をゆっくりと往復している。ほんの少しの欲望が混ざった、しみじみと愛おしいものを慈しむような手付きだった。

「なまえさん」
「ん?」
「好きです」
「私も」
「思ってたより、アンタが側にいないのキツかった」

今日の恵は素直過ぎる。顔に血が集まるのが自分でも分かって、羞恥から横を向くとこれ幸いとばかりに首筋へと顔を押し付けられる。
恵の癖っ毛が顔にあたってくすぐったい。悟くんと稽古したからシャワーを浴びたのか、その髪はまだ少しだけ湿っていた。

「恵、髪の毛ちゃんと乾かさないと風邪引くよ」
「その言い方奥さんみたいですね」
「おっおくさん」
「……俺たち、一緒に住みませんか」

いよいよ開いた口が塞がらない。遠距離に耐えきれない私の脳が見せている幻覚か夢か、でもそれでも良いかと思えるくらいに嬉しい。私の上がりっぱなしの口角が返事の代わりになったようで、恵が薄く笑った。軽くキスをすると、そのまま力強い腕に抱き締められる。

「住む」
「もちろん俺が卒業して、なまえさんがちゃんと医者になってからですけど」
「絶対一緒に住む。私、2年で医師免取るから」
「ふっ、……期待してます」
「あ!いま無理だって思ったでしょ!」

にやりと意地悪く笑った綺麗な唇を指先で摘んでいると、久しぶりに会えた喜びと嬉しさで胸がいっぱいになってくる。「俺のために頑張ってくださいよ」なんて笑って、心底愛おしそうな瞳で私を見つめる恵の顔はやっぱり少しだけ大人びていた。
そうだ。私はきっと、今この瞬間のために生きていた。

「恵」
「何ですか」
「はやく大人になろうね」
「はい」

私たちは大人になるにつれて死に近付いていく。明日か、数年先か。それでも、恵となら。
今日ふたりで想像した未来が、消えちゃいそうなほど小さな光だとしても構わないかな、なんて。






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