恋と革命


メールで告白してくる奴は論外。
電話は告白のセリフと状況による。直接が基本としても、顔がタイプじゃない男からの「俺と付き合えよ」とかいった強引なセリフは鳥肌モノ。だからといって優柔不断に長々恥じらわれるのもうんざりする。
これらのハードルを乗り越えて、合格点の告白をしてくれた男の子たちの頬とか、髪とか唇を見ながらぼんやりと思うのはいつも同じ事だった。

この人って、私のどこが好きなんだろう?

好きでもないけど嫌いでもない、もしかしたら好きになれるかもしれない。
そんな人と手を繋いだり抱き締めあったりキスをしたり、そういった触れ合いやデートの思い出が積み重なっていって、いつか“好き”って気持ちに成り変わる。
それが、私の思う恋だった。

だから面倒くさいのを我慢して“彼氏”とのデートに出掛けているけれど、今日みたいに雨が降るとどうにも我慢できなくなる。面倒くさくてたまらない。

こちらの顔色をチラチラ窺っては、タイミングを計っているあの顔。「キスしたいです」「あわよくばその先も」と頬に書いてある気がして、思い出すだけでうんざりするのだ。
人を好きになる事が、こんなにも難しいとは思わなかった。

『ごめん体調悪いから行けない』とだけ“彼氏”にメールを送って、携帯は引き出しの奥に封印してきた。
やっぱり、ベッドでこんなふうに寝転んで漫画を読むのが雨の日の至上の過ごし方だ。
まあ、ここは同級生のベッドで、これも同級生の漫画だけど。



「すーぐーるー、ポッキー取って」
「はい」
「あーん」
「……悟に似てきたね」
「一緒にしないで」

溜息をつきながらも私の口にポッキーを2本差し込んでくれる傑は、高専に入ってからすっかり人を甘やかすのに慣れてしまったに違いない。
部屋の窓に雨粒が張り付いては落ちる。大きな玉になって地面へと流れていく。窓から差し込む薄い水色の光に、心地よい眠気と気怠さを感じて、読んでいた漫画を床に放った。

彼氏でもない男のベッドでこんな風に大の字になるのもどうかと思うけれど、傑といるときは余計なことを考えなくて済むから楽だ。
だって、コイツはまるで私に興味が無さそうで、今だって無防備な私には目もくれず、小難しい本を読み続けている。
紙をめくる音の心地良さにうとうととしかける私を察した傑が、ぎしりとベッドの縁に腰を下ろした。

「なまえ、起きな」
「んー……傑は何読んでんの」
「『斜陽』」
「聞いたことあるなあ、誰の本だっけ」
「太宰治。あんまり読んだこと無かったなと思ってね」
「ふうん」

寝転ぶ私の顔の真横に置かれたその本を、適当に開く。
教科書くらいでしか活字に触れない目が細かい文字の羅列に悲鳴をあげかけた瞬間、ある一文に視線が縫い留められた。

目の奥深くに稲妻が光る。その文章の意味と音を確かめたくなって、声に出さずにはいられなかった。

「『人間は恋と革命のために生れて来たのだ。』」

雨粒と一緒に地面に吸い込まれてしまいそうなほど、小さな声だった。傑が小さく笑う。

「随分と可愛い朗読だね」
「……ねえ傑、恋って何」
「なまえは何だと思う?」
「うーん、思い込み?」
「間違ってないかもね」
「彼氏のこともさ、好きになれるかもって思って付き合ってみたんだけど、やっぱ無理そう」
「可哀想に」
「うわ、棒読み。傑はどう思うの?恋について」

上半身を起こすと、伏せられていた傑の瞼がついとこちらに向いた。
やっと私のことを見た、と思うと、途端に部屋の酸素が薄くなった気がして呼吸が浅くなる。ベッドに置かれた傑の右の指先は、私の右膝に微かに触れていた。

違う。私が膝を動かして、傑の指先に触れたのかもしれなかった。

「……触れたいって、思うことじゃないかな」
「触れたい?」
「頬を撫でたくなったり、髪を指先に絡めたくなったり、抱き締めてしまいたくなったり」
「うん」
「笑いかけてくれる唇を見て、キスしたくなったり」

傑の目が細められる。弧を描いた唇はそれきり動かなくなって、濁った沈黙が部屋に満ちる。
偶然を装って触れ合った膝に、じわじわと傑の熱が入り込んで身体中へと巡り始める。
この熱が心臓に到達してしまう前に離れなくては。そう思うのに、膝はぴくりとも動いてくれない。

傑は無言のまま、静かな視線を私の顔中に押し付けていって、ゆっくりと私の唇を見た。
その沈黙の、砂糖のような甘さに溺れてしまいそうになる。何か喋らなくてはと咄嗟に出た言葉は、最も知りたいけれど最も知りたくない質問だった。

「傑には、そう思う女の子がいるの」
「うん。……いる」
「へ、え」

固まってしまったかように動かない身体で、空っぽの相槌を打つ。
傑の唇が、弧を描いたまま小さく上下した。大きな身体が不意にこちらへ寄ってきて、空気とベッドが揺れた。

「でも、触れてみないと分からないこともあるからね。やっぱり違ったと思うかも」
「うわ、それは酷いよ」
「そうかな。お互い様だろ」
「傑は来るもの拒まずなの?」
「そんな事はないよ。少なくとも、今触れたいと思ってる子は1人だけさ」

私たちの距離は、“同級生”にしては不自然なほどに近くなっていた。
それでも“恋人”と呼ぶには、触れ合っている肌が足りない。期待を孕んだ熱い溜息が漏れて、それを悟られたくなくて息を凝らしたのに。

「なまえ、私に触れたい?」
「……なんで」
「顔にそう書いてある」

体格の割にほっそりとした指先でそっと頬を撫でられると、本当にそう書いてあったらどうしよう、なんて不安になってきてそこに手をやった。

重なった傑の手は温かくて、じりじりと焼けるようだった。
お互いの手を強く握りあうと、どちらともなく唇も重なる。
私たちの距離はゼロになったから、もう、傑のことをただの“同級生”とは呼べなくなってしまった。


下唇を挟む様に食まれる。
少し離れて、また重なって食まれる。吐息がかかって、私の唇の隙間に浅く差し込まれた舌が上唇をぺろりと舐めた。
その柔らかさに蕩けかけた呼吸を整えて、うっすら目を開ける。

傑の瞼は閉じられていて、角度を変える一瞬だけ、眉間に薄い皺が浮かぶ。次第に深くなると思われた口付けは浅いまま、私の舌を甘く翻弄し続けた。
後頭部に添えられた傑の手は、優しいような感触とは裏腹に、私の退路を確実に絶っている。

「すぐ、る、っん」
「なまえ、キス上手だね」
「嫌味?」
「本心。……ずっとしていたくなる」

悪い男のするキスだ、と思った。こんなキスをする傑に触れて、触れられたら私はどうなってしまうんだろう。

キスの合間に「かわいい」と囁く傑の甘い声が、膜みたいに身体中に張り付いて離れない。
裾から入り込むような動きをする手は、そのまま曖昧に私の腰を撫で続けた。

普段より低く結ばれた傑の髪がほつれてきたから、口付けの合間にそれを耳にかけてあげる。「ありがと」と言われたけれど、返事なんてもうできないくらいに私はその唇に溺れ続けていた。

「……ひりひりする」
「なにが?」
「心臓が」
「大変だ。どうしたら治るかな」

今の私は、傑に触れて、触れられたいという願望を叶えるためなら何でもできるかもしれなかった。それこそ革命ですら起こせるかも。これが恋なら、あまりにも痛くて苦しすぎる。

傑に触れてもらわないと、こんなのどうしたって治らない。
煩い始めた私の様子を見ながら、傑は楽しくて仕方がないような顔をしていた。その手は優しく、私の背中に添えられている。

「……硝子が、傑のことクズだって言う理由がやっと分かった気がする」
「君たちそんな会話してるの?ひどいな」
「別れてくる」
「え」
「彼氏と、別れてくる」

携帯は、自室の引き出しの奥にしまってきた。
私の心を確かめるための革命を、今すぐに起こさなくては。

身を離した私を見上げる傑の顔には、驚きの中に高揚が浮かんでいた。徐々に切長の目がますます細くなっていって、ふにゃりと溶けそうな顔で笑った。
ベッドに座ったままの傑をつい抱き締めると、胸元に擦り寄られて柄にもなく母性めいた感情が湧いてくる。

「傑、わたし今から別れてくるから」
「……うん。そうしてほしい」
「だから、戻ってきたら、もっと触ってくれる?」
「はは、すごい殺し文句だね」




罪悪感をかき消してしまいそうな高揚感で、小走りのまま傑の部屋を後にした。それでも自室に入った途端、足の裏に床が吸い付いてくるかのように重たくなってくる。

“彼氏”、ごめん。軽率にOKしてしまった1ヶ月前の自分を呪ってやりたい。携帯を開いたり閉じたりしながら、己を鼓舞するために「革命だ」と小さく声に出して、息を吸い込む。

次の瞬間、ブーブーと大袈裟な音を立てて震え始めた携帯の画面には『夏油 傑』の文字が表示されていた。

「もしもし。どうしたの?」
『なまえ、伝え忘れた事がある』
「うん」
『電話で言うべきことじゃないから今はまだ言わないけど、不安に思わないでほしい』
「……うん」
『戻ってきたら、ちゃんとなまえの目を見て言うから』
「すぐ戻る」
『うん。待ってる』

通話が切れてからも、低くて少し甘い傑の声が耳元に漂い続ける。
今日のこの革命が、ゆくゆくは私の人生の大きな転機になるかもしれない。だって、人間は恋と革命のために生れて来た、らしいから。

強まった雨が、部屋の窓ガラスとひりつく私の心臓を激しく打ち付ける。もう一度深く息を吸い込んで、通話ボタンを押した。





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