Blinding Lights


普段なら絶対に起きないはずの、水道から落ちた水滴の音で意識が覚醒する。あまりにも夢への後腐れなく目が覚めたから、もう朝かと思ったらそういうわけでもないらしい。時計の針は2時を指している。再びベッドで身体を丸めてはみたものの、すっかり目が冴えてしまった。

丑三つ時って2時だっけ。何となしにそんな事を考え始めるとますます眠気が遠のいていって、『丑の刻参りのやり方』とかどうでもいい事が気になり始める。こういう時に、検索し始めるといよいよ眠れなくなるものだ。
諦めてホットミルクを淹れようと、床に足を落とした瞬間、静まり返った丑三つ時の部屋が液晶のライトに照らされ、夜中の部屋に不釣り合いなバイブ音が鳴り響いた。

こんな時間に電話を掛けてくるのは伊地知くん、彼の場合は緊急での任務依頼の電話だから仕方ない。それか例のアイツ。そしておおよそはその例のアイツこと、五条悟だ。普通の大人は深夜2時に電話を掛けてこない。

「なに」
『あ、起きてたんだ。良かった』
「寝てても叩き起こす気でしょ」
『うん。今オマエんちの前にいるから開けて』
「怖っ。メリーさんみたい」
『僕ゴジョーさん。なまえ、早くー』
「ふふっ、馬鹿じゃん」

そして私も馬鹿だ。普通の大人は、深夜2時に付き合ってもいない男を自宅にあげない。「なまえは五条を甘やかしすぎだ」とよく硝子に言われるけど、惚れた弱味ってやつだろう。そもそも悟は私以外にもこんな風に甘えたりするのだろうか。

念のために洗面所で寝癖とヨダレの跡をチェックしてから鍵を開ける。珍しくサングラスすらしていない悟は、部屋着のまま飛び出してきたような出立ちだった。部屋にスルリと滑り込んできて、そのまま私の顔はぽすんと悟の胸に埋められる。後頭部に添えられた大きな手が、ゆっくりと私の髪から首を撫でた。

悟は体温が低そうな見た目のくせに、鍛えているからか意外と高体温だ。抱き寄せられた私の頬へとその体温が染み込んでいく。

「よっ。おはよ」
「おやすみだったよ」
「なまえ、寝癖すんごいよ。ヨダレ付いてるし」
「嘘だね」
「あれ、なんで嘘だって分かるの?ドア開ける前に確認したから?」
「……悟ってほんと性格悪い」
「正解?なまえも可愛いとこあんじゃん」

ふふ、と鼻で笑った悟の長い腕が、ぎゅうと身体に巻きついた。鼻から大きく息を吸い込むと、悟の匂いが頭にゆっくりと回る。好きな人の匂いが混ざった空気は肺じゃなくて頭に充満する気がする。この恍惚感は、ある意味で麻薬と言ってもいいかもしれない。

「悟、お風呂入ってきたの?」
「うん。寝ようとしてたんだけど、どうしてもなまえに会いたくてそのまま出てきちゃった」
「呼んでくれれば良かったのに」
「……待てなかったんだよ」

真剣みを帯びた悟の低い声が鼓膜を揺らした。私の首筋に鼻先を埋めた悟が大きく深呼吸をする。くすぐったくて思わず腰が引けたけれど、悟によって抱き留められている身体はびくともしなかった。頬に当たる柔らかい髪からは、少し甘い花のような香りがゆらりと立ち上る。

「悟のシャンプー良い匂いだね」
「なまえも良い匂い」
「サングラスは?」
「慌ててたから忘れちゃった」
「珍しいね」
「はやくなまえに会わなきゃと思って」

首筋に、悟の前髪とまつ毛がこしょこしょと触れる。小さくあくびをしたその瞳から涙が滲んで、私の肌をかすかに濡らした。



私をすっぽりと抱き締めたまま動こうとしない悟を、強引に引きずってベッドにそのままなだれ込む。重みのある悟の身体が先にベッドへ転がっていって、隣に並んで向かい合っても悟は目を閉じたままだった。

相当疲れているのかもしれない。六眼というものは見え過ぎる眼でもあると以前聞いた。たまに悟はこうしてそっと目を閉じているけれど、何もかも見えてしまうと、何も見たくない時は辛いだろうな。閉じられた瞼を指先でそっとなぞると、長いまつ毛がふわりと揺れる。

「……なまえ」

私の耳が溶けてしまいそうなほど甘い声で、悟が小さく囁く。この声で喋るときは私にたくさん触れて欲しいとき。そんな事まで分かってしまう位には、私達は同じ夜を過ごしてきた。

「お疲れさま」
「ん。なまえの匂い」

一拍置いて「落ち着く」と独り言みたいに零した悟の腕が、私を強く抱き寄せた。胸元に頬を擦り寄せられると、柔らかい髪が首と顎に当たる。その柔らかさがたまらなく愛おしくて、確かめるように白銀の髪を指先で撫でつけた。

「甘えんぼかよ悟」
「今日はそれでいーよ。だからもっと触って」
「うん」

普段とは別人のように大人しい悟の瞼や額、頬にそっと触れる。もっとと促すように口角を上げていた表情が次第に失われていって、すーすーと規則正しい呼吸が唇から漏れ始めた。
寝ちゃったのかな、とは思いながらもその柔らかな髪から指が離せなくて、しばらくゆるゆると髪をかき混ぜていた。

本当に美しい男だと思う。髪の毛一本、細部まで丁寧に造られている。これほどに美しい生き物は、この世にきっと悟しかいないだろう。この美しさを壊すことができる生き物も、この世に悟しかいない。
私のベッドに投げ出された指先が、部屋の暗闇にぼやんと白く浮かぶ。世界の全てを壊すことができる指先がこんなに無防備で良いのだろうか。

起こさないように、悟の指を私の指に絡める。私達はこうして指を絡めて抱き合って眠ることはあっても、悟は私の素肌には決して触れない。
触れられたいと思う隙すら与えないほど、優しく私の身体を抱き締める。そのまま子どものように穏やかな顔で眠って、私が目覚めた時には必ず隣にいて微笑んでくれる。
この密やかな、ある種の慰め合いみたいな夜を過ごすたびに愛おしさが募る。こうしてすんなりと悟の頬に触れられることは、彼が私に心を許しきってくれているということ。それが堪らなく嬉しいのに、寂しい。

「悟」

名前を声に乗せると、深夜の部屋にゆっくりと響いて溶けた。好きだとか付き合ってだとかを言わない私だからこそ、悟はこうして素直に甘えてくるのかもしれない。悟への気持ちが増すごとに、「好き」という言葉を伝えることへの恐ろしさも増していった。
それでも、悟の顔を見ると喉元まで込み上がってくるこの言葉を、今なら。

「好き」

掠れるように発したその声は、静かに眠る悟には届かず、部屋に漂って消えた。





再び意識が覚醒した時には、感覚で朝だとはっきり分かった。悟の大きな身体が私を背後からすっぽりと包み込んでいて、頭のてっぺんの柔らかい重量感が心地いい。悟、起きてるのかな。今何時なんだろう。

「……さとる」
「おはよ」
「起きてたの。おはよう」

する、と悟の脚が絡まる。足指が私のふくらはぎを滑って、より強く身体ごと抱き寄せられる。骨が折れそうなくらいに悟の腕に力が込められたものの、顔が見えないから意図が分からない。

「どうしたの」
「なまえ」
「うん」
「僕も」
「……え?」
「なまえが好きだよ」

嘘だ。心臓が騒ぎ始める。頭の中がぐらぐらに沸騰して、夢なら覚めろと脳が警鐘を鳴らす。

「昨日の夜の、聞いてたの」

昨夜、好きとこぼしたのを聞かれていたのだと気付いて、聞かなくちゃいけないことは他に沢山あるはずなのによりによって一番どうでも良い質問が出てくる。現実味が無くて、思わず悟の腕に指先を埋めた。

「うん。やっと好きって言ったね」
「それはこっちのセリフ」
「なまえは僕の気持ちとっくに気付いてるんだと思ってた」
「……伝えたら悟がいなくなっちゃうんじゃないかって思って怖かったの」
「そんなわけないでしょ」

じっとしていても、朝の光の中にじわじわと甘やかな気配が広がっていく気がする。自分の心臓の音がスピーカーみたいにうるさくて、それを収めようとゆっくり酸素を吸い込んだ。同時に背後の悟も、大きく息を吸い込んだ気配がした。

「うーん、ヤバいかも。なまえじっとしてて」
「何でよ。悟の顔見たい」
「……結構恥ずかしくて。顔見られたくない」
「えぇ、悟にもそんな感情あるんだ。顔見せて」
「ヤダね、絶対ヤダ」

全力で身をよじろうとしても、悟の腕はびくともしない。それでも、背中に感じる大きな身体も、私の髪に埋められた悟の唇からこぼれる吐息も、熱くて甘い。

「大好き」
「ふふ、僕も大好き。……覚悟してね」
「何の?」

いつものワガママが10割増になったりするのだろうか。それか、とんでもなく浮気するとか?私の声に訝しみがありありと滲んでいることを察した悟が、呆れたように笑った。

「何考えてんの。僕にめちゃくちゃ大切にされる覚悟だよ」
「えっ、うわ」

強く肩を引かれる。やっと目があった悟は、昨夜眠っている時と同じくらいに穏やかな顔をしていた。静かな海のような六眼が細められ、その白い指先が私の輪郭を優しく撫でる。

「なまえを甘やかしたくて仕方なかったんだから」
「……お手柔らかにお願いします」
「うん。じゃあ改めて」

小さく微笑んだ悟の唇が、ふわりと私の唇に重なる。

「なまえ、好きだよ。オマエがいないと駄目みたい」

キスの合間に柔らかい髪をかき混ぜると、溶けてしまいそうなくらい甘い顔と声で悟が笑った。

「……もっと触って」
「悟、甘えんぼ」
「うん。なまえにだけね」
「それならいいよ」

悟が目を閉じていたい夜には、私が隣にいてあげる。その瞼や額、頬や髪をそっと撫でて、優しい指先を絡めあって眠ろう。

朝の光が眩しくて目を閉じながらも、私達はずっと抱き合って触れ合い続けた。悟の体温の心地良さで再び眠りの淵に落ちかけて、瞼が下がってくる。
次に目覚めた時にも、隣に優しく笑う悟がいますように。





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