「日常」
どうしてもバニラモナカジャンボが食べたかったのに、高専近くのコンビニにはチョコモナカジャンボしか置いていなかった。
一昨日の授業中、急に頭に浮かんできたバニラモナカジャンボは、2日に渡って私の欲望の全てを支配していたのだ。
欲しいと思ったものが手に入らないことは、人生では良くある。しかし欲しいものに似た別のものが手に入った時のあの不完全燃焼な気持ちって、全人類共通なのだろうか。
悩んだ末、私はチョコモナカジャンボを拒むことができなかった。
不完全燃焼のままビニール袋をぶら下げ、高専に戻る。風呂後のデザート予定であるチョコモナカジャンボを冷凍庫にしまおうとすると、そこにはなんと、夢にまで見たバニラモナカジャンボが鎮座していた。
思わず周囲をきょろりと見渡す。
誰もいないことを確認してそっと手に取ると、その外袋には大きな文字で
『さ と る ※食うな!』と書いてあった。
おいしいと話題だったコンビニのチョコプリン、友達からお土産で貰ったバターサンド、新宿に行った時に買った高級マカロン……
これまで悟の犠牲になった私のスイーツたちを思い返す。バニラモナカジャンボの一つや二つが何だ。私はもっと辛い思いをしているんだ。
念のためもう一度周囲を見渡してから、己を鼓舞するためにわざと豪快に袋を破った。
2日間に渡って恋焦がれたバニラモナカジャンボは、それはそれは美味しかった。
涙が出るかと思うほどに。
幸福の余韻で罪悪感をかき消そうとしていたその時、「お、なまえじゃん」とご機嫌なトーンの悟の声が背後に響いた。
「おつかれさとる」
「なんだよその棒読み。なんかあんの……」
歩みをピタリと止めた悟が、私の手元にある外袋に視線を注ぐ。
無意識に『さ と る ※食うな!』の文字を隠そうと指で覆ってみるが、すでに遅かった。
「おい、おい!!オマエやってくれたな」
「違う!いや違わないけど、ゴメン!でも悟いっつも勝手に私のお菓子食べるじゃん!」
「ハァーーー?それはそれこれはこれだろ!論点ズレてんぞ!」
「ズレてない!わかった、じゃあこれと交換ね。チョコモナカジャンボ!」
「ぜんっっっぜん分かってねぇ。中途半端なもん手に入れるくらいならいっそいらねぇ」
「はっ!悟、なんかカッコいい」
コンビニでの私のモヤモヤした感情を、そのまま言葉にしてくれた悟に思わず尊敬の眼差しを向けると、怒ってた悟が満更でもない顔をする。
このまま仲直りに持っていこうと、スススと側に寄って悟に手を伸ばした────
ぐ、と悟の少し手前で、私の手が止まった。
「…ねぇぇ?!無下限張るのはやめてよ!!」
「うるせ〜〜!!俺がどれだけ楽しみにしてたか、オマエに分かんのか?!」
「私だってずっと食べたくて仕方なかったんだよ!だからごめんってば!」
「マジで許せねえ。俺はもうバニラモナカジャンボ食べる口になってる。絶対食う」
「残念でしたーーーもう全部食べちゃいまし、」
「た」を言いかけようとして開いた私の冷えた唇に、不意に悟の唇がくっついた。
首の後ろに大きな手が回り、するりと入り込んだ悟の温かい舌が、まだアイスみたいに冷たくて甘いであろう私の舌に絡まる。キスされていると気がついた瞬間、身体中の熱が唇に集まった。繊細に動く悟の舌は、私の舌をまるで子ども扱いのかように翻弄する。
「なまえ、あっまい」
悟がキスの合間に、うっとりと囁いた。
ちゅ、と味わうように舌を吸われ、唇までぺろりと舐められると思わず身体が震える。悟の瞼は閉じられていて、私の舌を吸うたびに、彼の真っ白な長いまつ毛も微かに震えた。
長くて甘い悟のキスに、鼻に抜けるような吐息が漏れた恥ずかしさで身体を捩ると、私の口内に残っていた甘さを散々味わい尽くした悟がゆっくりと身体を離した。
「…ん、うまかった」
「さ、悟、今の」
「言ったろ、絶対食うって」
いひひと悪戯っぽく笑った悟のご機嫌はすっかり直っていて、私の口の中にあったはずのアイスの甘さも消えていた。
これは半分こしようぜ、と私の手からチョコモナカジャンボをひったくった悟に腕を引かれ、彼の部屋に連れ込まれた日。
私たちのただの日常で、悟との始まりの日。