おはようの魔法


授業がない日でも、起きた瞬間は曜日の感覚が失われているから「あ、遅刻」と、つい慌てて携帯を開いてしまった。時刻は6:15。傑はきっと、目覚ましを6:30にかけているだろう。軽く支度をして、男子寮の傑の部屋に着く頃には6:35。丁度いい時間だった。
今日は土曜日だけれど、傑は朝から任務の予定らしい。そして私は、休日なのにわざわざ傑を起こすためだけにこの時間に起床した。昨日の夜、別件で泊まりがけの任務に出ている悟から電話がかかってきたからだ。

「なまえさぁ、明日傑のこと起こしてやってくんねぇ?アイツ朝弱いから6時半に起きんのは絶対無理だと思う」

いつもは傑に面倒を見てもらってばかりの悟が、傑の面倒を唯一見ているのが朝らしい。過保護なお願いをしてくる悟は、遅刻魔のくせに朝には強い。早朝任務の時は傑の事をベッドから引き摺り出しているとは聞いていたけれど、私に彼の代わりが務まるのだろうか。そもそも、わざわざ私が男子寮まで起こしに行くのもどうなのか。
うーん、と唸り声を上げた瞬間、電話越しの悟の声が、私を揶揄う時のトーンに変わる。

「それに、オマエにとっても悪い話じゃねーと思うけど。むしろうますぎる話だろ」
「……まあ、うん」
「寝起きの傑くん、楽しみにしとけよ」
「うるさいなあ、了解。お土産よろしく!じゃっ!」

けけけと悪戯っぽく笑う悟の声ををむりやり遮って電話を切ったものの、その言葉がぐるぐると頭の中にこだまする。寝起きの傑って、どんなだろう。想像してはドキドキとうるさくなる心臓を持て余しながらも、明日のために何とか眠ろうと何度も寝返りを打った。





軽く身支度を整えて、傑の部屋を目指す。
早朝でガランとした男子寮の廊下を進み、傑の部屋のドアが見えた途端、妙な緊張感で足取りがずんと重くなる。窓ガラスに薄っすらと映る自分を見て、前髪は変じゃないか、顔が赤くなっていないかを確認してから、緊張で強く握りすぎて爪が食い込む拳でドアをノックすると、拳にこもった力とは真逆の頼りない音が廊下に響いた。

────ピピッ、ピピッ、ピ

返事の代わりに、かすかにドアの奥で鳴っていた電子音が止んだ。しばらく待っても傑がこちらに歩いて来る気配はない。
……これは、もしかしなくても、二度寝だろう。不用心だとは思うけど、傑も悟も部屋の鍵を掛けていないことが多い。あの二人はしょっちゅう部屋を行き来しているからだろう。予想どおり、今朝も傑の部屋の鍵は掛かっていなかった。

「傑ー、入るね……おはようございまーす」

ふーっと長く息を吐いて緊張を逃し、いつもは悟か硝子と一緒に訪れる傑の部屋へ、初めて単独で乗り込む。ぎし、と床が軋む音が、自分の部屋のそれよりも大きく響いた気がした。

足を進めると、傑のベッドがどんどん近くなってくる。勝手に部屋に入る申し訳なさから、何となく細めた目で傑の姿を探すと、ベッドで丸々と膨らんでいる掛け布団がやけに目立つ。おそらく、あの中に傑がいるに違いなかった。

「傑……?」
「……ん」

寝息なのか返事なのか分からないような音が返ってきて、このこんもりとした掛け布団を剥がしたら、そこには私が初めて見る傑がいるのだという妙な興奮が湧き上がってくる。おそらく集合時間は7時なのだろう。早々に彼を起こさないと、そろそろまずい。布団を思いっきり引っ張って剥がそうとするけれど、内側から強い力で押さえられていてびくもとしなかった。

「ねえ傑、朝だよ。起きて」
「……………」
「すーぐーる!起きてー!」
「………やだ」

ふっ、と笑い声が漏れてしまって慌てて口を塞ぐ。あの傑がこんなに可愛くなってしまうなんて、想像もできなかった。ぐいぐいと上がってくる口角を押さえつけて、もっと見ていたい気持ちも抑えて、何とか起きてもらおうと掛け布団の隙間から手を突っ込んで、強引に傑の腕を掴んだ。
掴んだ腕を力一杯引っ張る。傑は強いから、私なんかが全力で引っ張ったところで怪我はしないだろう。寝起きでぽかぽかと温かい傑の体温が手のひらを伝わってきて、傑を無事起こしたら二度寝しようと心に誓った時だった。

強い力で抵抗され、彼の腕を掴んだままの私はそのままベッドへ引きずり込まれる。「うわ」と思わず声を上げた時にはすでに傑の胸が目の前にあって、手のひらを伝わってきていたはずのその体温に、身体ごとすっぽりと包まれていた。

「ちょっ、と傑、」
「……さとる……きみねぇ、ふざけすぎ」

呂律が怪しい傑は、言い終わる前にこの状況に気がついたらしい。私の腕を掴む手が、その感触を確かめるようにふにふにと動く。
閉じられていた傑の涼やかな目がパチリと開いたけれど、まだぼんやりとしていて焦点が合わない。5秒ほど抱き合ったまま、ぼんやりした傑と見つめ合う。気まずさのあまり「おはようございま〜す」と小声で呟いてみると、傑の表情が面白いくらいにみるみる硬直し始めた。

「えっと、なまえ」
「うん、おはよう。ごめんね勝手に入って」
「おはよう……いや、起こしてくれたんだろ、ありがとう。ごめん、てっきり悟がふざけてるんだと」
「悟に頼まれたの。でも、なんかごめん。昨日言っておけばよかったね」
「そうか、悟は任務だっけ。……いや、謝るのは私の方だよ」
「えっ、何の謝罪?」
「腕、大丈夫かい?引っ張ってごめん」

2人とも混乱していてお互い何を言ってるのか分からないような会話の最中でも、その時だけ落ち着きを取り戻した傑は、ベッドに座り直してから真っ直ぐ私を見据え、そう言った。
私は、傑のこういう優しい誠実さが好きだ。そう痛感すると、気持ちが溢れてついつい表情に現れる。口を開こうとすると自然に口角が上がって、さっきまでの焦燥感も相まって心の声が漏れ出てしまったんだと思う。

「うん、全然大丈夫。それに嬉しかったし」

何を言ってるのか気づいた時には、私の心の中は全て言葉になって出ていった後だった。傑の顔がその文字どおりポカンとなっていて、何を言ったか自覚した瞬間、顔に火がついたみたいに熱くなる。
誤魔化せなかった。いっそもう言ってしまおう、と思った。恥ずかしさと混乱で目の奥が痺れて、感情のままに言葉が辿々しく声になる。

「私ね、傑のこと好きなの。悟は多分……協力してくれて、今日起こしてやれって言ってくれたんだと思う。何言ってんだろ、急にごめん。でも」
「なまえ、もう大丈夫。わかったから、待ってて」

はっきりとした声に遮られてその意図を読み取るのが怖くて下を向くと、傑がベッドからものすごいスピードで抜け出す気配を感じた。部屋を出て行くその後ろ姿を目で追おうとした時には、既にドアの外だった。



ぽつんと傑のベッドに残された私は、何かから身を守りたくなってきて小さく体育座りになってみる。
失敗した。朝早く勝手に押しかけて、あんな勢いに任せて言うつもりじゃなかったのに。ドキドキと鳴っていた心臓の音がぎゅうぎゅうに変わって、重苦しい後悔に溜息をついた瞬間、ばん!と大きな音を立てて乱暴にドアが開けられた。

そのままいつもの傑らしくない、荒々しい足取りでベッドに戻ってくる。その勢いに押されてベッドの端に移動すると、彼のその荒々しい腕が、私の身体をしっかりと抱き込んだ。
抱き締められている私の顔のすぐ横に傑の顔があって、少し濡れている彼の長い髪が頬と首に当たって冷たい。寝起きだからだろうか。傑のその体温は、香ってくるミントの清涼感とは程遠いくらいに熱い。

「えっと、傑」
「ごめん。時間が無いから、雰囲気もクソもないんだけど」

ぎゅぅ、と内臓が出てきそうなくらいに強く抱き締められてから、私の身体を解放した傑の顔を目前にして息を呑む。少し赤くなっているその頬と、何かを堪えるみたいに結ばれた薄い唇は、寝起きだからというわけでもなさそうだった。

「私も君が好きだよ。ずっと」
「は、」
「なまえ、こっち見て。……キスしていい?」
「うそ」

今度は私の顔が、文字どおりポカンとなっているのだろうなと思った。いつもの余裕を少しだけ取り戻した傑の唇が弧を描き、「嘘じゃない」と囁きながら私の唇に重なった。
傑との初めてのキスはミントの歯磨き粉の味がして、慌てて歯磨きをしに行ったさっきの傑の様子を思い出すと、キスをしながらもじわじわと笑いが込み上げてくる。

「ふふ……ふ」
「なまえ、笑わないでくれるかな。私が一番恥ずかしいんだよ」
「ごめ、っふふ、傑、時間」
「うん。でも、もうちょっと」
「ん」
「帰ってきたらさっきの、もう一度聞かせて」
「……傑のも聞かせてくれるなら」
「うん、何度でも。…… なまえが好きだよ」

朝のベッドの中は、ただでさえ時間を忘れさせるくらいに幸せな場所だ。そこで傑と私は、もうちょっとどころじゃないくらいに長い時間、何度もキスをして抱き合っていた。



珍しく任務に遅刻をした優等生の傑の件は、入れ違いで帰ってきた悟の耳にもすぐに入ったようだった。
長い脚をいつも以上に大股で捌きながら共有スペースに入ってきた悟は、私の顔を見るなりニヤリと笑って、椅子を私の側に寄せる。ががっ、と床に椅子が擦れる音に、隣で寝ていた硝子が小さく舌打ちをした。

「おかえり悟」
「オマエちゃんと起こした?」
「起こしたよ。でも色々あって」
「傑、寝起き悪りぃだろ。プロレス技かけられた?」
「それはかけられてない、けど」
「けど?」
「……傑が帰ってきてからちゃんと話す」
「へぇ?ふーん?」

一瞬で過ぎ去ってしまった、幸せな魔法みたいなあの朝の時間をもう一度確かめたかった。あんまりに慌ただしくて、アレは夢だったんじゃないかと時間が経つにつれて実感が薄れてくる。傑が帰ってきたら、時間に追われずゆっくり抱き合って、……その時に、悟の事を相談しよう。

ふーん、を連呼しながら「お礼に何してもらおっかなー」とまとわり付いてくる悟をいなしながら、もしかしたら私は、コイツにとんでもない借りを作ってしまったのかもしれないと思うと溜息が漏れる。

「はぁ。悟に借りを作るなんて……」
「まいどー。ちなみになまえだけじゃなくて傑もな」

冥さんみたいに両手で丸を作りながら笑った悟の言葉の意味を理解した途端、一気に顔が熱くなる。
悔しいけれど、確かにこれは神様仏様、悟様かもしれなかった。





BACK





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -