第四話


「で、スマホを奪われ、傑に逃げられ、のこのこ帰ってきた、ってわけね」
「はい……」

長すぎる足を机の上に乗せ、唇を不機嫌そうに結んでいた五条先輩がハァァ、と大きな溜息をついた。私、殺されちゃうかも。包帯に隠れていて見えないけど、刺すような視線を感じる。……隣の七海からも。

小さく舌打ちをした七海が、やれやれと言わんばかりに口を開いた。

「なまえが夏油傑とまともに戦って勝てるわけありませんし、五条さんが広島に着くまで足止めできるかも怪しいでしょう。逃げられたこと自体は問題ではないかと」
「うっ、刺さる。その通りですが……」
「で、夏油傑は何をしに?まさか広島に拠点があるわけでもないでしょう」

助け舟を出してくれた七海に確信を突かれ、心臓が跳ねる。「わたしに会いに来たらしい」だなんて、言えるわけがない。

「それは分からないけど、とりあえず呪具も奪われた。あと、悟に宜しくって」
「はは、僕に宜しく、ねぇ」

鼻で笑った五条先輩が、膝をぱん、と打って立ち上がる。そのまま近づいてきて正面から見据えられると、包帯越しに心を見透かされているような気がして、思わず下を向いた。

「なまえ、他に何か思い出したら、すぐ僕に言うんだよ。しばらくは周囲に注意を払っておいてね」
「はい」


──君に会いに来たんだ。

あの言葉、あの腕、あのキス。拒みきれなかった罪悪感から、五条先輩にも七海にも、何も言えなかった。



思ったよりも報告と後処理が長引いて、高専を出た頃には20時を回っていた。新しいスマホを契約しようと思ってたのに、この時間では間に合わない。

広島では夏油先輩が立ち去った後、ちゃちゃっと2級の呪いを祓いホテルに戻ったもののろくに眠れなかった。寝不足のまま広島からキャリーケースを引き、高専に直行。なかなかのハードスケジュールに脳と身体が悲鳴を上げていた。高専から40分程の自宅へ戻り、鍵をあける。疲れを理由に服を脱ぎ散らかしながらベッドルームへ向かうと、そこにあった影を見た瞬間心臓を掴まれたように動けなくなった。

「おかえり、なまえ。お邪魔しているよ」
「え、夏油先輩、あの、」
「勝手にごめんね。これを返しに来たんだ」

早い方が良いと思ってねと、足を組んで私のベッドの上に座る夏油先輩が指先で私のスマホをつまみ上げて見せる。昨夜の見慣れぬ袈裟姿ではなく、黒いニット姿の夏油先輩はまるであの頃のままだった。スマホをぽんとサイドテーブルに放り、一瞬で私との距離を詰める。

そのまま身体を壁に押しやられ、夏油先輩の腕と壁の間に閉じ込められる。聖人のような微笑みを湛えた彼が何を考えているのか、表情からは全く読み取れなかった。絆されまいと、わざと8年前と同じような態度で夏油先輩の顔を見つめ返し小さく叫ぶ。

「ふっ、不法侵入と暴行……!」
「やめてくれ、人聞きが悪いよ」

ははは、と破顔する夏油先輩の胸を申し訳程度に押し返してみせる。だけど夏油先輩のほうは、私が戸惑いの下に隠していた仄かな期待をしっかりと掬い取っていたようだった。

流れるように、お互い自然に唇を合わせる。昨夜のキスよりも優しくて温かいその唇が私の唇を舌でこじ開けた。柔らかい大きな舌で咥内の粘膜をゆっくりなぞられるとゾクゾクとした快楽が思考を烟らせる。

やばい。絆される。今すぐこの腕から逃れなければ。五条先輩に連絡しなくては。

理性がそう警告するのに、夏油先輩の甘い舌がそれを行動に移すことを許さない。お見通しだよ、と言わんばかりに彼の右手が私の脱ぎかけのワイシャツを剥ぎ取った。真綿に触れられているような曖昧な手つきで胸を愛撫されると、そのもどかしさがより快感を際立たせ、胸の突起を軽く引っ掻かれただけで大きな声が出てしまった。

「っあ、ん、」
「ふふ、なまえ、可愛い」

背中に壁の冷たさを感じながらも、温かい大きな手のひらで頬を撫でられる。夏油先輩の唇が、顎から首筋を伝って胸の先端へ落とされた。舌先で撫でるように舐められ、唇の内側で挟み込まれると堪らない痺れが下腹部まで走って、思わず夏油先輩の頭を掻き抱いた。

その拍子に、彼の纏められていた髪が解ける。

「ね、なまえ、……ベッドに行こうか」

あの頃よりも長くなった髪をかき上げた夏油先輩が溶けてしまいそうなほど甘い声で私を誘った。彼はきっと、私の選択を既に把握している。だからここへ来たのだ。

道徳と背徳の天秤が揺れる。
道徳を選んだとして、その後の私の手のひらには一体何が残るというのだろう。私の天秤に乗っていた道徳なんていうものは塵のように軽いのだと初めて気がついた。

部屋が暗くてよく見えなかったけれど、こくりと頷いた私を抱き上げた夏油先輩はほんの少しだけ泣きそうな顔をしていた。




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