第十二話


唇が一つしかないことが悔やまれるくらい、私たちは延々と、言葉代わりの口付けを繰り返した。同じ体温の素肌をぴたりと寄せていると、境目が無くなってそのまま溶け合ってしまいそうになる。

2人の人間がひとつになるための、セックスよりもっと良い方法、その術を持たない自分達が悲しくなる。傑先輩に抱き締められると私の心はいつも「帰ってきた」と自然と思うのに、身体はどうしたってひとつになれない。当たり前の事なのに切ないなんて、子供じみていて馬鹿みたいだ。前にその事を彼に伝えたら、困ったみたいな顔をして笑っていたっけ。


「このまま、私となまえがひとつになってしまえばいいのにね」
「……人の心を読むのやめてください」
「それは君だろ」

おどけた顔した傑先輩と、戯れるように鼻先を擦り合わせながらくすくす笑い合う。私たちは体温だけじゃなくて、心の中までがきっと同じなのだろう。私の左耳に唇を寄せた傑先輩が、かすかな戸惑いの吐息を漏らした。

「痛くないですよ、もう」
「うん。なまえが無事で、本当に良かった」

乳白色の優しい声色は、傷跡に溶けるように馴染む。ちゅ、と慰めるようなキスが左耳から顎下、首にまで落とされると、頭の奥にまでその声が柔らかく響いてきて妙な浮遊感に腰が浮いた。全て味わい尽くすかのように、傑先輩の熱い舌が私の肌を這う。指を絡めたまま持ち上げられた腕に唇を這わせて、手首から肘の内側までを撫でるように舐め上げた傑先輩が、真っ直ぐに私を見据えた。

鋭くて、熱いその視線が私を射抜く。

「なまえ」

甘い声で私の名前を呼ぶ傑先輩は、私から目を逸らさない。初めて肌を合わせたあの夜からずっとそうだ。私が途方もない快楽に五感を持て余して目を閉じても、目を開ければ必ず傑先輩の瞳が私を見つめていた。

「先輩、っいつも、わたしの事見てた」
「そうだね。自分でもどうしようもなかったんだ」

傑先輩のその甘い声と同じくらい、甘い吐息が私の皮膚を滑っていく。所々甘く吸われると、淡い鬱血の痕が散った。肩や首、鎖骨、乳房に至るまで、彼の唇と舌が触れていない所が無いくらい、隅々まで確かめるように私の形をなぞる。

「なまえの全てが、愛おしくてね」
「っ、ん……」
「君はどんなに強くなってもあの頃のままだ。優しくて、真っ直ぐで、明るくて」
「そ、んな」
「私は、君のその光をずっと覚えていたい」
「やだ。いなくなるみたいな事、言わないで」
「いなくならないさ。なまえがそう望むなら」

そっと頬を包むその手のひらは少しだけ震えているような気がして、重ねて強く握った。2人だけの世界が見たくて彼の髪を解くと、ぱさりと落ちたその髪で世界が暗転する。引き寄せられるように唇が合わさると、その存在の愛おしさで息が止まりそうだった。

傑先輩の左手が、背中を伝って太腿に沈む。少し性急に脚を押し広げられると、彼の熱を求めて潤みきった下腹部がとろりと愛液をこぼした。指先で掬い上げられたそれを敏感な所に塗り付けられると、電流が走るような強い快楽に腰が大きく跳ねる。

「ん、う!やっ、…ん」
「ふふ、なまえはここも素直で可愛いね」
「傑先輩、もっと」
「うん。今は全部忘れて、気持ち良くなって」

嫣然と微笑んだ傑先輩の指先が、ゆっくりと膣内ヘ埋没する。私のこの痴態を全て記憶に焼き付けようとするかの如く、傑先輩は静かに私を見ていた。

この人が今、私の身体に触れている。この人の指、舌、その身体が、私の意識を遥か遠くへ連れて行く。えも言われぬ快楽が実体を得てしまうと、傑先輩の指の形をはっきりと感じ取れるほどに中が蠢いたのが、自分でも分かった。

傑先輩の指は私の中に埋められたまま、彼の熱い舌が秘部をなぞった。敏感な所をゆっくり上下されると、奥への刺激と相まってすぐに絶頂が見えてくる。脚がびくびくと震えて閉じかけると、傑先輩の力強い腕がそれを拒んだ。

「こら。駄目だよ」
「ひ、ぁ、まっ、て!っ、」
「なまえ。脚、自分で持って」
「う、……」

中の良いところをわざと曖昧に刺激されると、羞恥を司る理性が塵になっていく。もうちょっとでイけるのに、もっと舐めて欲しいのに。
傑先輩から与えられる途方も無い快楽の事しか考えられなくなった頭は、私の両手から理性を奪い取った。自分の太腿を掴んで傑先輩を見上げると、「よく出来たね」と言った、彼のその舌であっという間に望んだ快楽の底へ叩き落とされてしまう。

「っあ、ぁ、イ、く……、っう──」
「……指がふやけてしまうな」
「まっ、て、そこ、だめ」
「ここ?…ああ、すごいね。ほら」

声に釣られて下腹部に目をやると、私の中に指が埋まりきった傑先輩の左手が見えた。彼の腕まで伝っている雨垂れが自分のものだなんて信じられなくて、戸惑いを逃がそうと溜息をつくと、それは砂糖のような甘さを持って2人の間に漂った。この空間に似つかわしくないほど美しく微笑んだ傑先輩が、私に沈めたままの指先をくいと小さく曲げる。

「ぅ、あ!もっ、だめ……」
「なまえ、可愛い」
「すぐる、せんぱ、」

恍惚に微睡む頭の中では、傑先輩の身体と隙間なくひとつになることが何よりも必要に思えて、彼に手を伸ばした。その大きな手がそれを捕まえてくれると、嬉しくて愛おしくて、ほんの少しだけ悲しくなる。

「うん。ここにいるよ」
「……も、繋がりたい、です」
「…… なまえは本当に」

ふぅ、と零れた傑先輩の溜息は、私を強く抱きしめたその身体の熱で掻き消えた。広いその胸に包まれると、彼の熱が下腹部にゆっくりと埋まる。圧迫感に内臓が押し上げられるこの少し切ない感覚も、達したばかりの今は大きな快楽になった。

「可愛くて、愛おしくて。おかしくなりそうだよ」
「ん、ぅ……は、あ」
「声、聴かせて」

徐々に激しくなる抽送は、奥へ奥へと快感を生んでは爆ぜる。こうして身体を繋げる幸せの中に微かに残る失うことへの恐れを、遠くへ放り投げてしまおうと私たちはお互いの身体をひたすらにぶつけ合った。ぐちゃぐちゃと混ざり合っている音は、いっそ2人の魂までもが混ざってしまえば良いのにと思うほど、大きく部屋に響く。

「あ、ぅ、まっ、て、また、…ぁ、イく」
「なまえ、……愛してる」

私は抱え切れないほどの絶頂を幾度となく迎えて、傑先輩も私の中で数回、果てた。

彼が、私に確かに「愛してる」と伝えてくれたのはその一回だけで、その声はほんの少し震えていた。泣いているのかもしれないと思ったけれど、絶頂の洪水に呑まれていた私は傑先輩の肩に口付けを落とすことしかできなかった。


夜明けへ踏み出した頃にやっと、私たちを突き動かしていた熱情は暗闇に溶けきった。
夜明け前の微かな光が満ち始める室内で抱き合っていると、朝が来ることが泣きたくなるくらいに怖くなる。傑先輩の顔を見ていたいけれど隙間無くくっついてもいたくて、抱き合ったまま上目にまじまじと、彼の顔を見つめた。

「……どうしたんだい」
「夜が終わらなければ良いのにと思って」
「うん。私もずっとああしていたかった」

そう言って私に笑いかけた傑先輩の目の周りの皮膚は薄くて、柔らかい絹のようだった。手や首、その肩や胸の厚みは生命力に満ち溢れているのに、優しげな微笑みを湛える唇や頬、目元は少しだけはかない。
この美しい人が私を愛しているということが、まるで奇跡のように思える。

朝になったら、傑先輩はいなくなってしまうだろう。カーテンの隙間から紺色の光が差し込み始める。その光を拒むみたいにして、私たちはしばらくの間強く強く抱きしめ合っていた。

「なまえ。……話をしようか」

逃げ道を塞ぐように、傑先輩の真っ直ぐな声が静かなフローリングに落ちた。私が意気地なしだということを彼は知っていて、私は、彼が優しい人だと知っている。

どうして私たちはずっと、何もかもあの頃のままでいられないのだろう。
傑先輩の胸に顔を埋めたまま、喉の奥から「はい」と絞り出そうとしたけれど、それはどうしてもまともな声にならなかった。




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