居酒屋カムアウ


居酒屋のカウンターにうつ伏せに倒れ込みながらムニャムニャと寝言のように垂れ流す戯言は、この3時間で数十回繰り返された言葉だった。

「もういやや〜…女なんか要らん、女は悪魔や」

テーブルに向かって吐かれる言葉。
こんな言葉を何も言わず受け止めてやる机はなんて紳士的なんだ。
俺はさすがに、飽きてきた。
いきなり電話で呼び出され、その電話での凹み方が尋常じゃなかったから最初の方こそ気を遣ってやったものの、いい加減鬱陶しくなってきた。
そもそも考えてみればコイツがこんな風になるのは、何も特別な事じゃなかった。

「カタや…ええ加減にせえよお前」
「うっさいイガグリ、だあっとれ」
「それはこっちの台詞じゃ、よくもまあ飽きもせず毎度毎度よぉやるわ」

片山は悔しいが不細工な部類には入らない。
顔がキツくてしょうゆ顔である事を大目に見れば、まあまあのルックスだ。
大目に見れない、と言う淑女の方にはとっておきの肩書きを差し出せばいい。
俺、ガンナーズのFWやねん。プロスポーツ選手やねん。
これは俺もよく使う手だ。むしろスポーツ選手なら誰しもが使うとっておきの必殺技だろう。
この魔法の言葉とまあまあのルックスのおかげで、それ程トークが面白くもない片山君があら不思議、おモテになるから困ったものだ。
何が困ったものかと言うと、片山君が好き好んでこの魔法の言葉を使う相手が困ったものなのだ。
片山君ったら自身がしょうゆ顔のくせに、好きになる女性は派手目な方が好きで。
頭なんかモリモリでアゲアゲで、キラキラした夜の街が似合うそんな女性。
いわゆる、キャバ嬢が好みのタイプな訳で。

「名前なんやったか、その人」
「アゲハちゃん」
「もう名前からしてアウトやん、お前なに手玉に取られとんねん」
「うっさいわボケ、ハゲ、お前の母ちゃんでべそ」
「アホ、でべそはおとんや」

しょうもないやり取りをしながら、一向に顔を上げない片山を隣から見下ろす。
アゲハちゃん、と言うのは先日飲みに行ったキャバクラのナンバーワンホステスの名前だった気がする。
こいついつの間に連絡先交換したんだ、とさっき分かった事実に未だ動揺しながら、それでも哀れとしか言いようのない有様に溜め息が出る。
ブランドのバッグ、時計、夜景の綺麗な高級レストランでディナー、その後は、目に見えてる。

「ホテル誘おう思ったら、同伴じゃないなら無理ーって、なぁ」
「うおぉい、傷抉るなボケ!俺はいま女性恐怖症やねん、もっとこう、赤ちゃん抱くみたいに労われや」
「お前の女性恐怖症って何回目やねん、飽きたわ」
「今までのとはちゃうねん、俺本気やったんや、もう無理や」

一度は顔を上げ声を荒げた片山だったが、本気と語ったその口がだんだん小さくなっていき、再び机に顔を伏せた。
確かにこの凹み方はちょっと今まで以上な気がしないでもない。
そう言えば今まで何度も女性恐怖症になりながら、こいつは一度たりとて本気だったという言葉を使った事が無い気がする。
女性恐怖症になるたび愚痴を毎度毎度聞かされる俺が言うのだから、たぶん確かだ。
本気…ね。
ジョッキのビールを一口飲み下しながら、こいつから出た言葉に僅かに動揺する自分がいた。
この頭の中で繰り出される誘惑と理性の葛藤を、悪魔と天使だと言うのなら、昔の人間はえらく言葉遊びが達者だな。

「カタ…お前ほんまにもう女作る気ないんか」
「俺は今回のでよお分かったんや、しばらくはサッカーボールが恋人や」
「ふうん…せやったらお前、俺にしとき」
「ん、何が?」

天使という名の理性が頭の中でヤメロヤメロと言いながら、想像しうる最悪のビジョンを脳裏に映す。
けれど悪魔という欲望が、今が付け入るチャンスだよとご丁寧に教えてくれながら事が上手くいく妄想という甘い蜜を脳裏にぶちまけていく。
そして自分は、ことさらこの悪魔に勝てた例があまり無い。

「付き合うの、俺にしといたらええねん」
「…………お?ん?は?」

机に頬をくっつけながらこちらを見る片山の目が大きく見開いて止まる。
その目は、何が?何が?と問う様にこちらを凝視していた。
まあ当然の反応だろう。俺も言い終わった今、何でこんな事言ってしまったのか軽く混乱しているのだから。
片山はズルズルと机から倒れていた上半身を起こし、俺の隣にきちんと座りながら、やはり混乱しきった目で助けを求めるように口を開いた。

「すまんな畑、もういっぺん、言うてくれるか?」
「お…俺だったらお前のこと悲しませたりはしないよ?」
「な…ッんで標準語やねん!なんでやねん!」
「何がやねん!恥ずかしいからに決まっとるやろ!もういっぺんとか抜かすなだアホ!分かれや!」

もういっぺんと言われた瞬間、中学生の時の甘酸っぱい思い出が蘇って恥ずかしさの臨界点を突破した。
叫んだ後、周りの客の目が自分達に向けられているのに気付いて慌てて口を閉ざした。
片山も片山で己の口を片手で覆いながら、居心地悪そうに押し黙った。
そして大人しく並びながらお互いジョッキに残った生ビールを口に付けた。
生ビールは微妙にぬるくて味がまったくしなかった。
そんな美味くもない生ビールを飲みながら、ソワソワする無言の空気に口火を切ったのは片山だった。

「お前、さっきの本気で言うてる?」
「本気じゃなかったら誰がお前なんかに言うんや、もう分かれや」

答えると、片山は困ったかのように目を瞬いて、つっと逸らした。
本当にそんな困ったような顔しないで欲しい。
お前が困ってるのと同じように、俺だって困ってるんだ。
だってこんな事言いたくなかったから。
嘘、本当は言いたかったけど言うつもりはなかった。
けれど目の前に転がってきた据え膳のせいで、ついつい誘惑に負けてとうとう言ってしまった。
でも困っているのは本当。
だから早く、分かれ。
それで早く答えをよこせ。
じゃないとビールがずっと不味いままだ。

「それ、な、俺それにどう答えたらええのん?」
「知るか、自分で考えろや」

えー、と頭を抱えながらまた机に伏せる顔。
なんでそんな困ってるんだ。
普通に考えて断る所だろうに。
それともアレか、考える何かがあるのか。
ちょっとでも期待できる何かがあるのだろうか。
それだったら話は早いのに。
目の前に湧き出た据え膳の好反応に、また誘惑が顔を出す。
こういう所が、我ながら勝負師で我が強いなと、思わなくもない。

「迷ってんなら、うんって言っとけ」
「なん、それ」
「ええから、言えや」

カウンターの下で、急かすように片山の足を爪先で小突く。
片山の細い目がギロリとこちらを睨んだ。
いつもの軽口が飛び出すように、口が開いて、小さく呟いた。

「酔ってるから頭回らへん」
「なら酔い冷めたらうんって言ってや」
「………うん」

片山はまた机に顔を向けている。
自分の前に置かれたジョッキにはビールがまだ半分ほど残っていた。
それを手に取り飲み込むと、生ぬるいし炭酸は抜けていたけれど、妙に美味かったりした。

「お前ってとことん素直やないな」
「黙れやゴリラ」

そう言われると同時に、カウンターの下で思い切り足を踏みつけられた。






END





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -