「夏休み、林間合宿やるぞ」
それぞれの職場体験を乗り越え、中間試験も過ぎ、授業参観も無事終えて普段通りの生活となってきた平日、普段通りのSHRで通常運転の相澤先生が発したその一言に、クラスは騒然となりました。
「知ってたよーーーー」
「やったーー!!」
「肝試そ――――!!」元気よく拳を挙げた芦戸さんの声は、ざわつく教室内でもよく通る。仰っている言葉の意味は、よくわかりませんでしたけれど。肝……?他にも花火やカレーなど、恐らくは市井における夏の定番と言えるものなのでしょう、次々と単語が落とされます。その隙間を縫うようにして発せられる峰田さんの単語には、もはや誰からの言葉もありません。私は皆さんのそんな様子を眺めながらも、先生の急なお話を予想していたという一部の方々の反応に驚いてしまいました。とても凄いことですわ。私など、なぜ皆さんがそんなに笑顔でいらっしゃるのか、いまいちピンとこないものですから。ちなみに、林間合宿というのは、読んで字のごとく、山間部などの自然環境の中で、生徒たちの心身の健全な発達を目的とした校外学習のことです。ハイキングまたは登山やキャンプ、カヌーをしたり、飯盒炊爨やバーベキューをするらしいですが、さて、雄英高校ヒーロー科では、果たしてどうなることでしょう。
「自然環境ですと、また活動条件が変わってきますわね」
「いかなる環境でも正しい選択を……か。面白い」
私のつぶやきが聞こえていたのか、常闇さんがそう零しました。それにしてもさっきから峰田さんは、ずっと同じ言葉を叫んでいますね。先生はお止めにならないのでしょうか。
「寝食皆と!!」
「ワクワクしてきたぁあ!!」
「ただし。その前の期末テストで合格点に満たなかった奴は……学校で補習地獄だ」
「みんな頑張ろーぜ!!」
「女子ガンバレよ!!」
「うわぁ数学ヤバい!」
「数学と言わず全部ヤベェよ俺」
「皆!!復習はキチンとするんだ!!!」
「テスト範囲さらっておかないとなぁ」
「専門科目ひっくるめると、そろそろやっておかないとマズいな!」
「ヤバイヤバイよー!」
予習復習をしていない方もいるのでしょう、不安そうな声も目立ちます。春からは特に、イベント事が多く、勉学の方に集中する余裕がなかったというのも理由にあると思います。学外に出ていた期間もありますからね。ですが一学生として、それではいけません。ましてやここは最高峰の雄英高校、ヒーロー科です。その肩書に恥じぬ結果を残さなければ!
「こりゃ夏もプルスウルトラだねぇ」前の方で、のんびりした声が聞こえます。……そういえば、私の座っているこの縦列の方は、比較的成績がよろしい方が多いような気がしますね。前から、燐子さん、葉隠さん、爆豪さん、緑谷さん、峰田さん、そして最後尾が私です。例外として、葉隠さんは「燐子ちゃん、合格点って、何点だっけ!?」と若干心配な発言をしていますが……。
「ウワワワワ透ちゃん。脳が揺れる脳が」
「おい轟、静かにしろ」
「エッ何でわたしだけ」
「今喋ってるのはお前だけだ」確かに皆さん先生の眼光が鋭くなった瞬間を見逃さずに一瞬で静まり返りましたね。
「みんなすごくない!?」
「中間試験は学科のみ、それに範囲も狭かったが――期末は演習の方もあるからな。準備しとけよ」
「ハイハイ!演習試験って何するんですか?」
「それは、当日のお楽しみだな」
「コワッ!!!」
「先生が笑ったときはヤリが上空から降り注ぐ説〜」
「準備って何すればいいんかなぁ」
「『一学期でやったことの総合的内容』……俺から言えるのはこれだけだ」
「先生、言葉足らずは寡黙とは違うんですよ……」
「轟。お前はその減らず口が利けなくなるよう手配しておこう」
「わぁ墓穴!」
燐子さんのひときわ大きいリアクションが響いたところで、先生は教室から出て行き、教室のざわめきはいっそう増して、そして一限目の予鈴が鳴り響いたのでした。


あくる日。
午前中全四限の授業が終了した後のことでした。
教科書やノートを閉じて、まとめて机の中へしまっていた私の耳に入ってきたのは、上鳴さんの悲鳴にも似た絶叫でした。
「全く勉強してねーー!!」
そのお隣には芦戸さんもいます。雑念が去った菩薩のような笑顔を浮かべているのですが、いつものような明るさが全く見られません。お昼休みはまだ始まったばかり、食堂へ向かう前の皆さんも難しそうな表情をしている方が多く見受けられます。全身で余裕ですといった態度の峰田さんを糾弾するお二人。その眼には涙すら浮かんでいます。「アシドさん、上鳴くん!」と声をかけたのは緑谷さんです。
「が……頑張ろうよ!やっぱ全員で林間合宿行きたいもん!ね!」
「うむ!」
「普通に授業うけてりゃ赤点は出ねえだろ」
「言葉には気をつけろ!!」
まぁ……!
何て悲しそうな表情!
「お二人とも」方や頭をかかえて、一方で胸をおさえて傷ついたお二人に、せめて私がしてさし上げられることと言えばこれくらいです。
「座学なら私、お力添え出来るかもしれません」
「ヤオモモ――――!!!」
一瞬で破顔するお二人の表情!つられて私の頬も弛みます。
お二人の不得手とする科目が何であれ、一通りはこなせるつもりです。試験まで一週間を切っているので本格的な講義は行えませんが、お二人の苦手なポイントを埋めていくのならば、放課後の時間と週末のお休みを有効に使えば充分に可能でしょう。
「……演習のほうは、からっきしでしょうけど……」
その後、耳郎さんや瀬呂さん尾白さんも集まって、お勉強会の企画が立ち上がったのでした。皆さんとお食事をして、お話をして、楽しく昼休みを過ごす。空腹が満たされると、どうしても眠気が襲ってきてしまうので、午後の演習がない日は八分目までに抑えておきました。食後のお紅茶を飲むとホッとします。食堂というところは、凄いところですね。お食事もとても美味しくて面白い食べ物がありますし、お紅茶もお店で淹れていただくものと遜色ありません。
まずはお母様に報告をして、講堂の使用許可をいただきます。お勉強をするのですから大きなボードは必須ですわね!机や椅子は講堂のものをそのままお使いいただけるとして、テキストや問題集は教科書のほかに参考書を数冊ずつ選んでおきましょう。それに皆さん教科も理解度も違うでしょうし、お勉強プランを作らなくては!それにそれに、お友達が、五人も、お家に来てくださるのですから、おもてなしの準備をしなくては!!お紅茶とケーキは欠かせませんわね。皆さん、甘いものはお嫌いではなかったはずです。まずはお紅茶の種類をーーそれから後はーー
「あ。燐子――!おかえりー!!」
「ただいまぁ芦戸っち」
教室へ入ってきた燐子さんが、ブンブンを手を振る芦戸さんに反応してこちらへ向かいます。ニコニコと笑ってハイタッチを交わしています。お二人は今日も仲がよろしくて何よりです。
「どこ行ってたのー?ゴハン食べた?ぼっち飯?」
「違いますぅ〜友達と食べましたぁ〜」
「あれ、轟食堂いた?」
「今日はパン食〜!中庭で食べたよ」
「最近天気いいもんなぁ」
「でも明日は雨らしいよね」
「えー、救助訓練キツそ!」
「友達ってB組の子?」
「ううん。いっかちゃん今日食堂だからさ〜サポート科の子と、経営科の子」
「相変わらずだなぁコミュ狂の鬼」
「ていうか、コミュ症なのに鬼」
「ちょいとジローちゃん。それはくすぐり志願かな?」
「うわあああああああ」
「ハーッハッハッハッハッハ!!」
「すぐオールマイトみたいに笑う〜」
「緑谷くんいない時しか出来んけどね!」
朗らかに、軽やかに、豪快に、色々な表情で笑う燐子さん。緑谷さんと飯田さんと一緒に食事をしている轟さんとはとても似つかない、と言ってしまっては失礼にあたるのでしょうか。
「ねー燐子も来るでしょ?」
「ん?なに?」
「週末に勉強会するんだよ。ヤオモモんちで!」
「ここにいるメンバーでやるんだ」
「大所帯だな〜。モモちゃん大変そ」
「メインは上鳴と私だよ!」
「胸張るねェ」
「ウチらもちょっと不安な教科教えてもらうんだ」
「ヤオモモ先生だぁ。女教師モモちゃん〜」
「か、からかわないでくださいまし!」
ししし、と笑う燐子さんの言葉に頬が熱くなってしまう。まだまだ未熟な私が、先生などと呼ばれていい筈がありません!それなのに芦戸さんも上鳴さんも瀬呂さんも尾白さんや耳郎さんまで微笑んで頷いているものですから、恥ずかしくて恥ずかしくて、しばらく皆さんから顔を背けてしまった私なのでした。

「あれ。ヤオモモちゃんまだ残ってたの?」
放課後、図書室からの帰り道をのんびり歩いていると、燐子さんと出くわしました。今から帰るところだそうで、私と同様に昇降口へ向かっているところだというので、途中まで一緒に帰ろうという話になり隣に並びます。
「私は調べものをしていましたの。雄英は図書館も充実しているので有難いですわ」
「さすが国立だよね〜。ていうか本重くない?わたしも持つよ」
「いえそんな!大丈夫ですわ。ほんの十二冊ですし」
「ほんの十二冊……」なぜか遠い目になってしまった燐子さん。どうしたのかしら、と疑問に思いつつも話を切り替えてみます。
「燐子さんは先生のお手伝いですか?」毎日朝夕と、職場体験の継続のようなことをされているのは、すでにクラスでは周知の事実です。本来先生が生徒に頼む雑事はクラス委員である飯田さんや私が中心となって行うべきところではありますが、燐子さんがされているのはクラス運営の助力というよりはイレイザー・ヘッドのサポートが主であるそうなので、サイドキックとしての活動に近いのでしょう。
「そうだよ。でも試験前だからさぁ今日でいったんストップだって」
「まぁ。そうなのですか」
「部活動も今日までだからその影響かなぁ。時間も普段より大分早く終わらされちゃった〜」
「空いた時間を試験対策に使えということですね」
「んー……でもどうせ座学に問題ないなら訓練に充てるよね」
「演習対策ですか?確かロボットでの実践演習だとうかがいましたが……」
「え。そうなの?」と燐子さん。放課後はいつも早めに教室を出てしまうので、飯田さん達が拳藤さんから聞いてきたお話は知らなかったのでしょう。
「一学期もまだ終わってないのに、雄英はどれだけロボットを消費するんだろうね」
「入試の演習もロボットなのでしたっけ」
「うん。おびただしい数のロボットが破壊されたよ〜。予算とか大丈夫なのかな」
「それは先生方が調整してくださいますわ」
「それはそうだろうね」
そんな話をしている間に昇降口へ着いたので、A組の自分のロッカーへ向かう。ローファーを取り出して靴を履き替え、上靴を戻す。扉を閉めて燐子さんの方を向くと、靴を履いて待ってくださっていました。
「お待たせしました」
「ううん。行こっか」
「ええ」
校舎を出て、門までの一本道を歩きます。一定の間隔を空けて並び立つ石像は雄英から輩出されてきた偉大なヒーロー達。ここを通る度に身が引き締まるようです。私も、立派なヒーローに。
「サポート科の子がさぁ」
「え?」
「いや、今日お昼一緒に食べたんだけどね。つい最近、サポート科全体でコンペがあって、ずっとバタバタしてたんだって」
「まぁ」ヒーロー科以外の授業のお話を聞く機会などめったにありませんから、興味深い話題です。サポートアイテム会社など一般企業への就職も多い他の学科では、コンペを催されることがあるのですね。
「アイテム開発のコンペですの?」
「みたいだよ。ほら、発目さんっているじゃん?」
「ええ。――体育祭では、活躍されていましたね」
「その子のデザインが通ったんだって。で、友達は材質の方で目付けられて共同開発」
「それは凄いですね。サポート科は全体で六十名ほどいらっしゃいますし」
「うん。なんか寝てないみたいでフラフラしてたよ〜」
「それは心配ですね」
「でもなんか爛々としてたなぁ。強制お昼寝の刑に処したけどね〜」
「それで、どんなアイテムが通りましたの?」
「ナイショだって〜」
「はぁ……。では、コンペの内容はどのような?」
「それもナイショなんだって〜」
「内緒、ですか?」
「うん。企業へ卸したり、コンテストに出すようなものじゃないらしいことは言ってたけどね。あとさぁ経営科の方は、架空のヒーローイベントを企画したプレゼン大会やるらしいよ」
「あら。それは楽しそうですわね」
「題材はプロヒーローだから今回はわたし達関係ないけどね。そのうちヒーロー科の生徒を取り上げた経営シュミレーションとかも展開していくカリキュラムらしいね。夏休みに、あのI・アイランドで研修に行く子もいるらしいよ」スラスラと流暢に続いていく燐子さんのお話を、私は少しぼうっとして聞いてしまっていました。
「……燐子さんは、他の科のこともよくご存じですのね」
「ご存じというか、友達がいるだけだよ」
「いいえーー凄いことですわ。私など、自分のことで手一杯ですもの……」
期末試験。不安を抱えているのは上鳴さんや芦戸さんだけではありません。私だって、飯田さん達から演習試験の内容を聞くまでは心のモヤモヤが晴れませんでした。今でもまだ、自分は大丈夫だと胸を張れるほどの自信や根拠がないのです。だって知ってしまった。自分の実力も、程度も、そして評価も。

私はーーあなたのお兄様のように優秀ではない。

橙に染まった空から、横切っていく数々の偉大な石像から、隣を歩く美しい赤髪から、目を逸らして視界にはひたすら地面と磨かれた靴が映る。
「ヤオモモちゃんって、かしこいけどお馬鹿さんだよねぇ」
降ってきた言葉に、顔を上げました。
アズライトのような深い青色の瞳がやわらかい弧を描いていて、一瞬見惚れてしまいます。 「ば、ばか、ですか……」
「ふふ。ばかはばかでも愛すべきお馬鹿さんだけどね〜」
ばかという言葉に憤ればいいのか、愛などと言われたことに照れたらいいのか、反応に困るようなことを、楽しそうに囁く燐子さんでした。けれど正直、怒りというよりはただ吃驚してしまいます。ばか、だなんて、生まれて初めて言われたのですもの!私が戸惑っている間にも足は進みますし、燐子さんの言葉も弾みます。
「たとえばここに、とっても大きな校長の銅像があったとしてさ」
「はい?ぞ、像ですか?」
「とっても大きな、だよ。サイズを測りたいんだけどさ、大きすぎるからどうやって測ろうってときに、測れるものが三十センチの定規しかなかったらモモちゃん、どうする?」
「えっ?そんなの、……スケールを創ります。十メートル程の」
「ほらそれーー!!」
「……正解は何なのでしょうか?」
「それが正解さ!」
「何の問題ですの!?それも、こんなの問題になっていませんわ!」
「これが問題にならないのはヤオモモちゃんくらいだよ。『創り出せない』人の最適解は別にあるけどね」
「はあ…………?」
「要するに、ヤオモモちゃんの個性や、培われてきた考え方はさ、わたし達が縛られるルールや踏まなきゃいけないプロセスなんかに囚われないってこと。しかも正確無比」
「……すみません、燐子さんが何を仰りたいのかがよく分かりませんわ」
「ヤオモモちゃんが思ってるほど、周りはヤオモモちゃんに幻滅していないよ。ヤオモモちゃんが評価している人も、ヤオモモちゃんが思ってるほど大それた人じゃなかったりするから。意外な人がヤオモモちゃんのことを評価していたりするしね」
「……?あの、えっと。それはどういう……」
「ヒミツさ!」
「ええっ!?」
「大丈夫だよ〜。今そうやって悩んでいることも、きっと案外拍子抜けするくらいあっさりと解消できちゃうから」
「そ、そうでしょうか……?」
わ、分からない…………。
前々から、不思議な方だとは思っていましたが、私、やっぱりますます燐子さんのことが分かりません!なぜそんなにも楽しそうなのか。どうして大丈夫だなんて気安く言ってしまえるのか。どうやったらそんなに堂々としていられるのか。分からないことが多すぎてグルグルとしてきた頭の中に、燐子さんの「大丈夫」がエコーします。
「ヤオモモちゃんは素敵な女の子だからねぇ」
ちっとも理由になっていないことを、
あたかもそれが至極当然に最適解であるかのように、
自信たっぷりと笑顔で、
観てきたかのように嘯く。
燐子さんの笑顔はいつだって、迷いがなくて、美しい。

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