「鉄線よ、我君を愛す(3)-2」 |
疲れて戦から戻った。 隣国で張っていた陣を引き上げて来る。 今日も数え切れない首を検分した。泣いて命乞いをする人間も殺した。 やっと首実験が終わって、凱旋の宴も終わった。 もうなにも考えたくない。一人寝所でただ眠りたかった。 す、と障子を開けると、暗闇になにかがいる。 人だ。 己の布団の脇に小さくぺたりと額をつけて伏している。 「・・・誰だ」 刀に手をかけて誰何すると、影がぴくりと動いた。 同時に、寝所に焚き染められた香の煙が強く鼻をくすぐる。 香など、己も総悟も好まなかったので焚いたことはなかった。 「と・・・殿!」 まだ若い声。身体も小さくガタガタと震えている。 どうやら危害を加える気はないらしい。 十四郎は行燈に火を入れて辺りを薄明るくしてから、ゆっくりとその小さな影に向き直った。 「面を上げよ」 短くそれだけを告げると、平べったく伏しているその上半身をびくびくと上げる。 その、顔を見て十四郎は少なからず驚いた。 若い。 まだ子供のようだった。 それはいいとして、どことなく総悟に似た顔の造りをしている。 どことなくだが。 行燈の淡い灯りではっきりとは分からないが、小づくりの顔に繊細なパーツが行儀よく収められていて、一見おとなしげな風貌をしていた。 髪の色も総悟ほどではないが薄く、後ろで結って肩まで垂らしていた。 ただ、総悟の様に色白ではなく、総悟ほど大きくあの異国の人間の様な不思議な深い色の瞳ではない。総悟よりも気弱そうで小狡そうで、総悟はもっと、生まれながらの品のようなものがあった。 はっと気がつけば総悟の事を考えてしまう、総悟と比較してしまう。 それはそれだけこの少年が、総悟を思い出させる容貌をいているということだろう。 「わ、わたくし、大年寄の坂上様に言われてまいりました。殿を御慰めするようにと」 ビクビクと鼠のように相手の顔色を窺いながら少年が言葉を発する。 それを聞いた途端、十四郎の額に血管が浮いた。 「なんだと・・・?」 眦をつり上げて恐ろしい迫力で切り返す十四郎に、少年は真っ青になって再び顔を畳にこすりつける。 「申し訳ございません!お許し下さいませ!お許しくださいませ!」 伏せた身体がぶるぶると震えている。 おそらくこの少年は、十四郎が城の中でも外でも鬼のように冷徹になってしまってから、はじめてここへやってきたのだろう。 鬼君主だと思っているから、己の身を守ることに必死なのだ。 「・・・・お前、名は」 「は、は、はい・・・!箕嚢小十郎と申します、あ、あの・・」 「歳は」 「は、え、数えで十四になります・・・」 十四・・・・。総悟の1つ下か。 そう考えて自嘲気味に笑う。 なんでもかんでもあいつの事に繋げて考えてしまう。 今頃どうしているのか。 まさか、今ここにいる小十郎のように、高杉の閨で白い着物を着て手をついているのだろうか。 そう考えて、かあと頭に血が上るのを感じた。 じわりと残忍な心が生まれる。 「それで、お前はこの俺に己を捧げに来たというのか、年寄どもに言われて?」 「お、お許しください!申し訳ございません!申し訳ございません!!」 ガタガタと面を伏せたまま必死に命乞いをする少年。 『・・・似ても、似つかない』 興が冷めて、チッと舌打ちをした。 「もういい、どこへなりと行け、二度と顔を見せるな」 そう言い捨てて小十郎を見ると、さっきまで畳に押し付けていた頭をすっと上げる。 「そんな・・・・お願いでございます!小十郎がお気に召されませんでしたか?お願いです!私・・このままおめおめと戻れません!事が成就しなければ私の命は無いと言われているんです!」 「なんだと?」 「昨今の殿の憔悴ぶりに、わが国の将来を憂えて小十郎に行く末を任されたのでございます。国の大事の任務に失敗などありません。このまま殿に可愛がっていただけなければ、私は首を落とされることになってございます」 馴れ馴れしくも十四郎の膝に手を置き涙ながらに縋る小十郎。 「まさか・・・そんな、それは方便だ」 「そんなことはありません!小十郎とて武士の子です!殿をご満足させられずにおめおめと生きながらえる気などございません!殿!情けを・・・情けをお掛けくださいませ!」 がばりと十四郎の首に手を回して抱きつく。 「おい・・・」 気に入らなければ振り払えば良いのだが、いま一つ動きが鈍い。 先ほどからむせかえるほどに香る香の煙が、十四郎の脳の神経をぼんやりとさせていた。 『どう、いうことだ・・・。奴らは、俺に代りの稚児を充てがって事が納まると思っているのか』 このところの土方家の進撃は目を見張るもので、決して家臣たちも奮起こそすれ主君の激情を治めようとするはずがなかった。 つまり、十四郎の為を思っての行いだろう。 しかし。 『総悟でなければ、稚児だろうが女子だろうが誰でも同じなのに』 稚児趣味で女子に興味が無いと思われているのだな、と考えながらも頭の中心が霧がかかったように真っ白になって行くのを感じる。 やがてすい、と身体を離した小十郎に焦点を合わせようと十四郎が目を瞑って頭を左右に振るが、視界はぼんやりとしたままだ。 「とおしろう、さま」 薄く紅を引いているのだろう、その唇にはありえないほどの艶があった。 己を「殿」、と呼んでいたこの少年が、「十四郎さま」と発音したその唇が、最後に一度くっついてまた離れるのを見た時、十四郎の脳裏にあの日の総悟が鮮やかに蘇った。 目の前にいるのは、総悟。 頭の芯がぐらぐらとしていた。 総悟が、十四郎の手をとって己の着物の合わせから胸に手を入れさせた。 十四郎の刀だこのできた節くれだった指の腹に、ツンと尖った突起が触れる。 真っ白だった十四郎の頭の中が、カッと炎のように燃え上がった。 |