「鉄線よ、我君を愛す(2)-6」 |
翌日、きらびやかな城内の、まるで征夷大将軍でも出てくるのではないかというほどの謁見大広間で、総悟はかれこれ半刻は待たされていた。 入城した途端に、垂穂と離れ離れにされた。 逆らっても仕方が無いのでここは大人しくしていた。 そうしてこの大広間に連れて来られて放置されているのだ。 いいかげん・・というかもうかなり始めの方で既に眠くなっていた。 誰もいないということは、どんな恰好をしても誰にも怒られないということだ。 総悟は半刻待たされている間のうちほぼ半刻、初めて訪れたこの城の真新しい畳にごろりと横になっていた。 いつのまにかすやすやと眠っている。 夢の中で、そよそよと故郷の風を受けていた。 何か、花の香りがする。 この香りは・・・・この香りは。 なんだっただろうかと思っているところへ、遠くから声が聞こえた。 「おい」 「おい」 「おい」 声と一緒に鼻に冷たい感覚。 ぼやんと目を開けると、目の前に白い裸足の足が見えた。 どうやら足の指で鼻をつままれているらしい。 顔を反らせてぷつん、と足から逃れ、もそりと起き上がる。 「鼻、ひてぇ」 ごしごしと目を擦って顔を上げると、派手な紫の着物が目に入った。 清廉ながら色気のある退紅色の着物に女物の濃い紫の着物を羽織っている。豪華な織物で、裾と袖の部分に唐草と蝶の柄があしらわれていた。 『重そうな着物だな』 そんなことを考えていたら頭上から声が掛かる。 「ツラに畳の目の跡がついてるぞ」 頬に手をやると、すぐに 「そっちじゃねえっつの、今どっち下にして寝てたんだ」 と駄目が入った。 なんでぃ、と思って顔を上げて。 目の前の男を見た。 その瞬間、開け放たれた広間の入り口から、ざあと風が吹き込んだ。 それと同時に、夢の中で感じた花の匂い。 風に目を細めて、男の顔をまじまじと見つめる。 男は、左目に眼帯をしていた。 髪は十四郎と同じ総髪。後頭部で乱雑に纏められて首の辺りまで垂れている。 細面の輪郭が、残った右目の鋭さを強調して、普通の人間ならばそれを見ただけで震えあがってしまうだろう。 口元は片側だけ口角を上げるニヤリとした笑い方。 細い首に筋が浮き上がっていて、あり得ない程の退廃的な色気を醸し出していた。 その、男の顔を見た途端、どこかで同じ様な場面があったなと思ったのは一瞬で。 ざあざあと風が吹くように記憶が蘇る。 故郷の草原で、幼い自分がかざぐるまの花を摘んでいる。 何か声を掛けられて、振り向くと隻眼の少年が立っていた。 顔ははっきりと覚えていないが、紫紺の着物と左目に晒を巻いていたのは覚えている。 映像が蘇ると、つるつると交わした会話も想い出した。 これが、己の一番古い記憶なのは間違いない。 「アンタ、いつから左目そうなんでィ」 ぼそりと呟くと、男はクククと笑った。 「てめえこそなんだその態度は。初対面からガーガー寝コケやがってうるせえジジイどもが怒り狂っていやがったぞ」 「うるせえジジイって?」 「フン、そんなことよりもテメエ俺が誰だかわかっているのか?」 「しらねえよ、お前が今初対面っつったんだろーがィ」 ふいに、尊大に総悟を見降ろしていた男がだらりと座っている総悟の目線まで姿勢を下げて、その顎をぐいと掴んだ。 ぎらぎらとした炎の瞳。 「俺が、右近衛大将 武蔵国君主の、高杉晋助暢勝だ」 総悟の目の前でそう言って、すぐにまた立ち上がる。 確かに桁違いの威圧感。 しかし、思っていたような感じではなかった。 「おきた、そうご」 ただ名前だけを呟くと、また高杉がククと笑う。 「躾がなってねえなあ、頭ァこすりつけて言ってみろ、沖田総悟でございますってなァ」 「目」 「あ?」 「左目、いつからなんですかィ」 チッと舌打ちする音。 「テメーはまともに話もできねえのか」 ふわりときらびやかな打ち掛けをなびかせて上座にどかりと座り、脇息に肘を預けた。 煙草盆を引き寄せて、黒地に金の細工が施された美しい塗りの煙管を炭火に近付けて火を着ける。 ここ十数年で日本に伝わった煙管も、贅沢の象徴として地位の高い者しか使えなかった。 かぷりと咥えて目を閉じるとゆっくりと煙を吐く。 「この左目はな、俺が生まれたばかりの赤子の頃、泥人形と藁の人形が誕生の祝いを持ってやってきたんだが、乳母がうっかり断った為に彼奴らの怒りを買って抉りとられてしまったそうだ」 「・・・」 「母が教えてくれた」 「・・・」 再びぷかあ、と煙が吐き出される薄い唇を見ながら、 『えらく真面目な顔でクソつまらねえ冗談を言う男だな』 と総悟は暢気に考えていた。 「鉄線よ、我君を愛す(2)」 (了) |