「鉄線よ、我君を愛す(2)-2」 |
土方十四郎兼親は、ものが言えなかった。 頭領としてこの座に座っている以上、答えは簡単だった。 だが、言いたくない。 総悟を、敵方に人質に出すなど考えられない。 だが問題はそこでは無かった。 大人しく目の前に座っている総悟。 慌てふためく重臣達の真ん中で、いつもの飄々とした顔にすっと伸びた背筋。 ここへ来るまでに、敵陣へ送り込まれる事をさんざん決定事項として聞いてきたのだろう。 その総悟が、何を考えているのか。 次に口を開いた時に何を言うのか。 それがまったく計り知れなくて、十四郎は言葉を発するどころか身動きさえできないでいた。 動けば総悟が何か、決定的なことを言ってしまいそうで怖かった。 国の為に、御家の為に、十四郎の為に、一番言ってほしくない言葉を、聞かされそうだった。 じっとこちらを見つめる透き通った瞳。 背中を冷たい汗が流れるのを感じて、 「そ、う ご」 信じられないくらい掠れた声が喉から絞り出た。 その瞬間、総悟の赤い唇が、にっこりと弧を描く。 「十四郎様」 家臣達の前で、名を呼んだことはほとんどなかった。 いつもは主を主とも思わぬふざけた態度の総悟だが、線引きをきっちりとしているのか、ただ立ち回りが上手いのか、十四郎以外の人間がいる所で叱責を受ける様な真似は今までしたことがなかった。 その総悟が、今、しなを作って足を崩し膝をついて一段高いところにいる十四郎の方へにじり寄って来る。 「ねえ十四郎様、お願いでさ、俺をそんなわけのわからねえ所へなんてやらねえでくださいまし」 壮絶な色気を惜しげも無く晒して、緊迫したこの場に最もそぐわない動物じみた下品な四つん這いの恰好で、十四郎の足元まで這って来てその膝に手を置いた。 「なにをしている沖田!」 「気でも違ったか?」 騒ぐ家臣どもを尻目に、色をたっぷりと含んだ顔で十四郎を見上げる。 「俺ァ十四郎様にようく可愛がっていただいて、そうしてこの城でいつまでも息災に暮らしてえんでさ、ねえ、まさかこの俺を、高杉のところへなんかやらないで下さいますよね、十四郎さま」 最後に『ま』と発音した瑞々しい唇が、一旦くっついて離れるのを、十四郎はまるで他人事のように見ていた。 「総悟」 「十四郎様!総悟は嫌でございやす!十四郎様のお側を離れて暮らすなんて考えられねえでさ。高杉の城になんて送り込まれてみなせえ、俺がどうなるかなんて解りきってまさ。敵方の稚児小姓を欲しがるなんて悪趣味にも程があります。十四郎様、俺がそんな悪趣味の乱暴者に慰み者にされたって、いいって言うんですかィ?」 信じられなかった。 まさか総悟がそんな事を言い出すなどとは考えられなかった。 総悟が人に媚びるような態度をとった事などただの一度も無かったのだ。 今目の前にいるこの小姓を、まるで初めて見るかのような目で、見る。 「ねえ、お願いでさ、そんな書状を持ってきた使者なんてすぐさま斬ってしまって、そうしてその首を高杉の下へ送り返してやってくだせえ、ね?十四郎さま!」 しんと静まりかえる評定会議の座。 居たたまれない程の重い空気を破ったのは悲痛な声。 「や・・・やめろ!」 叫んだのは、十四郎では無い。 「沖田!見苦しい真似はよせ!」 ぶるぶると震える年寄の一人。 総悟の遠縁に当たる重臣で、十四郎の小姓見習いとしてこの城へ入れる手引きをした者だった。 それゆえ総悟の性格も良く知っており、家臣の中でも特別に総悟をかわいがって気にかけて来た人間の一人だった。 「この美しい村山と・・・この城と、土方家と・・・・・お前の命が秤に掛けられるわけがなかろう!お前も武士なら潔く敵地に赴く覚悟があるはずだ!」 雷の様に叱りつけて肩を上下させる。 この重臣は、齢五十を越え人情にも厚く、最も十四郎が信頼を置いていた人物だった。 総悟のことが可愛くないわけが無い。 だが己を殺して総悟を叱責しているのだ。 比べて自分はどうだ。 十四郎は、この男の大寸劇を目の前にして、未だ何も言葉を発せずにいた。 総悟の真意がわからない。 哀れに縋って見せて情けを買おうとしているのか、十四郎を呆れさせて愛想をつかせようとしているのか、何も考えずただ本音を撒き散らしているだけなのか。 戦場では何事にも動じず、常に最善の策を講じて来た自分が、結局何の方針も打ち出せず、その日の座を閉じた。 そして日も遅いという言い訳で、その日は書状を持ってきた使者を城から叩き出し、明日今一度登城するよう命じた。 しかし明日には結論を出さなければならないだろう。 夜具にも入らず、壁に背を預けて目を閉じた。 総悟が我儘を言ってくれて、実は救われた。 大人しくわかったような表情で敵地へ行くと言われれば、立場も後先も考えず引きとめていたかもしれない。 そんなことが叶わないのは分っていた。 自分だけは、それはできない。 一国の長ということはそういうものだ。 すべてを手に入れるかわりに、それよりもずっと大きい責任と重圧もついて来る。 その責任からだけ逃げるわけにはいかないということくらい知っている。 だが、だからこそ逆に総悟が行きたくないと本音を言ったことが悲しかった。 十四郎は、いつの間にか眠っていた。 夢の中で、ほんの子供の頃の総悟が、草原で花を摘んでいた。 翌朝、目を覚ました十四郎は、ある決意を持って総悟の部屋を訪ねた。 総悟は、すでに北上山城から姿を消していた。 |