たしかな愛情





将を射んとすれば先ず馬を射よとはよく言ったもので、トシにとって総悟というのはアキレスの踵のようなものだ。
言い過ぎかもしれないが、姉のミツバを幸せにできなかったこともあってトシの中での総悟はいつまでたっても最後の最後には面倒を見なければならない子供なのだろう。
本人はそれを認めたくないのか売られた喧嘩を必死になって買い、七つも年下の子供と本気でやり合うところなど、逆に総悟を甘やかしていることに他ならない。

総悟はと言えばこれはもう確実にずいぶん前からトシばかり追い回していた。
最初は姉を取られたような気がして憎いに違いなかっただろうが、結局は総悟はトシになりたかっただけだ。姉を守って頼られて自分が幸せにしてやりたかったのに横からその役をかっさらわれた。
自分はまだ幼いただの弟だけれどもトシは違う。色男で、突っ張ってはいるが誰よりも真っ直ぐで誠実な心を持っていることを知らない者はいない。間違いなく姉に似合いの男なのだ。
自分がなりたかった姿の男がそれでも姉に好かれていることをそれほどうれしそうにもしない。うらやましくて仕方が無いが、どう逆立ちしたっていきなりトシと同じ年齢になれるわけもない。

思い通りにならないので癇癪を起してトシに当たり散らすものだから解りづらいが、総悟のはただの愛情の裏返し。
裏返しというか、一度ひっくり返った愛情がもう一度ぐるんとねじれて丸めてこねて茹でて刻んだものなのだが、とにもかくにも元は愛情だ。それも尋常じゃない量の呪いと憧れがつまっているのでこれはしつこい。
いつもトシを追いかけまわしては悪戯やいやがらせを仕掛け、いつの間にか姉よりもトシの方が長く一緒にいることに気付いていなかった。

トシはと言えばまだこの頃は田舎で燻っている自分に苛立ちしか持っておらず、それでも飢えた狼のような尖った空気を常に纏っていて誰にでもどこにでも無鉄砲に飛び込んでいく潔さと見た目の美しさから、女のみならず男も皆もれなくトシに虜になった。ならなかった者は激しい反発を抱いてトシと敵対するけれど、その中でもまたトシに魅了される者と死ぬまでトシを憎む者に分れる。
つまりは誰もがトシに執着するのだ。
それは剣術の腕などとはまた別の次元で、総悟などは人間として嫌っている者がたくさんいるがその立会いの美しさに惚れる輩も多い。トシは不器用な自己流の剣もそれ以上にやっかいな性格も奴の過去も未だ見えない未来もトシ自身のすべてをひっくるめて皆を惹き付ける。みんなトシそのものが好きなのだ。


それで言えば総悟には山のようにライバルがいたことになるが、それが恋慕となるとそうでなくなる者も多い。女などはその危険な気配にのきなみやられてしまうが、男はトシと酒を酌み交わしたくて仕方なくなる。これは後に江戸へ上った後、幕府のお偉方の信用を得るのに役立った。本人は交渉ごとや政治などは苦手だと言うが、相手がそれを許さない。出自で物事を決めるような輩以外は俺よりもトシを重く用いた。
だが総悟もそうだがトシは特に俺を立てるものだからうまいことバランスが取れている。とにかく俺を前面に押し出して真選組の要とした。総悟などは何か問題を起こした時に責任者は誰かと問われると一番先に「このひとでさあ」と俺を指差すので本当に尊敬されているのかどうか良くわからないがまあ俺の事はいい。

とにかくそんな誰にでもモテモテのトシにいちいちひっついて常からそばにいる総悟はいつも仏頂面だった。大嫌いなトシが朝も夜も目の前にいるのだからそれはあたりまえだろう。それならば近くに寄らなければ良いだけの話だがこの究極にややこしい子供はそうはいかない。
しかしそんな総悟も年相応に笑顔を見せることがあって、それは俺が遊びにつきあってやった時だとか年に一度の誕生日にミツバの手料理のごちそうなどを目の前にした時だった。
めったに手に入らない猪肉のそぼろ煮やら薩摩芋の甘煮、川魚の焼き物と肝吸いに紀州の梅びしおと白米。
きっちりと正座して、この時ばかりはミツバも俺も自分を見ていると目をきらきらさせて喜んだものだ。
ここでややこしいのは、その場にかならずトシもいなければならないということで、トシの好物をとりあげたり汁物をぶっかけたり意地悪ばかりするくせにトシの不参加は許さなかった。
トシもぶつぶつと文句を言いながら、ミツバに会いたいのか総悟がかわいいのか沖田家にやってきてはちびちびと酒をやりながら一人縁側などに座っていた。

ある年、端午の節句だと言って道場でこれまたミツバの手作りのちらしと原田が釣って来た鮎を焼いて食おうということになった。
満面の笑顔で座の真ん中に座った総悟。
「ひじかたー」
とトシを呼んでえらそうに、「アンタは鮎のここのところしか食っちゃいけねえ。なにしろ今日はがきの俺が主役の端午の節句なんですから」などと言っている。
いざ皆が集まってさあ食おうという段になり、俺がトシに酒を注いでやった。
「トシ、おめでとう」
そう言った俺を不思議そうな顔で見上げる総悟。
総悟が何か言う前に口々に皆がおめでとうと言い、吸い物を運んで来たミツバも、遠慮がちに「おめでとうございます」と声を掛けた。

今更そんなもん祝ってもらってもうれしかねえがなと照れ隠しを言ったトシとごちそうと皆の顔を順にゆっくりと見る総悟に、「今日はトシの誕生日なんだ。節句のついでに祝ってやろうな」と言って頭に手を乗せた。
顔を上げた総悟は、俺が今まで見たこともないような複雑な表情をしていた。
今日こそ自分が主役だと思っていたのにまた皆をトシにとられたと思ったのか。
そんな顔じゃなかった。
総悟のどんぐり眼がびっくりしたように見開かれて、それでもきゅっと口を結んで俺を見ている。
無表情で、時がとまったかのように顔の筋肉が動いていないが、よく見ると透明な膜が張られた蘇芳のガラス玉の中心が小さく震えている。

「総悟」
子供の日といっしょにトシの誕生祝をしてやるのは、いやか?
そう聞こうかと思ったが、どうも違うと思って言えなかった。

今でも、あの時総悟がなにを思っていたのかわからない。
ただ、トシの祝いに俺をはじめ皆が集まったことよりも、ミツバのはにかんだ表情よりも、総悟自身がトシの誕生日を知らなかったことにショックをうけていたのかもしれない。
自分だけが蚊帳の外、というのではなくて。
俺も人の腹の中が解る方ではない。だけれども総悟の心があの時少なからず傷ついたのだと俺は思っている。
あるいは、追いつきたいとおもっているトシがまた一つ大人になってしまった、そんなあたりまえのことにも打ちのめされていたのかもしれない。

とにかくそれから毎年総悟は5月5日になると決まって特別に入念な準備をしたいやがらせをトシに見舞うようになった。
あれは確か俺たちが江戸に上る2年ほど前だったと思う。
当時、開国してずいぶん経ってようやく俺たちの村にもマヨネーズが入ってきてトシはすぐ虜になった。
何にでもたっぷりかけてかけてかけまくって終いには飯にマヨネーズをかけているのかマヨネーズに飯を混ぜているのか解らないくらいで、総悟などはそれを見て心底嫌そうな顔をしていた。
トシはその日、誕生祝いをするから家に寄ってくれと村の女に言い寄られていていたのだが、トシが女の家に行ってみると、先に総悟が上がり込んでいて、囲炉裏の横にチョコナンと居座っていたらしい。

「これを食えねえとひじかたさんの嫁にはとうていなれやしやせんぜ」
などと言ってぐいぐいと女の頬に山盛りのマヨ丼を押し付ける総悟。
見ただけで胸の悪くなる丼を押し付けられて蒼白になった女に背を向けて、総悟がにっこりと笑った。
「ひじかたさん、誕生日おめでとうごぜえやす。村中のおんなにひじかたさんの好物教えてまわっときやしたんで、これからはどこに宿をとっても特製マヨ丼がでてきまさあ」

これで村の半分の女は潮が引くように離れた。
けれど残りの半分は大人で、夜トシが行くとにっこり笑ってマヨ丼を出すような女だった。
しかしこれにはトシの方が昏倒した。
総悟が、トシの好みはマヨネーズとワサビを同じ割合で混ぜたものだと皆に吹聴したからだ。

これほどの悋気持ちを弟分にしていたのだから、トシがいくら女に受けが良くてもそうそう良い思いはできなかった。
半ば総悟から逃げるように女の元へ通っていたのがいつのまにやら反対になったのは江戸に上ってから。
総悟にもトシ以外に興味深い人間ができたのだ。
万事屋をやっている坂田銀時といって、こいつがまたハチャメチャで馬鹿みたいに強くて馬鹿みたいに懐が深かった。
かなり面白いと言って良くちょっかいを出しに行っていたが向こうは総悟などなんの興味も無いらしくそっけないものだったらしい。
逃げられれば追いたくもなるもので嫌がられても嫌がられてもくっつきに行っていた。
おもしろくないのはトシの方で、この頃にはもう見目良く育っていたので総悟のことが心配でならなかったのだろう。よく総悟を追いかけまわしては万事屋などとつるむんじゃねえと叱っていた。

トシと総悟の距離も離れたかと思っていたのだが俺はほんとうにそういう事には疎くて、実は逆にこの頃に二人の仲は情人同士となっていたのだ。
それは後から聞いたのだが、それならばトシが総悟を気にするのも道理だ。
しかし傍から見れば本当に良い仲なのかどうか疑わしい。
朝から晩まで喧嘩…というか総悟がトシにドS全開で体当たりしているだけだ。
一体いつ仲良くしているのだろうと思うがそれは野暮というものだろう。

明日はトシの誕生日だというのに今日も総悟は万事屋のところへ遊びに行ったらしい。
帰るなり山崎の部屋に籠ってしまったのだが何をしているのやら。
思い立って様子を見ようと山崎の部屋へ行ってみれば、襖の向こうからなにやらぼそぼそと声がする。
総悟の奴、結構山崎のことも好きだよなと思いながら耳をすましてみると、
「バーロィ、てめー俺が帰ってくるまでに50枚はやっとけっつっただろーが!明日は土方さんの誕生日なんだぜェ?祝う気ねえのか」
という、総悟の声が聞こえる。
続いて山崎の呆れた声。
「あったら何も誕生日に合わせて溜まりに溜まった始末書いきなり出したりしませんよね。これ明日全部承認押して上に提出しないといけな・・いたっ!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いです沖田さん!」
「マヨが濃いんだっつの。せっかくあぶり出しにしてやってんのにこんだけ濃かったら炙る前に油がうっすら浮いてんだろーが!てめーはホントに使えねえ地味パンだなオイ」
「なんすかその地味パンって。大体副長の誕生日プレゼントに俺を巻き込まんでください。せめてもうちょっと手の込んでないモンにしてください」
「いいから早く作りなおせバーロィ。あと180枚書かねえといけねえんだからな。今日はあのババァんとこのゲロたま覗きに行けると思うなよ」
「ゲロたまって言いましたか?ねえちょっといたたたたたたたた!痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」

ふっと笑いが漏れた。
総悟の親代わりのつもりでいたが、ここへきて何を考えているのかさっぱりわからなくなっていた。
だけれども総悟はなにも変わってなどいなかった。
武州の田舎。憎しみと憧れのないまぜになった仏頂面でトシを追いかけまわしていたあの頃と何も違わない。

今年も例年に漏れず、ちゃんとトシへのプレゼントに精を出している。

俺は、総悟のトシへのたしかな愛情をしっかりと感じて、そっと襖を閉めた。


(おしまい。ハッピーバスデートシさん!)






















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