姿だけの恩人(後)





それから数日、沖田の部屋には行かなかった。もう行く気もない。

あの餓鬼は師と同じ顔をしていながらひとかけらも師に似ていなかった。
すべての感情を過去に置いてきたはずなのに、あるはずのない郷愁に苛まれるのは沖田のせいに違いなかった。

あの顔を見ているからいけないのだ。
もう二度とあの部屋に行かなければ良い。

そう考えて、その日からぱったりと沖田に会うのをやめた。



数日は元通りに過ごせた。

意識の外に無理やり追い払った沖田がたまに俺の頭の中で暴れまわったりしたが、もういくらかでも航海しているうちにきっと忘れるだろうとたかをくくっていた。


だがそうはいかなかった。

前は日がな一日この世界を壊すことばかり考えていたのにほんの少しこの頭の中に沖田の侵入を許すようになったのが気に入らなくて、それを追い払おうとして過ごした。

こうやって思い出すのはあの部屋にまだ沖田がいるからだと結論付けて、なんならほんとうに斬って捨ててしまおうかと考えている所へ手下の一人が血相を変えて報告に来た。


神威が沖田の部屋へ入った後、派手な物音と悲鳴が聞こえたと言う。

放って置けば良いのは解っていた。
退屈の神威におもちゃを与えてやって多少なりとも奴が静かになればそれでいい。

だが、俺の足は沖田の部屋へ向い、そのドアを知らず性急に開けていた。

開けた途端、窓のないこの部屋の奥の壁際に倒れ込んだ沖田と、その沖田に馬乗りになっている神威の姿が目に入った。

神威の右手は真っ赤に染まっている。
沖田の血だろうと考えて、俺は半ば走るように二人に近づいて神威の手を取った。

「何をしている!」

俺の権幕に多少驚いた顔で振り向いた神威。
楽しんでいる時の神威のいつもの表情。瞳孔が開ききって、何かを壊している時が一番楽しいんだとその顔が言っていた。

ギョロリと神威の目が俺を射る。

「アレぇ?高杉もうコレいらないんじゃないの?もらっていいと思ったんだけど」
俺を殺しそうな目で見たくせに、もうケロっとした顔で悪びれずに神威が言った。


「・・・これは、俺のものだ」
沖田を見ると、左肩からおびただしい血を流している。右手で傷を抑えて壁を向いて転がっていた。

「もうずっとこの部屋には来ていないって言うじゃない。俺はね、退屈なんだ。アンタが面白くしてくれるって思ってたのに、期待外れだよ。だからおもちゃくらいくれたっていいと思うけど?」

べろりと赤い舌を出して己の唇を舐める肉食獣。
「お前にはやらん」と口に出して言えば逆に欲しがって暴れるのは解っていた。

「もう二日もすれば辰羅どもがこの船に追いついてくる。惑星ごとふっとばせる量の武器取引を横からかっさらってやったから連中ご立腹だ。こんなひ弱な人間の餓鬼よりもずっと暴れられる」

今欲しいおもちゃをこんな科白ごときで取り上げられるつもりもなかったが、存外大人しく神威は身体を引いた。

「ふふ、随分気に入っているようだね。オーケー、面白いからアンタのそのスカした顔がこれからそいつのせいでどう変わるか見物させてもらうよ」

勝手なことを言って風のように去って行った神威を見送ってようやっと沖田の方へ近づくと、さっきと同じ姿勢のまま左肩を抑えて転がっていた。

「見せてみろ」
どうやら早くも血が止まりかけている所を見ると、出血に比べて傷は浅かったのかもしれない。

「ン、いてえから・・・手、放したくねえ・・・」
朦朧としているような表情だが立派に応えた。

「馬鹿が、手当もできないだろうが」

「た、かすぎ・・・」

「なんだ」

「俺、ァ・・・ひよわ、なんかじゃ、ねえ・・・勝手なことぬ、かしてん、じゃ、ねえ、片目、やろう」

「ククク、それだけ言えりゃ大したことねえだろ」

立ち上がってコツンと蹴ってやると、傷の痛みにううっと唸って沖田が丸くなった。








手下に薬と包帯を命じてシャワールームから水を汲んで来た。
タオルで傷を拭っている間、沖田は情けなくううだのああだの言って痛みに悶えた。
斬ったことはあっても斬られたことは少ないのだろう。
痛みに慣れていないか元々弱いかして、畜生あの化けモンめなどと神威に悪態をつきまくっている。

手下が持って来た軟膏を塗って包帯を巻いてやるとようやっとほっと息を吐いてベッドに横になった。
額に脂汗を浮かべて亜麻色の前髪がこのあいだのようにぺったりと貼りついている。

なんとなしにその前髪を指で掬って額の上に流してやった。
沖田が痛みの為に濁った瞳で俺を見上げる。


その目を見て何かしら覚えのない感覚に襲われて、思わず

「お前は髪を伸ばす気はないのか」

と思ってもいないことを聞いてしまった。


一瞬、靄のかかった瞳が少しだけ大きく開いた。
そうして今度は強く閉じられて、首だけが勢いよく向こうを向く。

ここのところ退屈な部屋の中で仲間と離れ閉じ込められていた沖田。
ほとんど俺にしか会えず、その俺とも何日も顔を合わせなかった上に神威に襲撃されたところを俺に助けられたのだ。

沖田という子供にとってこの船の上では俺がすべて。

何も考えていなかったが、沖田の感情が俺に向けられていたことに今、気づいた。


言ってしまった言葉には何の意味も無い。
ただ、お前の視線に面喰って中身の無い抜け殻のような文字の連なりが口からこぼれ出ただけだ。

だが、俺の言葉によって、自分が重ねられている人物はきっと髪が長かったことを知ったのだろう。

あるいは女のことだと思ったかもしれない。


この数日で師と沖田とのあるように見えた繋がりの糸はぷっつりと切れた。
遠くから見ていた時にはわからなかった強烈な沖田の個性は、俺の中の師の影を鮮やかに呼び起こしてとっくにそれを心の奥底にまで吹き飛ばしていた。
それは沖田と師を、重ねる暇も無くあっという間の出来事だった。

そう言いたかったが、俺はただ無言で沖田の顔をこちらに向けさせた。

「・・・・・なんでィ」
拗ねたような瞳が俺を見る。
俺はその聞かん気の子供のような沖田の唇にゆっくりと口付けて、じっとその顔を見た。

「・・・お前は、ずっとこの船に乗って俺の傍にいろ」

安い求婚のような科白を吐いて、俺はその日沖田を抱いた。




傷が開いたと文句を言って手当をやりなおせなどとうるさくせっついてくるので新しく包帯を巻き直してやった。
立ったついでに辰羅どもの動きを見るかと部屋を出ようとすると、沖田が俺の名を呼んだ。

「どこいくんでぃ」
「寂しいか」
「んなわけねえけど」

「お前はずっとこの船にいるんだ。これからいつでも可愛がってやる」

「なにそれキモい。勝手に決めるとか」

「フ、船を降りるのか」

「俺ァ近藤さんを一生守るって決めてるから」

「近藤か。そいつがお前の男か」


振り向くと、裸のままベッドの上に座る沖田。シーツを首まで引っ張り上げて、立てた両膝と顎で落ちないように押さえている。

「近藤さんはただのゴリラでさあ」
ぷうと頬を膨らませているのを見て自然口元が緩みそうになるが、無表情を保って部屋を出た。


神威がドンパチやりたがっているだろうから、辰羅族どもがどこまで追いつてきているかレーダーモニタ室に足を向ける。
そこにいる三下にどうだと聞くと、辰羅どもはまだだが何か違うものが来ていると言った。

詳しく調べさせるとなんと近づいてきているのは地球の船で、こちらがゆっくりと進んでいるのに比べて向こうは猛烈なスピードだという。地球の船でこれほどのパワーを持っているとすれば、よほどの要人クラスが利用するトップクラスの軍用船しかない。

「まさかな」

一瞬沖田を追って来たかと思ったが、田舎者くずれの真選組ごときに出せる船じゃない。
まあすぐに追いついてくるだろうからそれからゆっくり誰が乗っているのか確かめれば良い。

そう思って一服しながらモニタを見ていると、どんどんと近づいてくる謎の船。
おもしろいのでゆっくりと誘うように近くの惑星に誘導することにした。すると大気圏を越えた途端、待ち構えたように追いついてきた船が春雨にどんと体当たりをしてきた。

大きく揺れる船体に、今度こそ本当に口の端が上がった。
やけに熱いご挨拶だ。これはひょっとするかもしれない。

揺れが収まってから甲板に出る。
ちらりと沖田のことを考えたが、足枷を付けて部屋に鍵をかけているのでなにを心配することもないだろう。

大気圏を越えたとはいえ、ここは紫外線の量が地球よりも多いので長時間甲板にいるのは危険だ。
だが、相手はそんなことどうでも良いらしい。
どんと体当たりでこの船に横付けされた、江戸の要人専用艦。そこから貧乏くせえ黒い隊服の真選組隊士どもがわらわらとこちらに乗り込んでくる。


「神威。こいつらじゃあ物足りねえだろう」

この時間、大飯を食っているはずの神威はまだ上がってこない。あの揺れを感じて、ひと暴れする前の腹ごしらえだとばかりに更にかっ食らっているのだろう。
隊士どもの先頭。
黒髪の男が鬼の形相でこちらに向かって走ってくる。
正義の警察が聞いて呆れるほどの悪人面。

あれは確か真選組鬼の副長、土方十四朗だ。
抜き身の刀を構えながら一直線に俺を目指して来るその顔を見て、なるほどあの執念で要人イージス艦をレンタルしたのだと解った。


腹から笑いが込み上げてきた。
土方の顔を見れば嫌でも解る。
「いねえ」と言ったくせにやはり真選組に男がいたんじゃないか。

返すわけにはいかねえな、と思いながら俺はゆっくりと刀を抜いた。







(おちまい)






















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