姿だけの恩人(前) |
そんな感情などとうに無くなっていると思っていたので、立ち寄った江戸の街で船上から見下ろした真選組の子供に少し面影のようなものを感じた時、まず少なからず動揺した自分に驚いてもう一度子供の顔をゆっくりと見直し、それから神威を呼んだ。 あの幕府の犬どもの中に活きの良い子供がいるから攫って来いと言うと、おもしろそうだねと言って簡単に餓鬼をかついで戻って来る。 最近は江戸に戻って三下どものテロ行為を見ること自体珍しいので、こんな子供が幕府側にいるとは知らなかった。 ぐったりと神威の肩に担がれて来たそいつの髪の色を見て、もう何を見ても驚くことは無いだろうと思っていた俺の心臓がじくりと痛んだ。 怖いものなどは何もないが、その痛みの意味を考えるのも面倒なので、攫った子供を飛び立つ船の上から捨ててしまおうかと思ったが、せっかく拾ってきたのにと神威が文句を言ったので適当な部屋に仕舞い込んだ。 退屈は宇宙を航海していてもついてくるのでいくらかでもそれが凌げれば良いと考えて攫ったが、いざ箱の中に入れてみると蓋を開けるのに難儀した。 足枷で縛り付けてあるので逃げることはないだろうが、部屋に行けば既に目を覚ましているかもしれない。 閉じられていた瞳がくっきりと開いていて、同じ顔で俺を見るかもしれない。 しかし「アンタが放っておくなら俺が遊んでいい?」などと神威が言いだしたので、気に入らなければ斬ってしまえば良いだけだと部屋のドアを開けた。 中の子供はシーツの中でもぞもぞと動いている。どうやら今の音で目覚めたらしい。 もっくりと白い布が山型になる。ずかずかと歩み寄ってシーツを剥がすと、ひよこのような頭が出て来た。 眠そうだがはっきりと覚醒した瞳。 似ていない。 初めそう思った。 思ったほどは似ていない。 椿油でも塗ったかのようなつるりとした亜麻色の髪。くるりとしたどんぐり眼。 似ているのはそれだけで、こいつのような緋色の目をしていたわけではないし、こいつは餓鬼そのものだ。知性と慈しみを備えたあの面影などどこにもない。 加えて眠そうながらこいつからは性根の悪そうな雰囲気がもうもうと立ち上っていて、正反対とも言える印象だった。 「チ」 俺の舌打ちに、くと眉を寄せてばちばちと瞬きした。 「ここ、どこでぃ。あの化けモンどこ行きやがった。まだ勝負はついてねえってのに」 どうやら神威のことを言っているらしい。 「俺が大将だから、俺はあいつより強い。あいつの事は忘れろ」 そう言うとキョトンと俺の顔を見て、 「なんでい、ヒョロっとして弱そうじゃあねえか」 と言った。 その後、俺ァ帰らねえといけねえからここから出せなどとぐずり出したからもう太陽系から抜けるところだと教えるとどんぐり眼をもっと丸くして、マジですかぃなどとぽつんと呟いた。 俺にしても何故拾ってしまったのか説明がつかなかった。 面影が似ているからと言って何だと言うのか。 俺は未だ師に焦がれているのか。 拾ったは良いが始末に困るとは思わなかった。 いっそこの脳裏にこびりついた記憶と共にこいつを壊してやろうか。 神威にやると別の意味で滅茶苦茶にしてしまうだろう。活きの良いのが好みだから手足をもぎとって遊ぶかもしれない。あの時簡単に戻って来たので、地球人の子供なぞ造作も無かったろうと問うとそうでもなかったよと珍しい答えが返ってきた。どうやらこいつが気に入ったらしい。 そんなに気に入ったなら俺が精神と身体を侵してから神威にやって、奴がすべてを壊せばいいと考えて、おもむろに餓鬼の手をとろうとした。 取ろうとしたところで、子供が 「あ」 と言う。 なんだと問うと 「てめえ、指名手配犯のたかすぎじゃねえか!」 とでかい声でわめきはじめたのに面喰って、つい「今更だな」と応えてしまった。どうやらかなりテンポのずれた子供らしい。 「お前、名前は」 「沖田総悟」 知らんなというと気分を害したようだった。 これからもっと害する事をするんだぞと思っていると、ようやっと足枷に気付いてまたでかい声で騒ぎ出した。 「真選組の情報俺から引き出そうったってそうはいかねえぞ。俺ァなんも教えてもらってねえからな!」 息巻いて己の阿呆自慢を始めた沖田に色というものを全く感じなくなって、ぽろりと「やっぱり全然似てねえな」とつぶやくと、きょろんとした目で俺を見上げた。 すっかり興が冷めてしまったので、何か言いかけたのを無視して部屋を出ると、なにやら更にぎゃあぎゃあ喚いていたようだが、一応部屋に見張りを付けて自室に戻った。 そのまま放っておいても良かったのだが、神威がうるさくもうあれで遊んでいいのかと聞いてきたので仕方なく翌日も部屋へ行った。 入るなり沖田は足枷のせいで小便に行けなかったと大声で抗議してきた。そこいらにあった花瓶にしたけれど大きい方が我慢できなくなったらどうしてくれるんでィと言う。 五月蠅いので足枷を延ばしてやると、部屋中をうろうろと歩き回ってあちこち調べ出した。 「逃げ道なぞないぞ」と声をかけると、「丸一日ベッドの上で退屈で死にそうだったんでい」と答えたあと、少し考えて「お前俺の事知らねえって言ったくせになんでこんなとこ連れてきやがったんだ」といくらか真剣な顔をして聞いた。 「さあな、気まぐれだ」 と言って、それ以上何か聞かれる前にまた部屋を出た。 歩きながら、沖田がなにやらしゃがみこんで壁際を調べていた時、短い髪がさらさらと揺れていたのを思い出す。 顔の造りは似ているが表情が全く違う。あんな阿呆面ではなかったし生意気そうな目もしていない。 だからこっちに背を向けて部屋中を弄っている時の後頭部が一番似ているかもしれないなと思う。 だがすぐに、こんな仕様もない事を考えている自分が馬鹿らしくなった。 忘れたはずのあの顔を思い出してなにが嬉しいのか。狂ってしまえたと喜んでいたのに、ただひとすじに求める師を、もういないと解っている人を未だ求めているのかと思い知らされた。 翌日、何故か知らないがまたあの部屋に足を向けてしまった。 部屋のドアを開けると、ベッドの上でシーツにくるまって丸くなっている沖田。 どうしたと声を掛けるが返事が無い。 部屋につくりつけられたトイレ脇の洗面台の蛇口からざあざあと水が流れっぱなしになっており、あたりの床もびしょびしょに濡れていた。 「ここは宇宙だ。いくらでも港に寄れるが水は余っているわけじゃない」 水を止めてベッドに戻りシーツを無理に剥いだ。 ダンゴ虫のように丸くなっているが、ちらりと見える黒い隊服の胸元がぐっしょりと濡れている。 「沖田」 「・・・・」 「恋しいか、江戸が」 ひくりと、沖田の喉が動く。 「はら・・・へって・・・」 見ると丸まった状態で両手を腹にあてている。 どうやら腹が減り過ぎて水を馬鹿飲みしたらしかった。 そういえば誰に飯を運ばせろなどと命令した覚えがなかった。 「こん、ちくしょー・・・・、飢え死に、させる気、か、よ」 まる二日食べていないのだから、成長期の子供には相当きついだろう。 冷や汗でぺったりと額に貼りついた髪。 そっと撫でると空腹のあまり意識が遠のきかけていた瞳が俺を見上げた。 やはり顔だけは、似ている。 ひょっとして隠し子でもいたのではないだろうか。 あの表面も精神も綺麗な人の記憶。道を説くあの師にも女がいたのか。女に欲を感じ、子を成したのだろうか。 いっそその方がよかった。 この忌々しい世界を壊す前に、己の記憶を引き裂いて踏みにじってしまいたかった。 食事を運ぶよう命じてしばらく沖田の弱った姿を見下ろしていると、ほどなくして粥が運ばれてきた。 「飯だ、食うか」 枕元に置いてやろうとすると、たった二日食っていないだけでぐったりとしてしまった沖田が雛のように俺を見上げて 「く、わ、せ、て」 と掠れた声で言う。 甘えるなとサイドテーブルに盆を置き部屋を出ようとすると、沖田がもぞりと起き上がった。 「だめ・・・食えねえもん」 てめえで起き上がっておいてなにが食えねえのかわからないが、あれほどの暴れん坊がただの空腹でここまで人となりが変わるものかと呆れた。 緩慢な動作で「あ」と小さく口をあけてほんとうに雛のように俺の匙を待つ。 とろりとした粥を口に流し込んでやると、匙ごとあむと咥えたのでゆっくりと匙を引いてやった。 しっかりと閉じた唇の端から米粒と汁がほんの少し覗いている。 指で掬ってやろうとすれば、同じタイミングで沖田の舌がするりと出てきて俺の指をたっぷりねぶって戻って行った。 むぐむぐと口が動いている間ずっと俺の顔を見ている。 あの人が子供の頃はこんなだったのだろうかと思っていると、次を催促するようにまたぱっくりと口が開いた。 乳飲み人形のようだなと思いながらふた匙み匙と口に入れてやって急に馬鹿らしくなっててめえで食えと碗を放り出した。途端にもういらねえと言い出したので勝手にしろと出て行こうとすれば、ばふんとシーツに顔を埋めて暴れ出した。 腹が減って死にそうだ、なんでいえらそうに鬼兵隊だなんだ言って捕虜に二日も飯を与えねえでしみったれじゃねえかなどと喚き散らして、それだけ元気があれば粥ぐらいてめえで食えるだろうというほどにぐずった。 かなり面倒になっていたので、沖田の両手を取って椀を抱えさせ、こうやってごくごく飲めと言えば、阿呆のようにでかい目できょとりと俺を見上げて、そのまま飲んだ。 視線はこちらに向けているので当然口元がおろそかになって、粥が少しはだけた胸元にぼとぼとと落ちる。 飲み終わってことりと椀を置いた時には、沖田の胸元はべとべとになっていた。 「だらしないな、よそ見しているからだ」 「食うかィ」 餓鬼のくせに挑発するような目で見るものだから、脅かし半分で隊服のブラウスを両手で掴み胸元の粥をべろりと舐め上げてやった。 沖田の白い肌。 俺の好みではないやわらかい米をごくりと飲みこみながら上目使いで表情を窺うと、いつもどおりのキョトンとした顔で、俺を見下ろしている。 「ねえ、アンタこの間俺のこと誰かに似てるだとか似てねえだとか言ってなかった?」 「・・・似てねえと言った」 いきなり沖田が核心を突いて来たので、面喰ってまともに答えてしまった。 「だれに」 「お前の知らねえ奴だ」 「アンタのたいせつなひとかぃ」 「俺に大切なものはねえ」 「たいせつ・・んう」 餓鬼らしくしつこく聞いてくるのでうるさい口を塞いでやった。 まんざら知らぬ唇でも無いようだ。 「フ、江戸に女か男がいたようだな」 「いねえよそんなん」 もう行くかと身体を離した時、突然沖田がぱっちりと瞬きをして言った。 「アンタは、その人にもこんなことをしたかったの」 途端に目の前の沖田がふっとんで、ベッドの向こう側に大きな音を立てて落ちた。 俺が殴り飛ばしたのだと気づいたのはその後。 色欲などとはもっとも遠いところにいた人だった。 お前などとは違う。お前のような馬鹿な子供ではなかった。 神聖視などとは言わぬが、そんな対象ではありえない。 ごそりと起き出す音がして、ベッドの向こうに亜麻色の髪が見えた。 「チクショーコノヤロー・・いっ・・・てえ」 じろりとこちらを見る目。 同じ顔で俺を見るな。 これ以上ここにいると沖田を殺してしまいそうだった。 大股に歩いて部屋を出る。 乱暴にドアを閉めてから、あんな餓鬼ひとり殺したってなんの支障もなかったことに気付いた。 (ちゅじゅく) |