痴話喧嘩 |
朝からずっと坂田が、失敗した失敗したとそればかり言うので沖田はとうに辟易していた。 沖田にしてみれば一生懸命機嫌をとって、性格に合わないかわいらしい態度で接したつもりだったのに、坂田は定位置のソファに根を張ってうつぶせになったまま一向に沖田のところへやってくる様子は無かった。 「ちょっとぉ旦那、アンタ何ぐちぐち言ってるんでさぁ。いいからはやくこっちきなせえよ」 白いエプロンをつけた沖田がキッチンから顔を出しても坂田は動かない。 「旦那ってば、約束したでしょう今日一緒に作るって」 「失敗した。人生のチョイスを失敗した。なんでこんな餓鬼選んじまったんだろう」 うつぶせの銀髪にべこんと鍋が落とされた。 「いってー、いってーいってー!!なにすんだこの凶暴馬鹿!!」 「いつまでも旦那がぐじぐじ言ってるからでしょうが!いってえ何が気に入らねえってんですかぃ」 「あーおかしいなあ。真選組の中にいた時はきらきらと輝いてすごく綺麗に見えたのに、あそこから掬い出してみるとてんでつまらないんだもの。なんでこんなの持って帰ってきちゃったんだろう」 「旦那が誘ったんでしょうが」 「後悔しているんだろう」 むっくりとソファーから起き上がって、エプロンの裾をひっぱると顔を埋める。 「なにが」 「あのゴリラを捨ててきて後悔しているんだろう」 「まさか。俺は一生近藤さんを守るって思ってやしたけど、旦那に出会って旦那と添い遂げるって決めたんですもの」 「嘘だ」 「嘘なもんですかぃ、近藤さんには頼りないけれどなんだかんだで根性だけは据わってる土方さんがついてやす。だけど旦那にはだーれもいねえ」 「いやいやいや、ぱっつぁんとか神楽とかゴリラ女とか俺結構モテモテよ。それぜんぶ振り切って沖田くんだけのものになったなんて勿体ないくらいなんだから」 「あんなのぜんぶカスじゃねえですか。まあチャイナはあなどれねえですけど。」 「何お前神楽に気があんの?手ェ出したら殺すからね」 がごん、と鍋が再び落とされる。 今度は抗議の声も出ないほどの衝撃だったらしく、坂田はうう、とだけ呻いた。 「結局旦那は俺よりチャイナの方が大切なんでしょうが。柄にもなく父親ぶっちゃってみっともねえったら」 「ああ?あんだと?その神楽捨ててまでお前と一緒にいんだろうが!あー・・・ホント失敗した。あれだよね、夜店の金魚といっしょ。たくさんの金魚と一緒に泳いでた時は魔法みたいに楽しかったのに一匹だけ掬って袋に入れてしまうと途端に輝きがなくなんの。あんなモン一匹だけ離すモンじゃねえのよ、あのまま夜店の砂埃をかぶった汚ぇ水ン中で泳がせておいてやったほうがいいの」 「何が言いてえんですかい」 「なんで一緒に来るなんて言ったの。沖田君から刀取っちゃったらなんにも残らないよ」 「アンタがそうさせたんじゃねえですか」 「あーあ言っちゃった。刀捨てて俺のとこ来る道を選んだのは沖田くんでしょ。なのにやっぱそう思ってたんだ」 ドガン。 今度は漬物石が飛んできた。 「何なんですかい、俺が何もしねえで家でゴロゴロしてるのが気に食わねえってんですか?」 「うう・・・・う、いてえ・・・。お前非常識なモン投げんじゃねえよ。俺が言ってんのは、こう・・銀さんによっかかっちゃってつまらない毎日を送る沖田くんの姿なんて見たくないってことなのよ」 「ハァ?誰が誰によっかかってんですかぃ?今だってほとんど俺の貯金から生活費出してんじゃねえですか。俺ァね旦那、もしも俺が嫌になったら真選組に戻れなくったっていくらでも一人で生きていけまさあ。何やったって飯食うぐれえできやす。だけれども旦那が俺の事を嫌だって言ったってそんなのは全然関係ありやせん。出て行けって言われたって俺自身がいやになるまではずっとアンタにくっついているんですから」 沖田がソファーに座る坂田の膝に乗って甘えるように下から覗きこんだ。 何をきっかけに臍を曲げたのかもう覚えていないが、坂田は未だ納得がいかないようでぷいと横を向いてしまう。 「ねえホラ旦那、俺がチョコレートに唐辛子なんか入れねえように見張ってるんじゃなかったんですかい?生クリームたっぷり入れるんでしょうが?」 沖田が手をひっぱってキッチンへ連れて行こうとするも、坂田は唇を噛んだまま子供のように傷ついた顔をして余所を睨みながら黙って動かない。 遂に沖田はふうと息で前髪を吹き上げて、仁王立ちの恰好のまま冷めた目で坂田を見下ろした。 2時間後、二人で借りた部屋のテーブルには綺麗にラッピングされたチョコレートがひとつ、ちょこんと乗っていた。 その前に石のように動かない坂田がソファーに座ったままの形で固まっている。 結局沖田は一人でイチゴチョコレートを湯煎して生クリームを溶かし、たっぷりと砕いたクッキーを加えて成形し固めた。 黙ってラッピングしてむっつりとへの字口でテーブルに置くと、じろりと坂田を睨んでもう一言も口を利かないで出て行ってしまった。 俺が悪いんじゃねえ。俺を金魚に例えたりしたけれど、結局旦那がひとつところに落ち着けねえだけなんだ。糸の切れた風船みてえにフラフラ漂っていねえと生きている気がしねえだけなんだ。その合間にたまに俺のところに立ち寄って、それで俺をかわいがってまた違う何かのところへ行ってしまうんだ。 何も一言も発さない沖田がチョコレートを作っている間中、心でそう叫んでいるのが聞こえるようだった。 坂田の名義で借りているこの部屋は日割り計算で短期契約もできるタイプだ。 財布である沖田が「半年にしやしょうか」と言ったのを、二週間と答えたのは坂田。 最初からお試しなのだなという印象を与えてしまったのは間違い無かった。 とにかく沖田は出て行った。 ここまできてようやっと、来週にでも沖田に会いに行って浮気亭主のように謝り倒し、うんと抱きしめてやろうと心に決める。 二週間どころか一週間ももたなかったのはやはり自分のせいかもしれないと、イチゴ色のラッピングを手に取りがっくりと項垂れて長い事動かなかった。 沖田が屯所の玄関を上がると、ちょうど廊下をこちらにやってきた土方と目が合った。 合ったとたんに鬼のように眦を吊り上げて、ずかずかと沖田の方に半ば走るようにやって来る。 「テンメー総悟!何勝手に五日も雲隠れしてやがんだ!平隊士だったら切腹だぞボケが!」 一体いつそんなえこ贔屓隊規ができたのか知らないが、総悟は免除らしい。 「ハァ、これ買いに行ってたんで」 うるさい土方に何と答えようと考えて、咄嗟に残った材料で自分用に作ったうちのひとつをポケットから取り出した。 「なんだそれ」 ある程度予測がついているにもかかわらず、まだ難しい顔で沖田を睨む土方。 「アンタにやろうと思いやして」 ぽんとそっけなく質素な透明袋で包んだチョコレートを放って土方が受け取るのも見ずに自室へと歩いて行く。 後に残された土方が、隊士どもが通るのを見てごほんと咳払いをした。 「副長、沖田さんからチョコレートもらえるなんてさすがですね」 入隊して間が無い怖いもの知らずの新隊士が馴れ馴れしく声を掛けたのにも気にならず。 「フン、こんなモン何の意味もねえ。あいつはただ田舎から出てきておおっぴらに菓子を食えるイベントなんぞを初めて知って喜んでるだけだ。どうせテメエの分もちゃっかり懐に仕込んでいやがるんだろうがよ、まあくれてやる相手が俺しかいねえってのも、まだまだあいつが餓鬼だってえ証拠だ」 とびきり甘そうなチョコレートに眉を寄せながらも、まんざらでもなさそうに鬼の副長が嘯いた。 (了) |