凋落の後始末




沖田の旦那様には大恩があるというのが父親の口癖で、お前が上の学校に行って経済を学べたのは全部旦那様のおかげだとよくよく聞かされて育った。
だから、俺も長じて父親の跡を継いで沖田家に仕えるのが当然だと思っていたし事実そうした。
十三の歳から屋敷に入ってすべての仕事を修行したあと父親の補佐に就いて数年。父親が引退してからは事実上沖田家の使用人をすべて束ねる役割を担ってきた。

沖田家のお坊ちゃんは阿呆で生意気で品性のかけらもなくただ絵画のように美しかった。
良いところがひとつもないだけでなく、とんでもなく悪いのがこの美しいところで、総悟様の根性を悪くしているのは己の容姿に対する自信も原因のひとつなのだろう。
俺は主にこの次期当主であるノータリン総悟様の尻拭いをして一日を過ごしていた。

総悟様は歳だけは俺よりも二つ下なだけなのだがずいぶん子供っぽく、お勉強もできないくせにずる賢いことこの上無く、そして加虐性などは右に並ぶ者もいないほどだった。

屋敷の主のシャツには必ず執事がアイロンをかけるきまりになっているのだが、俺が一生懸命先代のシャツにこてをあてているとチョコチョコと寄ってきておもむろに
「なーーヤマザキぃ、このこてってのはどれくらい熱いんでぇ」
などと言ってくる。
「危ないから触らないでくださいよ」
と言うと
「なあー、それおまえの手のひらにじゅうってあててみろよ、なあ」
などと目をきらきらさせて言う。


いやいまじゅうって言いましたよね、ある程度熱いってわかって言ってるんですよね。

俺が無視していると、
「なんでえ山崎ケチくせえの」
なんて捨て台詞と手に持ったレモネードの飲みこぼしをシャツに土産のように垂らして去って行った。
一体誰があんなに行儀悪く育てたんだろう。

総悟様のお父上である先代は物腰柔らかで知的で穏やかな人だった。
何故俺の番になってあんなノータリンがまわってくるのだろうと考えることも良くあったが、あたってしまったものは仕方がない。


それからしばらくして銀行の財産が焦げ付いて先代が自害されてからこの屋敷も一気に様変わりした。
使用人の数も半分に減らしなるべく質素な生活をして、けれど外交はそういうわけにはいかないので変わらず派手にして。
残りの株をやりくりしてなんとかこの屋敷を維持しようと頑張っているのに、それでも総悟様はあっけらかんとノータリンのまま過ごしていた。
浪費はやめてくださいとお願いしているのにもかかわらず、何故か信じられないくらい高価な使いようのない無駄なものを勝手に買ってくる。

悪戯で何もいう事を聞かない総悟様。小生意気な顔を見ていると虐待したろかと思う。
それでも普通はなんとか思いとどまるのだが、本当に虐待してしまった輩が実はこの屋敷に長い事出入りしていたのだ。


その男は土方十四朗と言って、まともな人間なら足を向けないような川向こうの貧乏な集落の出だった。
煤や泥で汚れてはいるが、綺麗にすれば卑しからぬ顔立ちをしていて、朝に晩に用を聞きにきては日銭を稼いでいた。
汚れ仕事や重労働も文句を言わず引き受けたので便利に使っていたが、今日は何も頼むことが無いと言っても、土間に手をついて「お願いします、どうか仕事をください」と頭を下げたりしてしつこいところがあった。
仕方なく裏で牧割りでもしてくれというと

「ありがとうございます」と言いながら静かに顔を上げた時の鋭い目つきが、この男の腹の中を移しているようで油断がならないなと思ったりしていたのだが、ある時分から一向に姿を見せなくなってどうしているのかと思っていた頃、それどころじゃない事態が起こった。

総悟様がどこで騙されてきたのか悪友にヒロポンを教えられて中毒になりかけてしまった。
この頃はまだ商品化されておらず入手は困難だったけれど、総悟様はいくらでも欲しがって樽に一杯でも買うと言って悪友に弐萬もの借金をした。
厳しく叱ったけれど後の祭り。本人はケロッとしたもので、どういう状況になったのか解っていないようだった。
借金取りが屋敷にやってくるようになって、二進も三進もいかなくなった上に、なんと敵は総悟様の身柄を要求した。これだけの上玉ならば上海に売り飛ばせば弐萬くらい簡単だというのだ。
相手は玄人。由緒正しき沖田家がこんな輩に良い様にされることには我慢がならないが、この時は進退窮まった。
沖田家と強い繋がりのあった帝国陸軍憲兵中将の松平氏に助けを求めようにもちょうど彼は滿洲に駐屯していてどうにもならない。
これまでかと思った時、あの土方十四朗が颯爽とやってきて弐萬もの大枚を借金取りどもに叩きつけた。
俺は一瞬土方が軍人になったのかと思った。
パリッとした軍服を着て髪を撫でつけて顔も手も清潔にして。
とても沖田家の裏口で這いずり回って仕事を欲していた男には見えなかった。

歯噛みしながらも借金取りどもが帰って行ったあと、土方は無言で総悟様の腕をひねりあげてそのまま総悟様の部屋へ引きずって行った。
俺が「土方」と声をかけるとぎろりと目だけを振り向かせて、「今日からこの屋敷の全権は俺が持つ」とだけ言い捨てる。
総悟様がぎゃあぎゃあ喚くのも気にせずに寝室に消えた二人。


俺は。
俺は何も手を出すことができなかった。

土方は弐萬もの借金を肩代わりした。
つまり、土方の言うとおり、俺達は誰も総悟様でさえ奴に逆らえなくなったということだ。


二時間ほどしてようやっと土方が部屋から出て来た。
「総悟を風呂に入れろ。俺は仕事に出る」
ただそれだけを言い放って足早に屋敷を出ようとしたので、なんと呼んで良いものかと迷いながらも
「ひじかた・・・・さま」
と声をかけた。
フンと鼻を鳴らして、土方は「お前は賢い奴だ。三日ほどで戻る、俺の部屋を用意しておけ」と言い足して今度こそ本当に出て行ってしまった。

おそるおそる総悟様の部屋を覗くと、めちゃくちゃになった部屋のベッドに茫然と裸体で横たわる姿。
出血もしているようでシーツが赤く染まっていた。
名を呼ぶが反応は無く、泣きはらした目がぽっかりと開いて天井を見ていた。
俺はメイドを呼んで風呂の用意をさせ、総悟様をシーツでくるんで浴室まで連れていって浴槽に放り込んだ。後をメイドに任せて土方の新しい部屋を準備するよう他の者に指示してそれから総悟様のブラウスにアイロンをかけるために自室に入った。
この頃には輸入ものの電気アイロンが出ていてずいぶん使いやすくなっていた。
一手一手ブラウスの皺を延ばしながら、俺はこの屋敷の使用人頭でありながら主人を守れなかった悔しさを噛みしめた。
あのノータリンがどうのじゃない、俺の執事としての能力の限界に無力感を感じたのだ。



それからはずっと土方は総悟様を良い様に扱っては沖田家に金を都合した。
いつのまにこれだけの経済力を持ったのか知らないけれど、とにかく俺達にとって土方はひれ伏すべき対象だった。
当の総悟様はあの日の自失状態から立ち直ると、もう表面上はケロリとしていていつもの彼に戻っていた。
だけれども土方が屋敷に戻ってくると総悟様の周りの空気がピンと張るものだから、嫌がっていることはわかった。
執事としてはやはりこれはいけないと色んな手で二人の仲を裂こうとしたものだがうまくいかなかった。
土方が総悟様から手を引いてしまえばこの屋敷が立ち行かなくなるという事実も頭が痛く、総悟さまの浪費癖も全く治らないのだからお手上げだった。

そうこうしているうちに俺が勝手にまとめあげた白小路家との縁組も破談になり、蓋を開けてみれば総悟様はなんと土方を憎からず思っていたことがわかった。
俺としたことが総悟様の心持ちを読み違えていたのだ。
互いを想い合っているのならばせめて二人とも顔を合わせた時くらいにこりとでもすれば良いのにまったく二人して面倒くさい人間だなと思った。

白小路様が沖田家から去って、そうして何もかも元通りになってからは比較的穏やかに時が過ぎた。
ほんの少しだけ二人がお互いに対して素直になったように見えるので、白小路様の影響も悪くは無かったのかもしれない。

人にはわからない睦まじさで十数年を過ごした二人。
俺は何の葛藤もなく時に総悟様を叱りながら執事の仕事に従事できた。

終戦の年、土方が南方から奇跡的に戻ってきて、けれど財産の没収ですべてを失って。
とうとう屋敷を出なければならなくなってしまった。
他の使用人にはすべて暇を出して、俺も沖田家の紹介状を持って新しい職場へ行くことになっていた。

「土方様、これからどこへ」
俺が遠慮がちに聞くと、土方は分厚い羅紗の外套をきっちりと着込んで美しく磨かれた靴で玄関を出た。
「さあな、どこへでも行くさ」


総悟様は先に出て門のところで退屈そうにしている。

「総悟様は、貧困を知りません。私は心配でなりません」
「フン、あいつにほんとうの貧乏暮しがわかるものか」
「・・・それでも総悟様にはもう使える金などは、無いでしょう」
「俺があいつに不自由させると思うか」
それだけ言って土方は俺に背を向けた。
足早に門まで行って何か総悟様に話しかけている。


面倒そうに総悟様がこちらへやって来てふくれたような顔で俺の前に立った。

総悟様はもう三十を超えているのだけれど、とても若くてまるで帝大の学生のようだった。
俺に対して優しい言葉をかけたりしたことのなかった人だけれども。

「総悟様、ご自愛なさってくださいね」
俺がそう言うと、コクリと頷く。

この歳になってもまだ赤ん坊のように我儘で幼いなと思っていると、小さな声で
「・・・ありがとな」
と言った。

俺はこの瞬間、何年もこの「脳足りん」に振り回されてきたすべてが報われたような気がした。




(了)
























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