にゃあと鳴く恋 |
ただでさえ仕事をさぼるのが仕事だとでもいうような沖田が、最近とみに巡回をフケるらしい。 隊士どもに泣き付かれたので、ひとつ現場を押さえて叱り飛ばそうと、土方は沖田の後をつけることにした。 今日は徒歩での見回りだったので、物陰に身を隠しながら後を追う。 仕事はいくらでも溜まっているし空は抜けるような青空。なんでこんなことをしているんだと多少馬鹿らしくなりながらも沖田の尻を眺めていると、ものの15分もしないうちに、相方の隊士の隙をついて沖田の姿が路地に消えた。 焦る隊士を尻目に当たりを付けて先回りすると、果たして沖田が路地の反対側の通りに姿を現す。 さてどこへ行くのかと更に尾行すると、なんのことはない屯所の裏手まで戻ってきて、農地だった頃の名残の掘建て小屋にコッソリ入って行った。 なんだと思って小屋の戸口に立って中を窺ってみれば、ゴソゴソという音とにゃあという声が聞こえる。 「よしよし、今日はこれを持ってきてやりましたぜ」 にゃあにゃあにゃあ。 まさか十八にもなった男がどこぞで猫を拾ってきて秘密で飼っているのかと土方の方が恥ずかしくなりながらも、とにかく木戸を乱暴に開けた。 「おい総悟!てめえ巡回サボって何していやがるんだ」 中は朽ち果てた農機具と冷たい土床のみ。 その真ん中に立っている沖田がおどろいたようにこちらを見た。 そして、その胸にべったりと張り付いている猫。 白いふわふわの毛足はいいとして、土方が見たこともないくらい尋常じゃなく不細工な猫。 目が据わっている。というか目つきが悪い。 見たこともないというかなんだかどこかで見たことがあるような気がするのだが、無意味に沖田の胸にはりついているのをべりりと剥がしてやりたくなるような人を馬鹿にしているような顔つきだった。 「あんれ、土方さんたらどうしたんですかぃ」 キョトンとした顔でこちらを見る沖田。 不細工猫は土方の姿を見て、はっしと更に強く総悟にしがみついた。・・・ように見えた。 「テンメ、どうしたもこうしたもあるか。仕事をフケて猫の世話たぁ、いい度胸だ」 一歩前に出ると、沖田が猫を守る様にこちらに背を向けた。 「いいじゃあねえですか、世話は自分でやってるし餌だって俺の給金から払っているんですから。誰にも迷惑なんてかけてやせんぜ」 「組の経費使われてたまるかってんだ。大体てめえ迷惑かけてねえってんなら勤務中に猫なんぞ弄りに来てるんじゃねえ!」 「いいじゃあねえですか少しくれえ、」 沖田が言いかけた時、右手に持っているものをふと見て驚いた。 「てめえそれイチゴジャムじゃねえのか?猫にンなもんやったら身体に悪ィだろうが」 「エッ、でも好きなんです」 「好きだからってなんでもやっていいってもんじゃねえ。ホレ、こっちをやれ」 つい絆されて土方が不細工猫に懐のマヨネーズを与えようとすると、総悟に脛を蹴られた。ついでに猫も身体中の毛を逆立てて怒っている。 「いてっ、何しやがる」 「マヨネーズの方がずっと身体に悪ィでさ!」 尚もイチゴジャムを猫に与えようとするので、土方は沖田の手からそれを奪い取った。 みぎゃあ。 猫が鳴いて土方に飛びかかる。 「あっ、旦那!」 土方が咄嗟に腕振り払うと、白猫は床にスタッと降り立って尚も手の中のイチゴジャムを狙っている。沖田があわてて猫を追いかけた。 「旦那、おとなしくしてくだせえ」 猫を胸に抱いて立ち上がり、顎をふわふわの毛に押し付けて土方を上目づかいに見る赤い瞳。 悪魔のようにかわいらしくて怖い。 「てゆうかお前、旦那ってなんだ」 「いやなんでもねえです」 「なんでもねえこたねえだろうが、お前が旦那って言やあ、あの万事屋の糞野郎のことだろう」 「糞はねえですぜ」 「趣味の悪い名前つけやがって。いいからどこへでも捨てて来いそんな不細工な猫」 猫の首根っこをつかもうとすると、沖田がぎゅうとふわふわを抱きしめて拒否反応を示した。 「やーっ、やでさあ!!旦那は俺がずっと育てるんです!」 「おまっ、やでさじゃねえだろう!野良猫なら保健所にでも電話して・・」 「猫の餌までうるさく言ったくせに何が保健所でい!出てってくだせえよ!!」 沖田が肩で土方の胸をどんどんと押した。 「ちょ、おい!やめろ!じゃあせめて名前を変えろ!」 「旦那は旦那でさ!いいから土方さんはもう帰ってくだせえ」 「帰れるか!だいたいお前旦那って。・・・・・・旦那?」 土方は、ぽかんとして沖田と白猫を見比べた。 そういえば一週間ほど前、万事屋が行方不明になったと眼鏡と凶暴娘が真選組に来たのだ。 家出人捜索はうちの管轄じゃないと一蹴しかけたが、あいつは攘夷浪士との繋がりがあるかもしれないと一応引き受けたのを思い出す。 まさか、あれと何か関係があるのか。 「お前、万事屋の行方を何か知ってるんじゃねえのか?」 沖田が巡回を前よりもサボるようになったという報告を受けたのと、万事屋のガキどもが真選組に捜索願を出しに来たのは考えてみれば同じ頃だ。 沖田はわりと周りに黙って勝手に動くことが多い。 まさか猫は関係無いだろうが、何か怪しいと思って沖田の手を掴もうとすると、 「いやあっ、旦那は俺といるのが一番幸せなんでさあ!」 と大きな声で叫んで逃げ出そうとした。 「おいちょっと待て、旦那ってなんなんだマジで。お前そんな猫好きとかじゃなかったろう」 沖田にぎゅうと抱きしめられた猫は、ぶみゃぶみゃと怒って沖田の隊服を引っ掻いている。 「だってこれはほんとの旦那なんですぜ!捨てられるわけがありやせん!」 ばしっと音がして沖田の頬を猫パンチすると、白いふわふわは床に降り立って土方が放りだしたイチゴジャムの蓋が開いていたのを舐めはじめた。 ざりざりと土床を舐める姿は猫そのもの。 元人間、というか人間の意識があってできる行為ではない。 馬鹿馬鹿しいと言うと、沖田は近藤が以前ゴリラになったことを持ちだして、ありえない話じゃないと言い出した。 確かにこの不細工顔とムカつき加減はあの忌々しい万事屋に見えなくもない。 だが、土方の常識がそれを許さなかった。 「お前あの万事屋がこいつになるのを見たのか」と詰め寄ると、沖田はきっと土方を睨んで頷いた。 「俺、この間なんだか知らねえ寺の境内で盛り土ンとこに立小便したんでさあ。それがどうやら猫どもの墓だったらしくてね。それならそうと墓標くれえ立てとけってなもんなんですけど」 「ああ?それがどうしたってんだ」 「そしたら旦那が猫になりやした」 「・・・・・」 「・・・・・」 「いやお前今、相当端折ったろう」 「はしょってなんかいやせんぜ」 「いやいや、今全然話つながらなかったぞ。なんでお前が猫の墓に立小便して万事屋が猫になるんだ。真ん中を言え真ん中を」 「言ったら土方さん怒りやすもの」 「お前の言う事には大抵怒るから心配すんな、いいから言え!」 苛々して胸倉を掴まんばかりに詰め寄ると、沖田がふうと息を吐いた。 「えーと。だから、旦那が俺の○○を飲んだら、猫になっちまったんです」 青天の霹靂とはこのことだ。 ○○を飲む状況と言えば、坂田と沖田が布団の中でなにかをしていて、沖田の興奮が最高潮に達した時以外ありえない。 土方にとって、まさか万事屋と総悟がデキていたとは驚きだった。 『驚きというか総悟はまだ未成年だ』 『というか男だ』 というか・・・・・。 「さ、旦那。今日は唐辛子なんて入れてませんから。ジャム食べてくだせえ」 沖田の声にハッと気が付いてそちらを見ると、一生懸命猫に指で掬ったジャムを食わせようとしている。 「総悟、それ嘘だろう」 「へ、なにがですかい?てかまだいたんですか土方さん」 「いるんだよ。それよりもあの万事屋が猫になっちまったなんて嘘なんだろう」 「まったく土方さんは頭が固くていけねえ。土方さんが死んでくれるなら話は別ですけど一体俺がそんな嘘ついて何の得になるんですかってんだ」 「にしてもそれマジただの猫じゃねえか。お前のこと認識してるようには見えねえ」 不細工はもうジャムに飽きたのか、土間の隅にかさこそしている蜘蛛に攻撃している。 ばしばしと当たっていない猫パンチを繰り出しては仰向けになって背中の毛を擦りつけるような動き。 人間の理性が残っているとはとても思えなかった。 「・・・・・。旦那は、猫になっちまったその日は、俺の周りでにゃあにゃあ言ったり二本足で立ったりしていたし、きちんと俺のことを解ってくれていたんです。だけれども日が経つにつれて本物の猫みてえになってきて、今ごろではこの小屋に俺が入ってきたらそこいらのねずみなんか咥えてる時あるんでさ。しつこく抱いてたら俺の事も引っ掻いたりしてほんとに・・・ほんとの猫みてえに・・・」 「解った調べてやる」 「ひじかたさん」 「来い総悟」 「え、でも旦那」 「今は勤務中だろうが!元に戻る方法があるかどうか調べてやるからさっさと出て来い!」 怒鳴り散らして小屋を出て、その足で屯所に戻る。 沖田が巡回の途中で飽きて勝手に帰ってきてはゴロゴロしていることはよくあったが、副長とセットであることはめずらしい。 隊士達が驚いている中を副長室に入ると山崎を呼んだ。 呼んでおいて総悟を目の前に座らせる。 「総悟」 「へえ」 「まさかお前が万事屋とデキていたとは知らなかった」 「言ってませんから」 「猫とは同衾できんだろう」 「布団に入れてやることはできますぜ」 「しかし○○を飲んでくれることはねえ」 「土方さんは飲んでくれるんですかぃ」 「飲む」 「へ」 「飲むと言った」 「なんすか、それ」 沖田が切り返そうとすると、襖の向こうから山崎の声がした。 「おう、入れ」 土方が応えると山崎が入ってきて、副長室にいるメンツを見て嫌そうな顔をした。 沖田と土方が並んでいると面倒事を頼まれる率が高い。 「唐突だがお前人間が猫に変わるなんて話聞いたことがあるか」 土方が煙草に火を着けながら問うと、山崎は意外にもほっとしたような表情を見せる。 「ああ、それならここのところ数件聞きましたよ」 二人とも顔を上げた。 「どういうことだ、他にもあるのか」 「他にもっていうか誰か猫化したんですか」 「いいからお前は詳細だけ話せ」 「はあ。真選組に来た話じゃないんですけども、俺が監察の仕事中に勝手に耳に入ってきた情報ですので裏はとってないです。それを踏まえて聞いていただきたいんですけども、かぶき町のはずれにある神社に一見それとわからない猫の墓があって、どうやらそれが関係しているらしいんです」 「小便か」 「はい?」 「いや、続けろ」 「どうもその墓に悪戯すると猫になったりするんじゃないかって・・・まあ数件しか起きてないんでなんとも言えませんが」 「悪戯?やった本人がか」 「本人もあれば、これはちょっと言いにくいんですけど」 と言って山崎が言うには、神社の植え込みにゴミを放置してその足で風俗に行った男に付いた玄人女が猫になってしまったという。 「ふん。そいつはどうなった」 「何きっかけかはわからないんですけれど猫になって数日の間ならば人間に戻ることもあるようですけど、これが恐ろしいことにすっかり猫になってしまった者はもう二度と戻らない・・・」 「嘘でえ!」 すっくと立った沖田を、土方と山崎が見上げた。 「いい加減なこと言ってんじゃねえやクソ山崎!旦那はこのまま猫になりきっちまったりしねえんだ」 言うが早いか副長室を脱兎のごとく逃げ出した。 「待て!待たねえか、総悟!」 土方が後を追って裏手の小屋に行くと、茫然と戸口に立つ沖田がいる。 「総悟」 「ひじかたさん・・・・・・。旦那が、旦那がいなくなっちまった」 大きく目を見開いて振り向いた沖田は、それだけ言うとまたも土方の制止を振り切って駆け出す。 「旦那っ、旦那ァ!」 「総悟!待て!」 「外へなんか出て車に轢かれでもしたらどうするんですかい?俺ァ旦那を探しやす」 言い捨てて、仕事でも中々闊歩しない町へと走り去った。 最終行きつく先は解っている。 土方は大げさにため息をついて、山崎に警ら車を回すよう伝えた。 土方が万事屋の看板が見える辺りで車を停めると、案の定沖田が白猫を抱えて裏路地から出て来た。 土方を見つけて、逃げるでもなくこちらに歩いてくる。 腕の中の白猫は、抱きかかえられるのが嫌なのかじたばたと暴れて逃れようとしていた。 「総悟」 「ひじかたさん。旦那ったらスナックのババアんとこで餌もらってたんでさ・・・」 「・・・猫は家に付くって言うからな」 「旦那、どうして・・・」 「万事屋が帰ってきたってんなら、コッチの方がいいんじゃねえのか?餓鬼どもも心配してることだし戻してやれ」 「・・・旦那は俺といる方がしあわせでさ。俺の恋人だったんだから」 「もうお前のことなどわすれている」 その時、きゃあかわいいと女どもの声が聞こえた。 「なにこれ不細工!」 「やーん、ブサカワ」 見ると二人組の女が勝手に沖田の腕の中の猫を奪い取り、きゃあきゃあと騒ぎ始めた。 「・・・旦那は俺のこと忘れてねえです」 その様子を横目で見ながら口をとがらせる沖田。 「忘れてんだろうが!あれはもう人間になんて戻らねえよ」 「決めつけねえでくだせえ」 「俺にしろ」 「は?」 「猫なんかやめて、俺にしろってんだ」 「何言ってんすか」 「てめえみたいな性悪、誰が相手にするかと思っていたから放し飼いにしてみりゃ、とんでもねえ野良猫に先に手つけられちまったがな。俺だってお前の事を大事に思っている」 「馬鹿言わねえでくだせえ。俺は旦那が」 「まあもちっと考えな。俺と・・・・・・ただのにゃんころになっちまった奴とどっちがいいか」 沖田は、どんぐりまなこをもうひとまわり大きくして、土方を見ている。 やがてのろのろと女どもの方へ歩いて行くと無言で猫をするりと奪い返し、きゅうと強く抱きしめてとぼとぼと歩きだした。 「おい、総悟乗れ!」 背後からの土方の声も、もう聞こえていないようだった。 「またここにいるのか」 沖田が屯所の裏手の小屋に入り浸っていると、土方が呆れたような声を掛けた。 呆、とした顔で沖田が侵入者を見上げる。 「結果が出たってよ」 きょろんと沖田の目玉が動く。 「けっか」 「新たな被害者が出たもんで、山崎に血液検査させてみた。猫になりきっちまった奴はもう人間の血液じゃねえらしいが、新入りは血液だけはまだ我々と同じらしい。とりあえず再発を防ぐ為にあそこには祠を立てることになったがな」 「・・・」 「・・・調べてみるか、そいつのを」 目つきの悪い白猫を掬うと、なにも言わないですっくと立ち上がる沖田。 土方から猫を守ろうとしているのか、己を守ろうとしているのか。 土方が、沖田に近づく。 猫を挟んで、土方と沖田が向き合って見つめあう形になった。 「総悟、考えたか」 「・・・何を」 「もうこいつは人間には戻らねえ」 「・・・」 「俺を好きになれ」 「無理でさ」 沖田の腕を、土方が掴んだ。 掴まれた腕が、熱い。 「お前は俺を好きになる」 「ならねえ。旦那だって人間にきっと戻ります」 「じゃあ、戻るまでだ」 「なんですって」 猫を、挟んで。 沖田の顔に、土方の真剣な瞳がぐっと近付く。 「お前の言うとおりこいつが人間に戻ることだってありえるかもしれねえ。だけどもそれは明日かもしれねえし明後日かもしれねえし、50年後かもしれねえ。50年も一人でいるのは寂しくねえか」 「・・・」 「だから、戻るまで俺にしておけ」 土方がそう言って総悟の顎を取った瞬間。 挟まれて苦しいのか何か別の理由があるのか、真っ白い不細工な猫がぎゃあああと大きな声で鳴いて暴れた。 (了) |