寂しからずや




ざざざあと波の音がする。


ここ数年何度も足を運んだ海沿いの港。
街中に整備された堀などではなく、松の連なる砂浜から幾線か伸びた桟橋。
商用港はここよりすこし西に下ったところにあるので、こちらはそれほど賑わっていない。

ただ、桟橋の板の上に座っているだけで、じっとりと全身から汗が噴き出す。
もう夏も終わりだというのに、目に痛いほどの陽射しが十四朗の頬を、髪を、肩を、腕を、裾から延びる素足を襲った。



あす、総悟が帰ってくる。
この船着き場に、総悟が乗った船が帰って来るのだ。

ぎらぎらと照り返す水面を行き交う船はあまり大きなものがない。
ここと石川島を行き来するものがほとんどだからだ。

明日になれば、この移送船の中に、総悟が乗った船が現れる。
日が西に傾いて更に厳しい熱線を受けながら、十四朗は動こうとしない。
このまま夜になって、朝までもここに座って総悟を迎えたかった。




十四朗の密告で、総悟は投獄された。
火付け・殺人は大方が死罪となる世で、総悟はその刑を免れた。
殺人強盗は良くて市中引き回しの上獄門晒し首、主人殺しともなれば当然のように鋸引き刑が執行される。
しかし総悟には温情が与えられた。
ひとつは総悟の年齢が十四であったこと。浪士という身分で既に武士ではないと判断され、庶民扱いとなっていれば尚の事、十五以下の子供と女性は量刑が免れる。総悟の場合凶行に至るまでの背景が十二分に考慮された。
天人飛来以前であれど、幼女の強姦は罪とされていたのだから総悟の身上を認められれば減刑もあり得ないことではない。
だが事が殺人なだけにただ牢刑というわけにもいかず、それでも密告者本人の十四朗をはじめ浪士組の面々の陳情を受けて刑が確定した。

成人男子のみに適用される敲き刑の上一年の牢刑、その後庶民の軽犯罪者が送られる人足寄場に三年、そして居住地からの所払いが言い渡される。

当時浪士組は江戸の目の前までその所帯を移動させていた為、人足寄場は江戸町奉行管轄の石川島となった。
この温情判決は、総悟の年齢もさることながらやはり天人の飛来によって江戸ならずとも日本全体が近代思考へと無理矢理に移りゆかざるを得ないという微妙な過渡期に位置していたということもある。

ともかく総悟は帰って来る。
明日、この船着き場に帰ってくるのだ。


すっかりと日も落ちた。
残暑厳しいとはいえ、もうすっかり人の気配も無くなった桟橋のいっとう先で膝を抱え顔を埋めていると、じりじりと尻のあたりが夜露で湿気てくる。

逡巡は無かった。
戻ってくる総悟の前に姿を現して良いのかなどとは迷わなかった。
己とて何年も待ったのだ。
総悟がたった十歳で清川の慰み者になっていた頃からもうずっとこの腕の中に亜麻色の髪の少年を抱くのを待っていた。
どんよりとした雲に覆われて星ひとつ見えない空の下で、遠くに見えるターミナルの灯を頼りに座っていると、ただ早く夜が明けて明日になってほしいという願いが大きな波となって、足元に打ち寄せるそれと重なりざざざあんと十四朗を包んだ。


ふいに蹲る十四朗の隣に誰かが並んだ。
顔を上げて横を見ると、薄闇の中でも白いとわかる右手。ゆるく曲がった小指の付け根からふくらんだ掌のライン。指の根本に固くなった剣ダコが見えた。

どきりとして更に視線を上げると、四年分育った総悟のうつくしい横顔がじいと前を向いて波が寄せるのを眺めていた。

「そう、ご」
喉の奥から掠れた声が出た。
それ以外何を言うべきなのかわからない。

心の準備が全く出来ていなかった。
総悟は未だこの湾の向こうにいるのだ。今宵一晩粗末な人足寄場の大部屋でザコ寝をしているはずだった。

何を言うこともできずにただ隣の総悟を穴が開くほど見つめた。
総悟は、しっかりと海を見ている。
その横顔は、人足寄場で炎天下の労働に耐えていたとは思えないほど白く、美しかった。

髪の色と同じ亜麻色の睫毛がくっきりと伸びて、その下にある澄んだ瞳を守っている。
なめらかな鼻梁としっかりと閉じられた小さめの唇。昔はぼうっとしている時よくぽっかりと少しだけ空いていたなと急に思い至った。
緩いカーブで顎へと向かう頬は若く瑞々しいが女性的というわけではなく、十四朗の瞼の奥に残っている子供らしさは影薄く、知らないうちに一本芯の通った麗しい青年へと続く道中をしっかりと歩んでいるように見えた。

あれから四年の月日が流れている。総悟は十八になっているはずだ。
異常なほどの驚きの中で十四朗は、この四年間の総悟の成長を見られなかったことを、ただ悔しく思った。


ざざざあと波の音がする。

「土方さん、なんか言わねえんですかぃ」

ぽつりと総悟が言った。

「・・・・・・・か・・・」

「は?」

「おめぇ・・・・明日・・・じゃ」
「ひじかたさんのその間抜けヅラが見たくてちょっと先に戻って隠れてやした」
「・・・んだソリャ・・・・。隠れ鬼じゃねえんだ、なにをわけのわからねえことを言っていやがる」
「うふっ、調子が出てきたじゃあねえですか。俺ァね、ちょうど世話になってた人足寄場に団体の新入り様がいらっしゃるってんでちーと早めに追ン出されたんでさ。出所日が分かった時すぐに近藤さんに文を書いて、戻ってからの数日を宿に匿ってもらっていたんです」
「なんでそんな。俺・・俺がテメエが戻るのをどれだけ心待ちにしていたか、わかってるだろうが」
「いえね、俺ァ寄場でこれでもいろいろ考えやした。あの別れの時に、なんだって土方さんは意地でも俺を抱いてくれなかったんだろうって。お上の采配如何に依っちゃあ俺ァ磔にされたって仕方なかった。まあ餓鬼だったもんでそれはねえにしろ、生涯牢獄暮らしは避けられねえはずでした。それなのにどうしてケチくさくも最後に俺をぎゅうとしてくれなかったんだろうってね」
「・・・・・」
「あン時アンタは多分、俺に対して申し訳ねえって思っていたんでしょう。俺の事を与力に売っちまったもんだから、俺に触れることもできねえでいたんだ。それはいい、けれどもひょっとして、よもや今でもまだ仕様もねえ負い目なんて感じてるんじゃねえかって思ってね。俺ァこうやって公儀に裁かれて罪を償い大手を振って帰ってこれた。それは全部くそ真面目で妬きもち焼きのアンタがお上にチクってくれたからじゃあねえですか。アンタが負い目を感じる必要なんてまったくねえ。なのにもう再開した時に、あの日馬鹿みてえにすまねえすまねえって繰り返したアンタに更に謝り倒されるなんてのはどうしても気分が悪いもんだから、なんだか逆にアンタに会うのが面倒になってしまったんでさ」

いつの間にか、波の音に混じってりりりと虫の音が聞こえてきた。
波の音と虫の声。この二つの音しか聞こえない静かな港ならば何を言おうとも誰に聞かれることもない。

「総悟」
「・・・・へえ」
立ち上がった十四朗を、育ってもまだ背丈が足りず今度は見上げる形になった総悟。

「俺はお前に負い目なんて感じていねえ」
「・・・」
「あの日はそりゃあとんでもねえことをしちまったと思った。だからこそお前が安心するような言葉も何一つ言えなかったし抱いてもやれなかった。けどな、俺だって長年お前にコケにされ続けたんだ。その恨みが積もり積もっているんだからな。お前の髪をひっつかんで引きずり倒して、そうして嫌がるお前の上に乗っかってやるまでにどうして俺が謝らなけりゃあならねえんだ」

十四朗が言葉とはうらはらに静かな愛情を含んだ瞳で総悟を見下ろす。
「土方さん」
総悟が、十四朗の首筋に両手を伸ばした。

びくり、と十四朗の身体が震える。

「ふ、ふ・・・びっくりしちゃいました?」

着物の袖がするりと肘まで落ちて総悟の腕があらわになると、真っ白い左手の肘から手首までの真ん中あたりに、くっきりと黒い入墨が彫り込まれていた。
なめらかな絹のような腕をぐるりと一周するようにぺったりとした二本線。

「うう・・・・・う・・・・」

十四朗の顎がゆっくりと上がり、眉が寄って瞳も大きく震える。
間違いなく、囚人の証である入墨に動揺していた。

「うふふ・・・これ見るのイヤですかい?ねえ、土方さん」
きらきらと総悟の瞳が輝いた。
入墨の箇所を十四朗の頬に擦り合わせるほどに近づけては反応を見た。

「やめろ・・・やめてくれ・・・・」
「アハッ、その顔!色っぽくてゾクゾクしまさぁ!」
嬉しそうに総悟が笑った。何か興奮するように眦が切れ上がって目の下が紅潮している。
その顔を見て、ようやくからかわれているのだとわかった十四朗が舌打ちをする。

「こんなしるしつけられて、俺はとてもじゃねえけれどもうまっとうな仕事になんてつけません。それに所払いも言いつけられているもんでもうあの詰所には戻れねえしアンタが面倒見てくれねえとどうしようもねえんですから」
「・・・・浪士組はあれから十分に資金を蓄えてな。この春めでたく江戸に進出して、それから名前も変えた」
「へえ?なんて名ですかい」
「真選組だ」
「しんせんぐみ・・・・」

「華のお江戸の真ン中によォ、立派な屯所構えてんだ。お前のは江戸所払いじゃねえから、お前が戻ってくるまでに帰る場所を用意してやるんだって近藤さんが頑張ってな。・・・・だから」

言葉を切った十四朗が、やはり総悟の入墨に目を落として哀しげな顔をした。

総悟の左腕を取って、真っ黒な入墨に唇を寄せる。

「やめてくだせえよ。そんな風にするの。俺ァこれをアンタに見られるのが嫌だったんですから。そうやってアンタがこれ見て傷ついた顔すんのがわかってたから・・・・・・。俺、俺は・・・・・、アンタに・・・すまねえすまねえって・・・また・・・・・・また・・・・」
「総悟」

ただ、抱きしめた。

ざんざんという波も、虫の声ももう十四朗と総悟に遠慮したかのように静かになっている。

「ああ・・・・四年もお預けくらったもんで・・・・・。こんな仕様もねえ男の抱擁でも、とんでもなく気持ちいいじゃ・・ねえですか」
ぎゅうと、総悟を抱く力が強まる。

「俺もだ。俺も、すげえ気持ちいい」
「なんかアンタが言うと気持ちわりいです」
「黙れ、お前はこれから俺をずっと邪険にしやがった分、俺に従順になれ」
「馬鹿言わねえでくだせえ、俺ァこれからもあんたをずっとコケにし続けやす。さあ俺の命令を聞きなァ、俺をもっとぎゅっとして、そいで俺に口付けするんですぜ」

十四朗が、嫌そうな顔をして、それから総悟の顎を乱暴に取る。

長い長い時間、二人は抱き合うことができなかった。
ずっと一緒にいた間も、それから引き裂かれてお互いの顔を見ることもできなかった間も。

フッと十四朗が笑った。

「いいや、お前の髪を引っ掴んで、それから床に引き倒して馬乗りになってやるよ」

十四朗は、積年の想いを籠めて、総悟の艶めいた唇にゆっくりと口付けた。







(了)
























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