行きずり |
神楽のようなガサツで幼児体型の女でも満員電車で痴漢に合うというので、普段はチャリで15分のところを何よりも苦手な早起きをして神楽の通学列車に一緒に乗り込んだ。 「テメー嘘ついてんじゃねえだろうな」 「つくわけないアル、お前彼女が痴漢にあっても心配じゃないアルか」 「彼女っておめえ、洗濯板みてえな女を一体誰が・・・。ったくロリコンかっつーの。てかお前あれしとけアレ、あのビン底眼鏡。あれしといたら痴漢対策万全だって」 「何言うかこのプロポーション目当てに決まってるネ、しかもあの眼鏡近くしか見えないアル」 この沿線は確かにすげえ混んでて、痴漢が出てもおかしくない。 それでも最初は割と余裕があったのに途中別の路線と交差するターミナル駅に着いた途端、ものすごい人が乗り込んできやがった。 「うぶぶ」 「おーい、大丈夫かぁ」 人波に呑まれて頭一つ分埋まったチビに一応声を掛ける。 「大丈夫じゃないアル、お姫様ダッコするねソーゴ」 「冗談じゃねえや、あれァお姫様みてえなベッピンしかしてもらえねえもんなんだ諦めろィ」 そんな話をしながらも2駅、3駅と過ぎて人も入れ替わる。 学校まではあと3つ、15分くらいだった。 痴漢なんて出ねえじゃんかと思っていると、目の前にいる神楽がぴくんと動いた。 見るとうっすら頬を染めて俺を見上げてくる。 もぞもぞと、すし詰めの車内で不自由そうに動く神楽を見て、俺はピンと来た。 おお。 これは。 ひょっとしてお前ケツのひとつも触られてんのか!? マジかぃ。 ということは、こんなサルみてえなチビ女に痴漢行為を働く末期的な輩がいるってことか、そうなのか? おお、世界は驚きに満ちてるねィ。 神楽も神楽だ。ケツ触られたくれえテメエでオヤジぶっ殺すくれえできねえのか。 そう思ってとりあえずもの好きの手をとっ捕まえてやろうと下を見るが、満員電車ってのは、アレだ、まったく身動き取れねえもんなんだな。他人と身体が密着してしまっていて、テメエの胸より下が何にも見えなかった。 くっそー。普段チャリ通学なもんで電車に慣れてねえからな・・・。 俺は神楽の周りにいる奴らを見渡した。 俺と向かい合う神楽の右隣に汗臭い太ったオッサン、それから左隣になんかオタクっぽいおにーちゃん、そして、神楽の後ろに背の高い男が立っていた。 男は神楽の方を向いておらず、神楽の背中に身体の左側をつける形で位置取りしている。 肉体労働者風の、なんだか薄汚ぇ油ジミのついたTシャツがぴったりと筋肉に張り付いていて、何故だかぼろぼろのキャップをかぶっているわけなのだが、それがまた煮染めたみてえな紺色で前に札みてえなのを入れる仕様になっていて、どっかで見たことあるなと思ったらアレだ、市場のせりなんかをやっているおっさんどもがかぶってるやつだ、これは。 そしてそのキャップを目深にセットしたつばのところから、灰色のばさばさとしたくせのある髪が抑えつけられながらも顔を出していた。 その髪の間から見える瞳は切れ長でほんの少し、こころもち垂れていて色は影になっていてよくわかんねえけど、そのタレ目が微妙な色気を持っている。 すっとのびた鼻は蝋のような艶を持っていて、本当の肌の色は白いのだろうなと思わせるけれど、全体的にやはりうっすらと汚れた顔をしていた。 神楽の隣りのオッサンは、クーラーの効いた車内で汗をかきまくって神楽の方をちらちらと見ている。 普通に考えたらこいつがすっげえ怪しいんだけど、俺は背の高い灰色の髪の男がすごく気になった。 男は神楽の方をちらりとも見ないで、冷めた瞳で明後日の方を向いている。 肩の筋肉がすごくて、朝からなんでこんな汚れてんのか知んねえけど、とにかく多分すげえ男前だ。こんな男前が痴漢なんかするだろうか。 顔は関係ねえかもしんねえけど、とにかく他人には興味なさそうで痴漢なんてやらねえって雰囲気なんだけど、それがまた逆にこういうのに限ってやってんじゃねえだろうかって思う。 オッサンの方を見るとなんだかはあはあと息が荒いような気もするが、俺はやっぱり神楽の後ろの男が怪しくて仕方なかった。 俺の今日の仕事は神楽を守ってやることだ。 ついでに痴漢をとっ捕まえていい所を見せねえといけねえ。 どうすっか。当たりをつけてどっちかに詰め寄ろうか。 そんなことを考えていると、がたん、と電車が揺れた。 その時。 ふと自由になった灰髪の男の右手がすいと動いてつり革の辺りまで持ち上げられた。 その、やっぱり薄汚れた、けれども繊細な指先は、誰かのむくんだ手を掴んでいる。 「うう、、ぐう」 その掴まれた手は、神楽のとなりのオッサンのものだった。 左手を強く掴まれて捻り上げられる形になっていて、痛みからか顔が真っ赤になっている。 「あのね、いい歳して痴漢なんてやめた方がいいよ」 初めて聞いたその男の声は、低くて落ち着いていて、思い切りまともだった。 現金なものだけど、痴漢なんてやるような人間の声じゃなかった。 その時ちょうど電車がホームに着いてドアが勢いよく開いた。 この駅も結構な交差駅で、たくさんの人が降りる。すぐそばの椅子に座っているお姉さんが降りたので、咄嗟に俺は神楽をその席に座らせた。 それから犯人のオッサンの方を見ると、ちょうど男の手を乱暴に振り切って逃げようとしているところだった。 あ、と思ったが、男はそれほど確保に必死になっていなかったようで、簡単にオッサンの手を離して、犯人が人の波に逆らってホームにまろび出ていくのを余裕で見送っていた。 逃がしちまった・・・と思う間もなく、今度は電車に乗り込んでくる人波に押される形で俺は反対側のドアのところまでぐんぐん押し込まれた。 俺と男の間にいた神楽が椅子に座ったもんで、今度は男が俺の目の前にいる形になる。 俺は背中からドアに押し付けられた状態、男は俺を見下ろす体勢。 何よりも、驚いたのはこのたった3、4歩の移動の間に、俺の学生服のスラックスから夏服のシャツをぐいと抜いて、男がシャツと肌の間に無理に手を入れてきた事だった。 男の右てのひらが、俺の乳首の上にぺたりと置かれた状態で俺たちは密着した。 あまりの驚きに、俺の息はひゅうと音を立てて一瞬止まった。 混乱して男を見上げると、男はやっぱり何にも興味がないような冷めきった瞳で俺を見下ろしていた。 同時に身体に押し当てられた右手がぐ、と俺の胸を押して来る。 その状態のまま、ごとんごとんと列車が走り続けているうちに、俺の乳首が男の手のひらに当たっているんだなと漠然とあたりまえのことを思いついた。 そして、そう思った途端、そこにびりりと電流が走ったように感じて、俺の乳首はぷっくりと立ち上がってしまった。 「ぁ・・・」 信じられねえくらい小さな声しか出せない。 唇を震わせている俺を、男はきゅうと目を細めて見下ろした。 その途端、男の手のひらが俺のシャツの中でぐっと丸くなった。そして、痴漢のオッサンの手をひねり上げたあの薄汚れた指が、俺の乳をぎゅうと力いっぱい絞って円を描くように押し込んできたのだ。 「いいっ・・・つ・・!」 あまりの痛みに俺が声を漏らした時、男が初めてにっこりと笑った。 それから、周りに聞こえるか聞こえないかの声で、俺の耳に口を寄せて一言。 「カンジちゃった?」 俺は、その吐息のような声を聞いて、かあと顔が熱くなるのを感じた。 ごとんと音がして列車が最後の駅に着く。 ドアが開くと同時に、早い動きでぐるぐると二回男の指が円を描いてスッとシャツから出て行った。 「ふ・・ぁ・・」 最後の刺激に俺がよろめいた時、男は既にホームの方へと足早に歩いて行くところだった。 入れ違いに入ってきた黒い学生服。 「総悟じゃねえか、なんでコレ乗ってんの、お前」 学生服はひとつ上の学年の土方さんだった。 「なんだ、どうした総悟、涙目じゃねえか」 焦ったような土方さんの声。 俺はでもその声を聞きながら、雑踏の中に消えていった男の背中を探して、ドアが閉まるまで馬鹿みたいにホームを見つめていた。 (了) |