羽化は夜更けに |
顔に傷をつけるのがご法度の遊郭で左頬を大きく腫らせている少年を見た時、銀時はこの茶屋の程度をすぐに理解したものだった。 理解はしたが、まずその頬を腫らせた少年の美しさに目を奪われる。 目を奪われたついでに心も奪われて、まるでそのまま持ち帰るように身受けした。 纏ひ乃というその陰子は、亜麻色の短い髪に鋭い蘇芳が煌めく瞳を持つ、しかし無表情の少年だった。 歳は十二。 初めて会った時身体中に傷を作っていたが、茶屋の主人によるとここへ来てもうすぐ一年になるのにいまだに暴れて嫌がって挙句客に酷く打たれる毎日だという。 勿論銀時に対しても同じで、腫れあがった頬と泣きはらした瞳で全く感情の見られぬ顔をしていたが、いざお願いしようという段になっていきなり激しく暴れて唾を吐いたり噛みついてこようとしたのには驚いた。 結局は逃げることができないと知っているだろうにと思いながらも払った金の分は楽しもうと身体を進めてみれば、小さな声で別の男の名を呼んだ。 その「ひじかた」という男の話が聞けたのは、道楽息子と呼ばれる自分の部屋に纏ひ乃を住まわせてしばらく経った頃だった。 纏ひ乃と呼べば、俺ァそんな変な名前じゃねえやいと言いながら口いっぱいに飯粒を頬張って教えてくれた名は沖田総悟。 総悟くんと呼ぶと不思議そうな目でじっと見られて柄にも無く照れた。 毎晩総悟の身体を開いて侵略するのはこの少年を買い上げた自分の当然の権利。 飯を与えて暖かい着物を着せれば少しは大人しくなったが、何時まで経っても閨でひじかたという男のことを考えていることくらい容易に想像できた。 その頃にはもうとっくにこの少年の虜になっていたので、寝物語に聞くいつもの名前に嫉妬しては笑顔でその感情を押し隠した。 総悟の気持ちが勝ち取れないのなら、せめてその男を探し出して偽りの優越を感じたいという歪んだ欲望が生まれたのも事実。 これ以上この少年のことを好きになることができないというところまで登りつめたと自負するようになった時点で、銀時は重い腰を上げた。 その晩、銀時は目を覚ましていた。 芳町に行った次の日の夜から、総悟と寝所を別にした。 理由としては、いくらなんでもそろそろ大福帳の記し方くらい覚えなければならないから、商いの終わった晩から遅くまで帳簿とにらめっこするもんで仕事を覚えるまでは一人の部屋で作業をするというものだ。 それを伝えた時のほっとしたような総悟の顔を見て少なからず沈んだものだったが、それは仕方がない。 とにかく一日経って二日目の夜も過ぎて、これで来なければあいつはどうしようもない意気地なしだと思っていたら、丑三つ時に総悟の寝所の方で物音がした。 見に行くまいと思ってもじっとしていることなどできなかった。 気が付けば気配を殺して総悟の寝所を窺っている。 開き直って襖を少し開けて覗いてみると、黒い影がごそりと動くのが見えた。 「そうご」 息だけの小さな声で、眠る少年に誰かが呼びかけている。 薄闇の中だが、その姿はまさしく先日芳町で見た陰間に違いなかった。 どこで調達してきたのか、粗末だが動きやすそうな麻の着物を着ている。茶屋にいた時は切れ上がる眦に女子にも勝る色香を感じたのは身に纏っていた振袖と香の魔術か、今は精悍な男らしい若者にしか見えなかった。 もう一度そうごと呼んで愛しそうに髪を撫でて揺り起こす。 故郷の道場では餓鬼ながらかなりの使い手だったと自負していたわりにはあんなに雑な気配にも気づかないなんてどういうことだと毒づいていると、やっと買い与えた上等の布団がもこりと動いた。 しばらくは沈黙。 「そうご」 なにかを我慢するような土方の声。 「あんれ・・・」 ぽそりと小さな声が土方に応える。 今年に入っていきなり変声期に入り、外見からは信じられないような綺麗な低音になったことを知らない土方が驚いたように肩を揺らせた。 「おかしな夢だなァ・・・・ひじかたさんの髪が、なくなってら」 「なくなってねえよ、切っただけだ」 ああそうか、精悍な外見になったのは、髪を切ったからかと一人納得していると、むくりと総悟が起き上がる。声が変わっても子供らしい外見は全く変わらない。 そのまま見ていると、総悟はごそごそとしばらく落ち着きなく布団をめくったりまた被せたりしている。 無言で見ていた土方が、 「そうご」 ともう一度声を掛けた。 表情は良く見えない。 だがたぶんいつもの、感情が読めない顔をしているのだろう。 ばふ、と音がして、子供が土方の胸に顔を埋めた。 「どうした総悟。迎えにきたんだ、早くこんなところ出ちまうぞ」 こんなところとは何事だと思うも、総悟の全く動かないのが気になる。 おそらくこの時土方も銀時も同じ思いだっただろう。 だが総悟は土方の胸に抱きついて離れない。 「お、おい、早く出るぞ。屋敷の者に見つかっちまう」 焦った声が聞こえるが、総悟は土方の腹から腰に回した手をぎゅうと絞って動かない。 「おい・・・・・総悟・・・」 「・・・・・・」 「総悟」 「総悟、駄目だ。時間がねえんだ、俺は追われる身だしお前だってここから出れば同じだ。気づかれる前にできるだけ遠くへ逃げねえといけねえんだ。頼むから聞き分けてくれ、総悟」 だが胸に張りついた総悟は返事もしない。 元々感情の起伏の落差が激しい子供だと思っていた。 普段は一見無感情のようだが、銀時と同衾するときなどは毎度と言っていいほど泣いた。 最初のときのように死ねだの糞野郎だの萎えそうになるほどの罵詈雑言を浴びせかけることこそしなくなったが、布団の中では唇を噛みしめて涙を浮かべた。 傷つくというほど若くは無い。 むしろこういうものだと慣れた。 銀時に対しては閨の中だけのその感情の起伏が、今、解り難いが土方の前で頭をもたげている。 何も興味が無いような顔をして、ずっと土方だけを想っていたことは解っていた。 それを確認できたという妙な達成感が銀時の脳をゆっくりと浸した。 土方は困ったように総悟に声を掛けたり頭を撫でたりつついたりしていたが、やがてあきらめたようにひとつ息を吐いて身体の力を抜いた。 いくら待っても二人ともまったく動く気配がない。 覗きの体勢にいい加減疲れた。 銀時は、『馬鹿、はやく行け』とそればかり胸の中で繰り返していた。 芳町の茶屋で土方の身を綺麗にする為の清算をすべて終えた銀時は、茶屋の主人となにがしかの話をつけて、鈍色の火鉢をひとつ、譲り受けた。 土方のすべてを買い上げたのだから、本人の残したものはなにもかも銀時のものに違いないのだが、ほかのものはいらない、火鉢だけをくれと銀時が申し出た。 新吉原にほど近い米問屋の大店の奥座敷、銀時の部屋は明るい陽射しが贅沢に降りそそぐ。 だがその光を遮るように、ぴしゃりと障子を締め切ってこのところまったく部屋から出てこない道楽息子。 心配した母親が銀時の部屋の障子を開けてみると、こちらに背を向けてやや猫背になった羽織の銀時がゆっくりと振り返って 「金魚ってのは、何を食うんですかね」 とぼそりと呟いた。 そのまるで隠居したかのように静かな表情の銀時の意外に白い指先は、慈しむように鈍色の陶器のふちを撫で続けていた。 (了) |