バレンタイン土沖







かささささと音がして襖が開いた。

いちいち振り向いて反応していては仕事にならないので、土方は筆を走らせる手を止めなかった。



ごそりごそり。

こと・・・がつっ!

「あ」

がさがさがさ・・・・・。



無視しようと決めたはずなのに、10秒も持たなかった。

後ろの不審な物音が気になって仕方が無い。



土方が振り向いたのと、総悟が畳にひっくり返した箱をよいしょと元に戻したのは同時だった。



リボンで飾られた綺麗な箱。

外見上ケーキが入っているに違いなかった。



『あの箱今完全にひっくり返ったよな』



「おい総悟」

「なんでもないんでお仕事続けてくだせえ」

「なんでもないこたないだろう、なんだそれ何持って来たんだ、今完全に上下逆なったよな」

「気のせいでさぁ、ささ、お気になさらずお仕事を」

「できるかっつの、人の部屋に変なモン置いてんじゃねえぞ、さっさとそれ持って出てけ」


「マジですかい、俺ァかわいげのある恋人を演じようとして、アンタが仕事に没頭して間抜けにも気付かない間にそっとチョコレートを背後に置いてやろうとしたってのに・・・。気付かれていたとは驚きでぃ、じゃあもっかい最初から・・・」

「いやいいから、あんだけ音出されて気付かないわけないから。もっかいとかいいから」



完全に集中力が途切れてしまった土方は長い溜息を吐いて、ぼりぼりと頭を掻いた。

文机を振り向いて煙草を一本取るとかちりと火を着ける。



「で?なんだチョコレートってのは」



ちんまりと正座した総悟が驚いた様に土方を見る。



「あれ、知らねえんですかぃ、今日は世間ではバレンタインデーつってチョコレートを」

「いや知ってるけどよ、なんでお前がそんなモン俺に持ってくんだ」

「嫌ですねぃ土方さん、俺の愛を疑うんですか、うれしくねえんですか俺からのチョコレートが」

「うれしいわけねえだろうが恐怖しかねえわ、お前がくれるモンなんてよ」



ずずいと箱が土方の方に押しやられる。



「俺がそんな土方さんを恐怖に陥れるようなモン作ると思うんですかい」

「思・・・え、手作り?」

「へえ、がんばりやした」

照れたような顔で土方を見上げる総悟だが、この顔の総悟に騙されて痛い目に遭わなかったことはない。



「まあとりあえず開けて食べてみてくだせえよ」



そんな事言われても開けるだけでも怖いのにまさか食べるだなんて出来るわけが無かった。



「はやくぅ」

甘えるように言う総悟が刀に手をやったので仕方なく箱の紐を解く。

そろそろと蓋を開けてみると、果たしてそこにはぐちゃぐちゃの泥を更にミキサーにかけたような物体がどろんと入っている。



「・・・・・総悟」

「へえ」

「これお前何回落とした」

「都合20回ほど」



カッと頭に血が上る。



「んなモン食えるかあっ!!!」



チョコレートというよりも、一度食べてもう一度バックしたような物体を前にして、誰の食指が動くだろうか。



「食えやすぜ、これァ立派なマヨネーズチョコレートケーキなんですから」

「なんだそれ」

「ほんとうです」

「いや本当とか嘘とかじゃなくて、」

「ほんとうですググったんです、マジでさあ、俺ァ嘘はつきやせん」

「いやググるとかそんな話でもな」

「ググってみてくだせえ、早く、いますぐ!あるんですから本当に」

「わかった」



煩くなった土方は、右の掌を前に出して総悟の声を制した。

空色の澄んだ瞳をきょとりと見開いて、小さく首を傾げる。さらりと亜麻色が重力に従って流れた。



「わかった、俺にくれンだな、後で食うからそこ置いといてくれ」

「ありえやせんぜ土方さん、こんなにもかわいい恋人の俺が作ってきたケーキですぜ、それを食えねえってんですか?」

「お前が作ったからこそ食えねえんだろうが!20回落とす前だってどんなだったか知れねえよ」

「後で食うって言ったくせに食わねえ気ですか?真選組鬼の副長土方十四郎ともあろうものが一度口にした言葉を違えるって言うんですか?」

「だーっ!!わかった!わかったから!食うからちょっと待ってくれマジで。この決裁だけはすませねえと死ねねえんだって、俺がいなくてもちゃんとやっていけるようにしてから食わせてくれ!」

「はあ、そういうことなら」



土方の言葉に思いのほか素直に引き下がる総悟。

いかにも食えば死ぬ作りになった仕上がりのようだった。



「思う存分、現世に未練のねえように身辺整理してくだせえ」



土方が文机に向き直ると、存外大人しく私服の袴で正座して座っている総悟。

しかしすぐにごそごそと音がしているので、退屈しているのかもしれない。



食うと言ってしまった以上逃れる術はないだろう。あのゲロのような物体だって総悟が作ったものに違いないのだ。

毒が入っているならそれも喜んで食ってやろうじゃないか、まさか本当に死ぬようなものは入っていないだろう。


ゆっくりと覚悟を決めながら仕事を片付けていると、ぽつりと背後から声が聞こえた。



「江戸に出て来たばっかの頃の話なんですがね」



さらさらさら、としばらく筆を走らせて、総悟が自分に話しかけたのだと気付く。



「あ?なんだ?」



「あの頃初めてバレンタインデーなんつうものを知って、いっちょ前に真選組の制服着てるもんだから皆ちっとは男前が上がって、多かれ少なかれチョコレートもらったりしていたでしょう」

いきなりなんだと思ったが、待たせている罪悪感もあって、茶々を入れずに聞き流してやることにした。



「そん中で、近藤さんだけひとっつもチョコもらえなくて、泣いてたの覚えていやすか?」

「ああ・・・・・でもあん時ァ、夜になって屯所の前に誰かが近藤さん宛てに置いてったんじゃなかったっけか?」

「へい、そんで近藤さんもやっと一つもらえたってえれえ歓びようで」

「まあチョコレートの一つくれえでやいやい言う近藤さんも威厳がねえが、なんにしろ俺達だって身の置き所ができたってモンだったな」

「土方さんはまたバカみてえにもらってやしたもんね」

「そこへ繋げるのか?」

「いえ、そうじゃなくて。えーと、そんで次の年もその次の年も、3年続けて名無しの権兵衛からチョコレートが送られてきた」

「そういやそうだったな、あのゴリラにチョコレートなんざ送るたあ、もの好きの雌ゴリラもいたもんだ」



「実はその雌ゴリラが俺なんでさあ」



ぽろりと煙草が文机に落ちる。

あわてて拾い上げて、満員御礼の灰皿に上乗せした。



「おまっ・・・」

「最初の年あんまり近藤さんが落ち込んでいるもんで、その辺で買ったチョコレートを屯所の前に置いておいたんでさ、そうしたらそれこそびっくりするくれえ喜んで・・・。だから次の年もその次の年も俺がチョコを用意して送ってやったんです」



「なん・・・おま・・・いや・・・・そりゃあ・・・ひでえこと・・・」

「でも喜んでいたんだから良い事じゃあねえですか?」



「う・・・まあ・・・でも、結果的に嘘ついてたことになるんじゃねえのか?」



「嘘じゃねえです」


「え?」

思わず土方が総悟の顔を見るが、相手はさっき蓋をしたばかりの箱をぐじぐじと弄っていた。



「まあでもそれも一昨年までで終わりやしたけど」

総悟の薄茶色の長い睫毛が伏せられているのを綺麗だなと思いながら見つめる。

総悟が十四の歳に上京して三年間、総悟は「チョコの人」として近藤さんの心の恋人だったわけだ。


「そいで去年も同じ様に近藤さんにチョコをくれてやろうとしたんですけどね。うっかり送るのを忘れていたんで当日になってコッソリ局長室の机にでも置いておいてやろうとしたら」

「したら?」

「中から近藤さんの自慢たらしい声が聞こえて来てですね。原田や永倉に、巡回中に綺麗な女の人にチョコレートをもらったなんて言っているんです」

「おお・・・・」

「俺ァ急に馬鹿馬鹿しくなりやしてね、もう十七にもなった男がチョコレート握りしめてゴリラ局長の部屋の前に突っ立ってるなんて」


それはもうちょっと早めに気付いてほしかった事実だが、相手がわりと真剣な顔をしているので黙っているしかない。



「まったく馬鹿馬鹿しくていけねえ、近藤さんたらどこの馬の骨ともわからねえ女のチョコレートなんざ喜んで食っていやがるんだから肩の力が抜けらあ」

いやお前のなんか顔もわからねえどこの誰とも知れねえ人間のくれたチョコじゃねえか。

と、そこまで考えて、土方の脳裏にある記憶が蘇った。



「お前、去年俺にくれたあの義理チョコと見まごうばかりのショッボいチョコレートは・・・・」

「へえ、近藤さんに渡そうと思っていたヤツでさあ」



チリ、と土方のこめかみの血管が動いた。

「テンメッ、あれァ近藤さんの使いまわしだったのかよ!」



目の前の子供はケロリとしたものだ。

「いや使ってねえんで、使いまわしじゃあねえです」

「屁理屈言ってんじゃねえ!!!」



すると、目の前の箱の蓋をぱかりと開けて、ぐずぐずと崩れたケーキを露出させる総悟。

「それに今年はこうやって手作りケーキにしてやったじゃありやせんか、こんな手の込んだの、近藤さんにだってしてやった事ァありやせんぜ」

「うるせえこんなもん食いモンの様相を呈してねえじゃね、」

「食ってほしかったんです」

「え?」

ケーキから視線を総悟に戻すと、どこを見ているのかわからないぼんやりとした薄い蒼の瞳が、土方でもなくケーキでもなく、ただ空を見て畳の目を見ていた。



「食ってほしかったんです、俺ァ」





いつもどおり何の表情も読みとれないその顔。

だが、言い表しようの無いさみしさを感じ取ってしまって、土方はきゅうきゅうと胸が締め付けられるのを感じた。



おもむろにケーキの箱に向き直って、およそ形と言うものを無くした茶色い物体を手づかみでごそりと掬い取る。



「土方さん」



「食ってやるよ、俺が」



蒼い瞳が、ふるりと揺れた。



頬いっぱいにケーキをほおばってもぐもぐと咀嚼する。

甘ったるいが不味くは無い、さすがにマヨネーズの味はしないが、卵と油の代わりに入っていると思えばいいのだろう。

ふんわりと香る濃厚なチョコレートと、喉を焼くような唐辛子の後味・・・・・・・・・・・。





「ごふっ・・・・」

























「ひじかたさーん」



ゆさゆさと総悟が土方を揺さぶっている。



「おーい、ひじかたさーん、起きてくだせえ」



ゆさゆさゆさ。

「まさか死んだんですかい?ねえ土方さん」



ゆさゆさゆさゆさゆさ。



「ちょっと入れ過ぎやしたかね、土方さーん」









沖田総悟十八の冬。

真選組屯所の副長室で、唐辛子ケーキにノックアウトされた土方副長を、総悟はいつまでもいつまでも揺さぶっていた。







(了)



























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