自由な鮎 |
釣った魚に餌はやらないというが、俺は随分沖田君を甘やかしていると思う。 大抵の女には慣れると金を出させるようになるのだが、沖田君にはそれをさせていないのだから、かなりのVIP待遇だと言えるだろう。 沖田君は、俺のバイト先のシアトル系カフェに新人として入って来た男の子だった。 ハッキリ言ってうちはヤル気の無い人間には向かない。 わりと覚えることが多いからだ。 俺はヤル気が無い様に見えて案外ヤル気がないが、残念ながら覚えようとしなくても仕事が頭に入って来るタイプだ。 だけどこの沖田君は一見脳みそが頭に入っていなさそうなアホ面なのだが、 1)見かけどおりのアホ 2)見かけよりもずっとアホ 3)脳みその中身はオガクズ の一体どれなんだろうと、初対面から一時間後には頭を悩ませることとなった。 一週間後には、正解は3)だと解るのだが、沖田君は別にヤル気が無いわけでは無かった。 ただアホなのでなにも覚えられないだけ。 「だからね!基本だから!コルタードっつったらミルクは少量だってば!いい?コルタード、レチェ、ラグリマ!!コルタード、レチェ、ラグリマ!!これ百回繰り返して!!」 必死になって教えてるのに聞いているのか聞いてないのかわからない顔。 すげえかわいいけど彼女いるのかな。はたまた彼氏はいるのかな。 これだけ苦労して教えてんだから、ちょっとくらい味見してもいいんじゃねえのかな。 女だったらちょっと俺が優しくして突き離したら一発なんだけど。 沖田君はとても尻が軽そうな顔をしていたので気楽に誘ったが、案外手ごわかった。 ぐずぐずと理屈を付けては俺の言葉から逃げる沖田君だったが、そこはさすがのアホで四度目のアタックでなんとかパンツを脱いだ。 いつもながら何も知らないまっさらの身体を犯すのは気持ちが良かった。思わずもう一回抱いてしまったほどだ。 沖田君は処女喪失になにやらいつにも増してぼうっとしている。 俺はと言えば欲望を吐きだしてしまって、もうとっくに沖田君には何の興味も無かった。 そろそろベッドを出て行ってほしいんだが、さすがに初めてでそれは言い出しにくい。 言い出しにくいどころか「坂田さん」なんて言って普段のふてぶてしさとは程遠い甘えた声を出されると、これはひょっとして一度で終わらせると俺が人でなし呼ばわりされるのだろうかなどといらぬ心配をしてしまった。 そもそも一人の男・・・まあ女の子とでも長い事くっついていることはなかった。 女というのは、何度か続けて寝ただけで、俺が自分のものになったと勘違いするのが多い。 すぐに、あれがほしいあそこへ連れて行けなどと言い出されるので、いつも途端に冷めた。 うまくすれば女のほうが金を出してくれたりするから、そういうのだけ頭数に入れて、うるさくなってくるのは全部切る。 それが俺のやり方だったけど、沖田くんはそのどっちでもなかった。 まず金を出してくれるようにはなりそうになくて。 何故なら沖田君の実家が貧乏だからだ。沖田君の姉が働いて学校へやっているらしいが、その金は無駄だと思う。 そんな健気な姉弟から金をむしり取るほど俺はろくでなしではない。 かと言って切るわけでもない。沖田君が大人しく何も言わないで俺の誘いに乗っている間はこのままいけるだろう。 そんなわけで俺は沖田君からもらうものはケツ穴の窄まりだけということに割りきって楽しんでいた。 けれどこの沖田君というのは、毎度毎度初めての時みたいにガードが固くなってしまってこれには閉口した。 今日どう?と誘っても「はァ」みたいな返事で了解したのか断ったのかわからない。 仕方が無いので自分に都合のいい方に取って、「じゃあ7時に来てね」なんて言って別れるときちんと7時にやってきたりするので便利は便利だった。 けれど少し甘やかしが過ぎたなと思う局面はすぐにやってきた。 なんと沖田君が外に遊びに行きたいと言いだしたのだ。 わりとそういう我儘とは無縁の子だと思っていたので、最初は聞こえないふりをした。・・じゃなくてうまく聞こえなかった。 どうしようめんどくさいと思いながら、どうごまかしたものかと思案していたら、職場のいけすかない土方という男と行くだの行かないだの言っている。 行ってくれ。頼むから行ってくれ。 遊びにはそいつと行って、夜だけうちに来い。 心からそう願ったが、そうそう思い通りに行かないということくらいは俺もわかっている。 釣った魚に餌を遣らない主義の俺だが、うっかり清流に住む鮎のような上玉に手を出してしまったので、簡単にリリースするのももったいないなどと考えてしまっている。 だからと言ってじゃあせっせと餌を与える気にもならず、やはり川に放すこともせず、ただバケツの中の鮎が弱って行くのを見ているだけになりそうだった。 そんなこんなでのらりくらりとしていたら、とうとう沖田君が最も面倒なことを告げて来た。 俺と「別れる」などとぐずり出したのだ。 面倒臭い。 これだから嫌なのだ。 何もかも無かったことにして、新しい子を探したい。 けれどこの頃にはさすがの俺も一から女の子に声を掛けまくる労力こそが面倒になって来ていた。 だからというわけではないが、気まぐれで沖田くんを連れて外へ出てやろうかと言う気になった。あまりのイラつきに、頭がどうかしていたのかもしれない。 それにしてもまさかディ○ニーラ○ドなどと七面倒臭いテーマパークへ行かなければならない道理はない。 俺はなんとかそれを回避しようとして、沖田君に代替案を提示した。 「俺あそこは苦手なんで、もっと落ち付いた所行かない?」 そう言えば、うちから歩いて20分くらいのところに何だったかのイベントの記念公園があったはずだ。 あそこなら近いし静かだし何より金が一銭もかからない。 どう出るかと思わず身構えた俺だったが、沖田君はそれで満足なのか、「へぃ」と言って素直に頷いた。 頷いたのを見た瞬間、何か俺の腹の中にもやもやとしたものが生まれた。 その日は朝から面倒で面倒で、やはり外へ連れ出してやるなんて約束しなければよかったと何度も後悔した。 沖田君が、ものすごい根性で押し続け鳴らし続けるチャイムとケータイのダブル攻撃に音を上げてなんとか起き上がって服を着替えた。 げっそりとした心持ちでドアを開けると、ぱちりと瞬きをしていつもの無表情で俺を見上げる沖田君がいた。 その顔を見た途端、また腹の下の方がもやりとして、とりあえずあまり沖田君を見ないようにして部屋の鍵を閉める。 ここで甘い顔をしたら、次はまた別の所へ連れて行けだの美味い物を食いに行こうだの言い出すのはわかっているので、あえて心の中をさらけ出すように不機嫌な顔で歩く。 沖田君はなにを言うでもなく俺の後をついて来た。 ぽくぽくと歩いて記念公園に着いた。 ただただ芝生があって小さな人口の川が流れていてたまに東屋があるような場所で。 枯れ切った夫婦か鼻水垂らしているようなガキ連れのファミリー、そしてたまに金の無い学生カップルなどが腰を降ろしたりキャッチボールをしたり犬を放したりしている。 静かだと思っていたのに全然だなと思ってとりあえず川沿いを歩いた。 小さな森の中を遊歩道が通っていて、それがぐるりと一周している。 記念公園を一周したらもう帰っていいだろう。 ついつい急いで歩いてしまうのは家に早く帰りたいから。 だけど沖田君は何かにつけて立ち止まって、その辺の木に隠れているナナフシを摘んだり、信じられないくらいだらしなく舌を出しているアホ犬をひっくり返して腹を撫でたりしていた。 なので10時を大分過ぎてから出かけたこともあって、当然公園を一周する前に昼時になってしまった。 そこいらに軽食の屋台など出ているかと踏んでいたのだがそんなものは全くなくてそれには参った。 「沖田君、お腹空いた?ごはん、いる?」 そう聞いたら、またいつものアホ面で俺を見上げて、 「いえ、別に」 と言った。 ぼつぼつぼつと何を会話するでもなく記念公園を一周して。 やっと解放されるなと考えながら 「そろそろ帰る?」 と聞いたら、沖田君は「へぃ」と返事をした。 助かった。 やっと帰れる。 あまりの嬉しさについつい帰り道を歩くスピードも速くなる。 気がつけば少し沖田君が遅れて後ろを歩いて来た。 沖田君は普段歩くのは別に遅い方でもなかったので、ちょっとだけ苛ついて声を掛ける。 「どしたの、疲れちゃった?」 とことことこ、と更に苛々が増すような足取りで俺の目の前までやってきて、沖田君がひょっとしてこれは笑顔なんだろうかという様な微妙な表情で口を開いた。 「坂田さんと出かけるなんてめずらしいんで、もうちょっとこうやって歩いていたいんでさ」 沖田君のその言葉を聞いて、ここんとこの腹のもやもやの正体が分かった様な気がして、そうしてやっぱりあのテーマパークに行ってやっても良かったかもしれないと、つい思ってしまった。 (了) |