風邪と死神 |
朝から何かしら寒気がすると思ったら、昼過ぎにはもう鼻の奥がずきずきと痛み、夕飯を食う気もなく自室へ下がればあっという間に鼻の痛みは喉に移動していた。 この痛みの移動は武州の田舎にいた頃からのお決まりで、こう来ればその後は意識が朦朧とするほどうなされて、後に信じられない程長く咳が続いて終わりだった。 普段が人の分まで生気を吸い取ったように元気でヤンチャなものだから、土方などは「たまには病気にでもなってくれた方が可愛げがある」などと言う。 その分の釣り合いかもしれないが、一旦床に伏せると周りの人間が皆、沖田は死ぬのではないだろうかと思う程弱った。 しかし決して死んだことはなく、ただただいつも走りまわりすぎている為に病気になった時の分の体力まで使い果たしているだけのことだった。 『またきたか』 年に一度はこうやって大風邪を引くわけだが、仕事をさぼれてうれしいなどという気持ちは湧いて来なかった。 鼻の奥は未だ川に入って思い切り息を吸ったかのように痛み、喉に至ってはちりちりじりじりと激しい炎症に悩まされた。その炎症のイガイガとした感覚に何度となくえづいて咳き込み、吐き気がないにもかかわらず食べた物を戻してしまうことも頻繁だった。 更に破傷風にでもかかったのではないかというような寒気には毎度のことながら参った。 18にもなって未だ童のように毎年風邪をひいているのが普段から病弱ならば恰好がつくというものだが、常日頃沖田は風の子悪魔の子などと言われる程の鉄の身体なのだからいけない。 この時ばかりは大人しく布団に潜り込むわけだが、寝がえり1つ打つのも億劫な程、身体のふしぶしが痛み頭の芯がぼうっとなる。 土方などは、弱っている姿を見られたくないだろうと思っているのか、見舞いが照れくさいのか、顔を見せることはほとんどないが、時折山崎が持ってくるおかゆや葛根湯やりんごのすりおろしを、いつも土方本人が風邪を引いた時になにかのまじないのように口にしているものだったから、土方に言いつけられて山崎が持ってきているものだということはわかった。 眠気は無いが、鼻がつまって喉も荒れ、息が苦しい上に目のふちが痛んでぎゅうと瞼を閉じる。 こうやって昼日中から布団にもぐりこんでいると、世界に自分ひとりだけのような気がしてきた。 昔から熱が上がった頃にいつも死神を見た。 死神といってもほんとうの死神ではない。 ほんとうの姿をしているが、それは朦朧とした沖田がよく出会う幻覚だった。 それが近年西洋からもたらされた死神という概念上の見かけそっくりだったから、尚更本やテレビで見たものをそのまま形にした妄想だろうと思っている。 今日も黒いローブを着て大きな鎌を持った骸骨がひょいと枕元に座った。 「久しぶり〜〜。行く?行っちゃう?あっち行っちゃう?」 昔から風邪を引く度に会っていたから懇意なものだ。 「いいや、まだ行かねえ」 沖田ははあはあと荒い息で答えた。 「そう?もう連れてってもいいんだけども」 「いいや、まだ行かねえ」 すると大きな鎌を持った死神は言った。 「身体のしんどいのと、精神のしんどいのと、どっちをとってほしい?」 沖田はフッフッと短く息を吐きながら紅潮した頬で死神をちろりと見上げる。 『まためずらしいことを聞くものだ』 「おれは精神はまったくしんどくないから、身体のしんどいのを取ってくだせえ」 「よしきた」 「ちょっとまて、そんな押し売りみてえな親切を聞いたからってオレの魂を取るなんて言わねえだろうな」 「今日は特別だ。気まぐれに世の者共に親切をしてやりたいのだ」 「ほんとうだろうな」 「ほんとうだとも。何も見返りはいらん」 「じゃあ頼む」 そう言うと死神はかすかすと鎌を二度振った。 頼んだはいいがあれでまさか命を取られると言う事はないだろうなと思ったが、反していきなり身体が軽くなった。 「これァいい、これからもこれで頼む」 「馬鹿を言うな、俺は死神だ。つぎからは命をもらう」 それにしてもいい気まぐれにあたったものだ。 ふと死神を見ると、何やらつぎの行先でも書かれた紙のようなものを見ている。 「つぎはどこへいくんだい?」 「もう終いだ」 「じゃあオレの前は誰のところから来たんだィ?」 「万事屋を知っているか」 「知っているとも。なんだィ、旦那も死にそうだったのかィ?」 「ナニ、死ぬというほどでもないが、弱っていたな。おまえと同じ風邪だ」 「なんだ、そんなものか」 「今日は気分が良いからすべての人間に同じ事を聞いた。あいつが何と答えたか知りたくないか?」 はたと沖田の動きが止まる。 あの、風に遊ぶ木の葉のように、どこにも誰にも頼らず行く先も見えない男が。 なんと答えたか。 「聞きたいねィ」 「あいつは間髪いれずにこう言ったね。<俺の精神を楽にしてくれ>って」 「ほう」 「それで願いを叶えてやってここへきたのさ」 「精神を楽にするってまさか阿呆にしたんじゃあねえだろうな」 「俺はそんな悪党じゃあない。しばらくはあいつの精神は救われるだろうよ」 そう言うと死神は時間でも気になるのか、またなと言って消え去った。 沖田はしばらく銀時の事を考えた。 あの男はやはり苦しかったのだ。 強い強いと思っていたが、実はそれほどでもなかった。 何が彼をそうさせているのかは知らないが、見かけが強いものほど心がもろいものなのだと思った。 『しかしそれなら、オレほどの強い人間はもっともっと弱いことにならぁな』 そんなことを考えながらしかし、あの死神はどうしたって自分の妄想なのだから、旦那が弱いというのもまた自分の妄想なのだなと結論付けた。 すっかり楽になった身体で起き上がって庭を見ていると、すらりと戸が開いて、土方が仏頂面で顔をだした。 そうして、行くまい行くまいと思いながら結局沖田の部屋に来てしまったことを恥じているような顔で、 「なんだ、もう起きているのか」 と、言った。 (了) |